「近江富士」かわら版

近江富士、四季の風景 ■「穂高から三上山まで」---わたしの山と写真---連載中

2008年07月25日

近江大観望



写真拡大■栗東市荒張。国道1号高野交差点から、信楽へ向かう県道12号。道の駅”こんぜの里りっとう”の前から林道にはいる。金勝寺の前を通って、林道の終点へ。そこに車10台ぐらいおける駐車場があって、そこからの標榜は抜群である。




■ 穂高から三上山まで
--------わたしの山と写真--------


075.雪の西穂高・4(1962年3月)
    ・・・といっても、山荘までですが・・・。


1962(昭和37)年3月27日(火)、西穂方山荘から蒲田まで・2

 そのトラバースが終われば、あとは本州製紙の小屋あたりまで、尾根路を最短距離にとっていけばいいのだ。


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写真拡大









写真拡大 ぐんぐん高度を下げて、もう100mほどで、尾根を下りきると行ったあたりで、抜戸岳あたりのガスが切れて、青白く輝く尾根筋が見え出す。






写真拡大 なおも下って、尾根を下りきったところで、後ろを振り向くと、折からの夕日を浴びて、穂高連峰が輝いているではないか。しまった、粘ればよかった。高気圧はそこまで来てたんや。





 蒲田川沿いの道に出たときは、日がとっぷりと暮れ、辺り一面が暗褐色の世界となる。本来、白くあるべき雪までもが茶色に見えてくる。6時半、登山口。迎えに来てくれたI旅館の車で7時旅館着。
 このときも、電話連絡ができたとは思えない。多分先に下った地元の人2人が、旅館まで先行して、連絡してくれたのだろう。
 温泉に浸かって、こたつに入って飲むビールはうまかった。山の宿は静かである。


 
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2008年07月24日

水車小屋



写真拡大■栗東市観音寺。国道1号高野交差点から、信楽へ向かう県道12号。道の駅”こんぜの里りっとう”を過ぎて、森遊館への別れあたり。左側にある観光用水車。ここまでやるなら、電柱等、もう少し配慮があったなあと思う。




■ 穂高から三上山まで
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074.雪の西穂高・3(1962年3月)
    ・・・といっても、山荘までですが・・・。


1962(昭和37)年3月27日(火)
 小屋の入り口にかかっている柱時計が5時をうつ。誰も起き出す気配はない。6時を打つ音に目を覚ますと、外からいくらか光が差している。小屋の中にいて、たった一カ所外が見えるのが便所の窓。外はガスがかかって、何も見えない。

「ご飯にしましょう」と呼ばれたのは、8時前だった。布団からはい出して、すぐに食べる朝食。小屋番の青年に感謝しつつも、これではどうしようもないな。ラジオを借りてきて、9時の気象通報を聞く。「東シナ海に高気圧があって、毎時50Kmで東に進んでいる。満州南部に低気圧があって、そこから南西に伸びる前線がそれを追っている。明日はまたその前線の影響で天気はやや崩れるだろう」という。

 Bさんたちは、スキーをするといって、外へ出ていってしまった。あとに残ったAさんと2人、ストーブの番である。外は相変わらず雪が続いている。このままいても、明日も同じ天気ではないのか。

 1時前に昼食。東シナ海からの高気圧が、時速50kmで進んでいるということだったが、南へ寄りすぎてるのかな。Bさんが「何なら、きょうこれから下ろうか」という。小屋番が、「明日もこんな天気だ」と自信ありげにいう。結局、「下る」ことに決定。


写真拡大写真拡大 下山準備を整えたところ。左の写真、スキーが立っているとことが、小屋への入り口。
 バックの山を見ても、天気は明らかに回復傾向にある。





写真拡大 下山の前に記念撮影。左上が小屋の屋根。
 Bさんら3人はスキーで、我々2人はワカン。下りにかかったのは2時頃だった。そのころガスが切れて、小さく青空が見え出す。しかし、人間の意識の流れは不思議なもの。その青空を見ても「下る」のをやめようとは誰も言い出さなかった。

写真拡大  30cmほども積もった斜面をどんどん下る。最短距離を滑るように下っていけばいいのだ。一歩足を踏み出せば、2,3mは滑ってくれる。

写真拡大








 あたりは童話の国のように白一色。新雪を蹴って快適に下っていく。
 
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 千石尾根から派生する尾根への100mぐらい、大きなトラバースをやる。上の写真、斜面に沿って下っているように見えるが、実際は横切っているのである。45度はあろうかと思われる急な斜面を横切るのである。前へ進もうと足を動かすと、意図に反して、身体は谷側へずり落ちる。「すべっても木があるから大丈夫ですよ」とBさんはいうが、こちらは素人、不気味なものだった。


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2008年07月23日

松の苗?



写真拡大■栗東市六地蔵。きのうの家庭菜園の近くである。これはないだろうか。松であることは違いないのだが、すべての枝が真上に向かってまっすぐ立っている。こういうのを方々で見るのだが、意味がよく分からない。




■ 穂高から三上山まで
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073.雪の西穂高・2(1962年3月)
    ・・・といっても、山荘までですが・・・。

1962(昭和37)年3月26日(月)
 昨夜、気持ちよく晴れていた空も、今朝はかなり雲が多く、しかも、その雲は早く動いている。どうも天気は思わしくない。
 7時15分、迎えに来てくれたI旅館の主人の車で出発。途中、同道する地元の人2人を乗せて、7時40分西穂登山口につく。槍見温泉の対岸、少し上流の地点に当たる。

写真拡大 気温6℃、そう寒くもない。見上げる対岸には錫杖の岩場が、雪をつけて朝日に輝いている。早速写真に収めて出発。










写真拡大 急な坂道を数回折れ曲がって登り切ると、高さ4mくらいの落葉松がたくさん生えている平地に出る。雪はよくしまっていて、ほとんど雪の上を歩くのとかわりがない。焼岳が逆光を受けて、意外と堂々とそびえている。雲は早く動いているが、まだ陽が差していて、明るい鍋平でザックを下ろして写真を撮ったりする。笠ヶ岳は、その頂上を雲でかくしているが、頂上直下から、一気に蒲田川左俣へ滑り落ちてくる穴毛谷がすごい迫力で圧倒してくる。




写真拡大 1時間ほど歩いて、8時40分、道が小鍋谷にそって穂高の方へ回り込もうとするあたりで、2回目の休憩。雲の動きはますます速くなるその雲が見上げる稜線の上で逆光に輝く。その雲の周辺が緑色に色づく。




写真拡大 10時、本州製紙小屋。空は鉛色に曇ってきて、ひと荒れ来そうになる。30分ほどで、千石尾根派生する尾根にとりつく。雪は柔らかく靴は完全に潜ってしまう。尾根にとりついてすぐ、Bさんが「オーバーシューズをつけましょう」という。オーバーズボンにオーバーシューズ、ウインドヤッケ、完全に冬山の装備をつけてしまうと、気分的にゆとりも出てくる。雪をともなった風がかなり強く吹き、全くの冬山の様相を呈していた。雪は斜面を走り来て、走り去る。稜線ではビュービューと不気味に風が鳴っている。




写真拡大 風はますます強く、顔を風に向けられなかった。Bさんが「これは本当の冬の山だ」という。そして、「これがまたいいんや。京都へ帰ってコーヒーを飲んで、思い出したら、たまらないんや」という。

 13時、千石尾根の稜線近くで昼食をとる。にぎりめしは冷たかった。それに比べて、テルモスに詰めてきた熱いお茶がとてつもなくうまかった。気温はマイナス4℃、身体を動かさずにいると、見ている間に寒くなる。あたりのものすべてが、身体から熱を奪おうとして、手ぐすねひいている感じであった。

 千石尾根の稜線へ出てしまうと、空はいくらか明るくなった感じはするが、吹雪は弱まる気配すら見せなかった。稜線に出てからて1時間足らず、眼前に大きな尾根が迫ってくると、西穂小屋への最後の上りとなる。


写真拡大 吹雪はますます激しさを増して、前を行くワカンの踏みあとも消されがちになる。吹き抜ける風の音が不気味に鳴る。小屋への道を50mほど小さなコブを巻く。ちょうど吹きだまりになっていて、ヒザまで楽にもぐる。




 小屋は半分雪に埋もれて、その中から煙突が立ち上がり、煙を吐いていた。入り口はトンネルになっていて、そこにはいると全くの穴蔵だった。先の2人が出てきて、ほうきで身体についている雪を払ってくれた。オーバーシューズは凍っていて、なかなか脱げなかった。

 靴を脱いで、火のある部屋へ通る。そこは乾燥室だった。窓が1つ。それも雪に埋もれて機能せず、煙突のまわりだけが熱で溶けて、そこから鈍く光が差し込むだけだった。ザックの中の整理さえも、電池なしでは不可能だった。

 身体が冷えてくると、両足のモモのあたりがたまらなくだるくなってくる。登っているときは、全然疲れていないつもりだったが、今になってこんなに疲れてくるとは、やはり夏の道とは違う筋肉を使っていたのだろう。

 小屋番は、23,4歳の若い男だった。4時ごろ「ご飯ですよ」と呼んでくれる。それが終わるとすることは何もない。足を冷やさないように、乾いたオーバーズボンをはいて布団に潜り込む。雪はいっこうにやむ気配を見せない。






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2008年07月22日

家庭菜園



写真拡大■栗東市六地蔵。旧東海道付近の家庭菜園。カメラの後ろが旧東海道。前方の民家沿いをJR草津線が走る。







■ 穂高から三上山まで
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072.雪の西穂高・1(1962年3月)
    ・・・といっても、山荘までですが・・・。

 職場の先輩のAさんが、3月に西穂高へ行こうという。といっても山荘までだが、いとこのBさんが栃尾にいて、「つれて行ってやる」というから、行かへんかという。山荘までといっても、3月はまだ冬ですよ。と、多少は抵抗はしてみたものの、連れて行ってもらえるなら、この際・・・ということで。


写真拡大1962(昭和37)年3月25日(日)
 あと旬日で桜も咲こうかという早春の日、雪の穂高に心を寄せて、京都を発つ。8時03分発、準急”第1伊吹”。暖房のきいた車内から見る明るい風景、冬はどこにも見あたらない。これで山の上に雪があるなど信じられない。途中若干の遅れはあったものの、たいしたこともなく岐阜着。

 10時17分の高山行各停に乗り込む。飛騨金山で、対行列車待ち約7分、ストップ。高山でのバス連絡は12分しかない。「大丈夫かな?」。まだ5分あるから大丈夫やろう。田舎のバスやから、ちょっとぐらいなら待ってくれるやろう。
 飛騨小坂。対行列車待ち、20分だという。これはアカンで。

 結局、高山へは、17分遅れの14時35分に着く。バスの高山発は14時30分。何とか待っていてくれないかと、地下道を急ぐ。しかし、めざす神岡行きはいなかった。

 次のバスは15時30分である。これは待つしか手はない。栃尾までの切符を買おうとすると、「次のバスでは、ミザまでしか行きませんよ」という。「ミザ?、ミザてどこ?」。「ここです」、手際よく路線図が出てくる。見れば、「見座」とある。「ウン、それで、見座でどこ行きに乗り換えたらいいの?」。「乗り換えはありません」。「?、・・ありません・・・て、じゃ、栃尾へはどうしていけばいいの?」。「きょう中には行けません・・・」。「なに?・・・」。「それをはよいえ」とはいわなかったが、夜の9時、10時ならともかく、まだ午後3時やで。どないせーちゅうねん。

 ぼやいていても仕方がない。Aさんが電話でBさんと連絡。と、書けば当たり前の話になるが、当時、どうして電話連絡が取れたのだろう。公衆電話から市外通話ができたのだろうか。固定電話からでも、いったん電話局を呼び出して、どこそこのXX番と相手の番号を伝え、そこでいったん電話を切って待つ。数分、ないし数10分待って、やっとつながるといった時代である。公衆電話からはそんな芸当はできない。ひょっとして、事務所かどこかの電話を借りたのではなかったか。

 Bさんは「とにかく見座まで来てくれ、そこまで車を回すという」。これも今の感覚では、ああそうかという感じだが、そのころは個人が自家用車を持つ時代ではなかった。といって、タクシーを頼めばべらぼうな金額になるはず。Bさんが近くの会社か何かに頼んでくれての話だったのだろう。

 ということで、とにかく15時30分発の神岡行きに乗る。17時10分、神岡着。神岡は意外に大きな街だった。山の中に想像もできない舗装道路の街、パチンコ屋、喫茶店、洋品店、バーetc。都会にあるものは一通り皆そろっている。次の見座行のバスは18時30分だという。うどんを一杯食ってしまうと、あとはすることがない。寒い鉱山の街を歩き回った。
 街のすぐ横が鉱山だった。山を半分つぶしたような露天掘りの鉱山にライトが煌々とともって、さながら不夜城のごとし。神通川流域のイタイイタイ病など、名前も知らないころである。神岡と聞くと、このときの記憶がよみがえる。

 18時30分、神岡発。日もとっぷりと暮れ、ネオンや店の灯りがやけに明るい。途中どのあたりだったか、道路工事のため徒歩連絡。街灯もない真っ暗な悪路を200mばかり歩く。よく晴れた夜空にオリオンが輝いていた。

写真拡大 見座、19時10分。店が一軒あるだけの暗いところである。さてどうするかと思っていると、Bさんに声をかけあれ、ほっとする。蒲田川沿いの道をさらに車で40分ばかり、栃尾へ着いたのは、20時ちょうどだった。思えば、京都から12時間。長い旅だった。




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2008年07月21日

野洲川花火大会



写真拡大■栗東市出庭。7月19日(土)に行われました。三上山と花火を同じ画面に収めようとすると栗東市側へ回らねばなりません。運動公園近くの田圃の中からです。







■ 穂高から三上山まで
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 071.ちょっと寄り道・碓氷峠・6

 
写真拡大 野辺山17時31分。日没に1時間もないころだった。駅前に荷物を預けて、高原を散策する。広々とした台地の所々に落葉松が点在していて、その向こうに八ヶ岳がそびえている。





写真拡大 まっすぐな道が、佐久甲州街道を越えて、まっすぐに西へ続いている。
 右の2人は、登山者のようだが、浴衣がけの人もいる。何をしているのだろう。不思議な光景である。





写真拡大 雲の間から見る八が岳は雄大な長目だったが、それもつかの間、たれ込めるガスに隠れて見えなくなってしまった。
 
写真拡大








 西へ延びた広い道が、左へ曲がってその曲がり口に「八ヶ岳登山口」との標識がある。女学生が2人、元気で下ってくる。「12人で登ったのだが、あとの人はもっと遅れている」と。

 
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 19時08分、野辺山発。これが小淵沢行きの最終列車である。小淵沢、20時ちょうど。木曽福島をさらに小型にしたような町で、駅前には細い白樺の木などがあって、山のムードが漂ってくる。
 21時18分、新宿発松本行き。それに併結された、半両の名古屋行き。・・・客車1両の半分が荷物車で、客席は半分・・・。すいていてほっとする。しかし、それも富士見、茅野あたりから、霧ヶ峰帰りがどっと乗ってきて、通路もいっぱいになる。塩尻で1時間の待ち合わせ。4時38分、名古屋着。






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2008年07月20日

三上山に向かう



写真拡大■栗東市六地蔵。旧東海道と草津線にはさまれた田園地帯。その中で、1本の小径が三上山の方へ続いていた。







■ 穂高から三上山まで
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 070.ちょっと寄り道・碓氷峠・5

 
写真拡大 なんや!このずぼらな撮り方は。「軽井沢」を撮りたかったにしても、もうちょっと他に手があっただろう。バックに隠れている機関車はC12、関西近辺ではほとんど見ることができない貴重品である。いまとなってはこの芸のない撮り方が悔やまれる。



写真拡大 乗ってきた1等車は軽井沢止まりなので、隣の2等車に乗り移る。再びD51に変わった列車は、広々とした浅間の裾野を中軽井沢、信濃追分へとかけ下る。





写真拡大 暮れ行けば浅間も見えず、
         歌かなし佐久の草笛。

 浅間をバックに快走する列車。空に薄く煙が見える。浅間の煙ではない。機関車D51の煙である。
 それはいいとして、この写真はどうして撮ったのか。何の記憶も残っていないが、窓から手を伸ばして撮ったものでもなさそう。推察するに、デッキに立って、左手で手すりをつかみ、右手を伸ばしてノーファインダーでの方手撮りか。身体全体は、ここまで出せないだろう。しょうもないことをやってました。

14時17分、小諸着。

 
写真拡大 藤村大先生に敬意を表して小諸城址を一回り。国語の時間に習わなければ小諸城址なんて知るはずがない。教科書の力は大きい。

 そうか、これが小諸城址か。一回見たらそれでいい。それより小海線の方がもっと魅力的。

 
写真拡大 15時25分、小諸発、小淵沢行き。キハの3連はすいていて、のんびりとした高原の旅。東小諸、乙女までは、信越線と並走するが、そこから右に分かれて、佐久盆地へとかけ下る。窓を開けていると寒いぐらい。



写真拡大 17時31分、野辺山着。標高1345m。国鉄の駅として、一番高い場所だという。

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2008年07月19日

岬と並ぶ



写真拡大■高島市萩の浜水泳場。右に見えるのが、白鬚浜の岬である。この岬を回ると白鬚神社の鳥居が見える。







■ 穂高から三上山まで
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 069.ちょっと寄り道・碓氷峠・4

 
写真拡大 途中の駅、熊の平で、上り貨物と交換をする。それを撮るため、デッキから下へ下りる。
 いまでは考えられないことだが、当時はこのように、好き放題、勝手放題に下りたり乗ったりしていた。それがデッキで「四等」をやるものの特権ぐらいに思っていた。


写真拡大 そのときも、いつもの調子でひょいと飛び降りようとした。手すりを握ったままで、無意識にサードレールを踏んだ。手にビリビリと来た。レールには木のカバーがしてあったから、何の気なしに足をおいたのだが、昨夜の雨できがしめっていたのだろう。ひやっとした一瞬だった。


写真拡大 冷房のない車内は暑かった。窓は例外を除いて、全部開いている。これが夏の旅だった。
 
写真拡大 









 
写真拡大 対向列車の向かって右側、ステップの下に、手のひらを上にしたようなアームが見える。小さくてわかりにくいが、これが集電アームである。左側は、サードレールの下に入って稼働中。架空線はないから、パンタグラフはおろしている。





写真拡大  列車はトンネルをくぐりくぐって、急勾配を登り続ける。ぱっと眼前が明るくなる。・・・と、そこはもう軽井沢の高原だった。






 

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2008年07月18日

琵琶湖越しに



写真拡大■高島市萩の浜水泳場の近く。いまは移植されてしまったが、かつて四高桜の並木があったあたり。左奥、鳥の左下の高いピークが阿星山、左端、一番手前が湖岸道路沿いの岡山である。







■ 穂高から三上山まで
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 068.ちょっと寄り道・碓氷峠・3

 
写真拡大 いよいよアプト式区間にはいる。ED42が前に1両、後ろに3両つく。12時45分横川発。ソロリソロリと行く。あまりののろさに、ラックレールにかみ合うまでかと思っていたが、そうではなく、かみ合ってからも同じ速度だった。

 写真、横川にいた3重連。


写真拡大 横川(海抜386m)から軽井沢(同942m)まで11.2Km、標高差約550m(最大勾配66.7‰、1000m走って66.7m上る)を48分かかって登るわけだから、時速になおして、14.0Km/h。実にのんびりしたもの。




写真拡大 トンネルの数26個、アプト区間の開通、明治26年。偶然に一致とはいえ面白い。着工は東海道線より早く、明治15年、その理由は「東海道線は太平洋岸を走るため、外的の攻撃を受けやすいから」だとか。




写真拡大 ステップの下を見ると、台車に取り付けられた箱状のものが見える。それからさらに左側に腕が伸びて、四角に小さく光る面が2つ並んで見える。この面がサードレールをしたからこすって集電する。大阪地下鉄の御堂筋線など、古い路線はこの方式をとっている。


 
写真拡大 レールの中央に敷かれたラックレール。これに機関車側の歯車をかみ合わせて勾配を登る。
 レールの外側のサードレール。送電のためのレール。上と側面はカバーされてレールそのものは見えないが、機関車の台車につけられたアームが下からこすって集電する。


 
写真拡大 水平区間、ラックレールはついていないが、ポイント付近で、サードレールが右、左と分けて設置されている。








 

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八田正文
八田正文
1976年以来、30年にわたって近江富士・三上山の写真を撮り続けてきました。その三上山の姿を新旧とりまぜて・・・。 「穂高から三上山まで」・わたしの山と写真、連載中。こちらもよろしく。
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