凍る川面
週刊「近江富士」
■野洲川放水路に流水されて間なしのころです。河床が平らで、川幅一面に水が広がって流れていました。当然のことながら水深は浅く、寒い朝など岸に近いところではこのように凍っていました。場所は、川田大橋の上流、河川敷もほとんど平坦な野原で、どこからでも簡単に川岸に下りることができました。
氷をアップするため、ワイドレンズを使いたく、ゴム長を履いて流れに三脚を立てて撮ったものです。
■むかし語り音楽夜話
--------わたしの迷曲100選(軍歌からベートーベンまで)--------
7.『アッツ島血戦勇士顕彰国民歌』・・・・刃(やいば)も凍る北海の
作詞:真巽 久信
作曲:山田 耕筰
刃(やいば)も凍る北海の
御盾(みたて)と立ちて二千余士
精鋭こぞるアッツ島
山崎大佐指揮をとる
山崎大佐指揮をとる
「アッツ島玉砕」、あの時代に生きていた日本人には忘れられない言葉である。アッツ島、アリューシャン列島の一孤島である。そんなところでどうして、といまのわれわれは思う。昭和18年5月12日から始まった戦闘は、17日間に及ぶ激しい戦闘の末、日本軍の玉砕に終わった。小学校4年生だった私は、このとき「玉砕」という言葉を初めて聞いた。
しかし、山田耕筰作曲のこのような歌があったことは、つい最近まで知らなかった。歌手・伊藤久男の死後、買い求めたCD・伊藤久男全集の中にこの曲が入っていた。驚いた。山田耕筰が「作った」のか「作らされたのか」その辺りのことはわからないが、戦死者の家族がこの歌をどんな気持ちで聞いたのか。
いくら「・・顕彰国民歌」だとはいえ、いかに「玉と砕ける」とはいえ、こんな内容の歌を皆が歌うはずがない。耳からしか入らない私の記憶に、それが残っていなかったのは当然のことである。
歌詞の4番に「・・・・敵六千は屠れども 我また多く喪(うしな)えり」とある。おそらくこの歌詞は大本営発表をもとに作られたものであろう。戦後の記録では、死者、日本軍 2,351名、アメリカ軍600名とある。いかに「大本営発表」とはいえ、10倍の誇大広告はひどい。それはともかくとして、尊い命を散らした3000名の若者に謹んで鎮魂の意を捧げる。
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