野洲川服部大橋から
週刊 『近江富士拾遺物語』 第26号
今週は、日本列島記録破りの暑さが続きました。とくに後半は日本海から延びる前線に湿った南風が吹き込み、天気が不安定、見通しも悪くなりました。風景写真にはいちばん困った条件ですが、文句を言っていても仕方がありません。今回は服部大橋です。野洲川放水路工事中に、古代遺跡が発見されて、一躍有名になった場所です。まさに遺跡の上に架かった橋ということができます。(八田正文)
週刊 『近江富士』 撮影地点INDEX 月別・市町別で検索できます。
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野洲川の橋シリーズ第5回 「服部大橋から・1」橋は服部集落のすぐ近くに位置します。片側1車線で歩道もありませんが、車はたまにしか通らないので、撮影していてもさして苦にはなりません。地図を見ていただければ分かりますが、橋の西寄りからの撮影です。大きく写っているのが中洲です。いまは花崗岩質の砂が見えますが、いずれは樹木に覆われていくのでしょう。上流の橋は新庄大橋、左端、遠くに見える屋根が、新庄の集落です。撮影場所地図
070825A 服部大橋から・1
方位:322.6 度/距離:7.1Km
守山市服部町/2007.08.24
野洲川の橋シリーズ第5回 「服部大橋から・2」右岸(下流・琵琶湖に向いて右)の堤防上から見た三上山です。第25号稲荷大橋から3とよく似た構図ですが、写っている集落が違います。25号では服部の集落が写っていました。それはいますぐ横にあり、写真には写っていません。写っているのは新庄の集落です。撮影場所地図
070825B 服部大橋から・2
方位:322.0 度/距離:7.1Km
守山市服部町/2007.08.14
■服部集落側、橋のたもとに服部遺跡の案内板が立っています。それによると、服部遺跡は野洲川改修工事中に中洲小学校の生徒によって発見されたもので、昭和49年から54年にかけて、服部大橋を中心に、約12万㎡が発掘調査されたとあります。出土遺物は、稲荷大橋畔の守山市立埋蔵文化財センターに保管・展示されています。■琵琶湖ウォーク最終回特別企画「満月ウォーク」。2007.9.27(木)、大津市雄琴からラフォーレ琵琶湖まで。琵琶湖大橋の上から満月が昇るのを見ます。どなたでもどうぞ。詳しくは写真ステージ 「近江富士」 HPをご覧下さい。
週刊 『近江富士』 撮影地点INDEX
稲荷大橋から・補遺編
週刊 『近江富士拾遺物語』 臨時増刊号
前号「稲荷大橋から」の補遺編です。「近江太郎」とよばれた暴れ川野洲川。その野洲川が大きくターンしていた魔の場所、それがいまの稲荷大橋のすぐ東の地点でした。この辺り、かつての川はほとんど平坦化されてしまいましたが、この稲荷神社周辺に旧堤防跡がわずかに残っています。(八田正文)
■稲荷神社横の案内板に付されている地図です。野洲川歴史公園の赤い文字に重なってS字形に蛇行しているのが旧野洲川北流跡です。案内板には「U字形に向きを変える」と表現されていますが、まさにその通りです。増水時、人々がいかに恐怖におののいたか、想像に難くありません。
■雛鶴稲荷神社です。いまからおよそ 250年ほど前に、堤防の守護祈願のために建てられたと伝えられています。野洲川歴史公園整備に伴い2005年に本殿覆屋・拝殿が改修されました。写真、杉の木の向こうに見える土手が、旧野洲川北流堤防跡だといいます。
■サッカー場です。その昔、恐怖の野洲川の中心点だった場所に作られているわけですが、いまでは、いつもこのように少年たちの元気な声が響いています。うらやましいかぎりです。写っているのは人工芝ですが、天然芝のコートもあり、まさにサッカー天国です。右上に見えるのが稲荷神社です。
■西側(左岸)堤防から見た稲荷大橋と稲荷神社の森です。この森の向こうがサッカー場。
■橋上から下流を見たところです。雲がかかっているのは比良山です。このような雲のかかり方は、夏というよりは、晩秋から初冬にかけての感じで、信州小諸あたりから見る浅間山や千曲川を想起させます。比良山手前に琵琶湖が横たわっているわけですが、ここからは見えません。週刊 『近江富士』 撮影地点INDEX 写真ステージ 「近江富士」 HP
野洲川稲荷大橋から
週刊 『近江富士拾遺物語』 第25号
琵琶湖湖岸から始めた野洲川の橋シリーズ、直線距離で約2Kmさかのぼり今回は稲荷大橋です。橋のたもとに稲荷神社があって、その横にサッカー場があります。いまは少年たちの元気な声がとぎれない穏やかな空間ですが、かつては野洲川の北流が大きくU字型にターンするという治水の難所でした。そのことは8月22日発行の臨時増刊号で触れることとし、まずは現況から。(八田正文)
週刊 『近江富士』 撮影地点INDEX 月別・市町別で検索できます。
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野洲川の橋シリーズ第4回 「稲荷大橋から・1」橋はほぼ東西方向にかかっていますが、撮影場所は西端に近い地点です。幸津川の集落に近く、右後を振り向くと中洲小学校の校舎がすぐそこに見えます。クリスマスツリーのメタセコイヤがいやでも目につきます。画面左手(川向こう)に見えている樹木の茂った緑地は中洲で対岸の堤防は判然としません。右側は樹木の外に河川敷があって堤防に続きます。撮影場所地図
070818A 稲荷大橋から・1
方位:324.7 度/距離:7.9Km
守山市幸津川町/2007.08.14
野洲川の橋シリーズ第4回 「稲荷大橋から・2」左岸(下流・琵琶湖に向いて左)の堤防から見た三上山です。河川敷の水際の樹木が邪魔をして、流れはほとんど見えません。それらの樹木の向こう、山の稜線では、左端近くに、こぢんまりとしてピークが見えますが、これが城山です。近江八幡あたりから見ると、傾いた台形を示して目につきやすい山ですが、こちらからだとそれほどの存在感はありません。撮影場所地図
070818B 稲荷大橋から・2
方位:324.1 度/距離:7.9Km
守山市幸津川町/2007.08.14
野洲川の橋シリーズ第4回 「稲荷大橋から・3」一見、上の写真とよく似ていますが、よく見ると堤防の向こうの様子が異なります。雑然とした中洲とは違って、きれいな田圃と落ち着いた集落。こちらは稲荷大橋からさらに500mほどさかのぼった右岸からの撮影です。稲荷大橋と服部大橋の中間点あたり、見えているのは服部町の集落です。撮影場所地図
070818C 稲荷大橋から・3
方位:325.4 度/距離:7.3Km
守山市服部町/2007.08.14
8月22日に臨時増刊号「稲荷大橋から補遺編」をUPします。
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野洲川幸浜大橋から
週刊 『近江富士拾遺物語』 第24号
野洲川の橋から見た三上山。3回目です。今回は国道477号が渡る幸浜大橋からです。名前を聞いただけではどこにあるのか、ぴんとこない名前ですが、橋の両側の町名、幸津川(さづかわ)町と小浜(こばま)町をつないで名付けたのでしょう。一応国道ということになっていますが、車の量は特別多いわけではなく、のどかな表情を見せています。(八田正文)
野洲川の橋シリーズ第3回 「幸浜大橋から・1」琵琶湖からの距離約1.5Km、のどかな田園地帯にかかる橋です。水の流れは緩く、上流からの流砂が堆積するのでしょう、ずっと中洲が続いています。写真で見える範囲の草や樹木が茂ったところはすべて中洲です。そんな中で白鷺が浅瀬に降り立ち、羽を休めています。上流に見える橋は、稲荷大橋です。撮影場所地図
070811A 幸浜大橋から・1
方位:326.0 度/距離:8.5Km
守山市幸津川町/2007.08.09
野洲川の橋シリーズ第3回 「幸浜大橋から・2」右岸(下流に向いて右)の堤防がまっすぐ三上山に向いて伸びています。山の右に見える林は稲荷神社の森です。以前はもっとこんもりしていましたが、左手のサッカー場の建設に伴ってだいぶ間引かれ、風通しがいい風景になりました。8月のこの時期でも、耳を澄ませば、中洲からはウグイスの鳴き声が聞こえ、サッカー場からは元気な少年たちのかけ声が聞こえてきます。三上山の右、遠景の高い山が阿星山です。撮影場所地図
070811B 幸浜大橋から・2
方位:325.5 度/距離:8.5Km
守山市小浜町/2007.08.09
神社に合わせて橋を造ったわけではないのでしょうが、この橋のたもとにも神社があります。大水口神社です。境内には「川切れ百周年記念 治水・愛水野洲川の郷」の碑があって、裏には平成8(1996)年9月7日の日付があります。月はともかく、日まで明示しているのは、単なる建立の日付ではないはずだと、守山市史を調べてみました。その歴史年表によると、「1896年9月7日、野洲川大洪水、新庄堤防130間等が決壊し、中洲地区一帯は泥海と化す」とありました。決壊箇所上記新庄の他3カ所、水禍は旧野洲川北流を境として南は現在の草津市烏丸半島にまで及んだといいます。なお、ここでいう「中洲地区」は、上の写真でいう中洲ではなく、旧北流・南流に挟まれたデルタ地帯の意味です。
橋のたもとの大水口神社


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野洲川天満大橋から
週刊 『近江富士拾遺物語』 第23号
7月31日(火)、滋賀県地方はかっらとした透明感の高い空気に覆われました。例年ですと、立秋が過ぎたあたりにこのような日が一日あるのですが、今年は少し早かったようです。
前回から始めた野洲川にかかる橋から見た三上山、今回はその2回目。天満大橋からです。(八田正文)
前回から始めた野洲川にかかる橋から見た三上山、今回はその2回目。天満大橋からです。(八田正文)
野洲川の橋シリーズ第2回 「天満大橋から・1」最下流湖岸道路中洲大橋の900mほど上流にかかる橋です。中洲大橋は車がひっきりなしに通りますが、この橋は逆にほとんど通りません。橋の北東側小浜町集落のはずれに天満宮(写真下欄外)があって、それが橋名の由来のようです。写真は川を真ん中にした両岸のように見えますが、右側は中洲です。上流の橋は幸浜大橋です。撮影場所地図
070804A 天満大橋から・1
方位:326.1 度/距離:9.1Km
守山市小浜町/2007.07.31
野洲川の橋シリーズ第2回 「天満大橋から・2」中洲を越えて反対側へ出ました。中之島を挟んで川が2つに分かれて流れています。左の写真が下流に向かって左側の流れです。右端に、中洲大橋からも見えていた中洲小学校のメタセコイヤが見えます。中洲の樹木は、この放水路が完成してから20年あまりの間に伸びたものでしょう。増水時、流水の抵抗になるはずですから、しかるべき時に切り払われるのでしょう。撮影場所地図
070804B 天満大橋から・2
方位:325.5 度/距離:9.0Km
守山市小浜町/2007.07.31
橋のたもとの天満宮


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