消えゆく樹木
週刊「近江富士」
■野洲川放水路の稲荷大橋畔。現在サッカー場や田園空間センターになっているところです。地図で見るとかつての野洲川はここでほぼUターンと行っていいほどの急カーブをしていました。その堤防の残りが削られていたころの写真です。幸浜大橋側、すなわち下流側から撮ったものです。いまはここにサッカー場のネットが見えます。 ■むかし語り音楽夜話
--------わたしの迷曲100選(軍歌からベートーベンまで)--------
11.『加藤隼戦闘隊』・・・・エンジンの音轟轟と
作詞:田中 林平・旭 六郎 作曲:原田 喜一・岡野 正幸 昭和18年
エンジンの音轟々と
隼は征(ゆ)く雲の果て
翼(よく)に輝く日の丸と
胸に描きし赤鷲の
印は我等が戦闘機
曲そのものは昭和15年に作られたらしいが、レコード化されたのは昭和18年だという。3連音符が随所に使われ、軍歌としてはしゃれたスタイルだったといえよう。この歌もよく歌われた。しかし、私自身としては、当時これといった記憶はない。ただ一般的にはやっていただけという歌をなぜここで取り上げたのか。まあ、あわてずに最後まで読んでください。
1999年4月。土曜・日曜だけ、自宅を開いて、三上山の写真を展示することを始めた。新聞等で取り上げていただいたこともあって、最初のうちは、毎日何人かの方が、来てくださった。初めてから2年ほどしたころだったろうか。人の流れが一段落したある日のこと、Oさんとおっしゃる、かなりご年輩のご夫婦がお見えになった。
聞けば、永年建築写真で生計を立ててこられたとのこと。いまは第一線を退いて風景写真を楽しんでおられるとか。私は風景写真ももちろんだが、建築写真にも少なからず興味があったので、いろんなことを教えていただいたりして、楽しいひとときを持たせていただいた。そんなことがご縁になって、その後Oさんご夫妻は、2~3ヶ月に一度ぐらいの割合で、遊びに来ていただくようになった。新たに撮られた写真を見せていただくのがほとんどだったが、そんなある日のこと、そのOさんが「私、昔、飛行機に乗っていたんですよ」とおっしゃった。
「飛行機?」、「どこか、海外旅行でも?」。「いえ、操縦してたんです」、「建築の現場写真を操縦士ながら撮ってたんですか」。考えてみれば間の抜けた質問をしたものと、後で自分自身馬鹿らしくなったが、その時はそう考えるしかなかった。
「戦闘機ですよ」。「???戦闘機て・・・」、「・・・戦闘機て戦争中の?・・」、またばからしい質問。「そう、加藤隼戦闘隊」、「へえー?」。思わず「本当ですか」と聞き返してしまった。「どうして、いま・・・」、また馬鹿な質問だと思ったが、Oさんは平然と「不時着しました。それで助かったんです」。敵の弾に当たっての不時着だったのか、自機不調による不時着だったのか、どこへ不時着されたのか、細かいことは聞き逃したが(聞いても分かるはずもないが)。
加藤隼戦闘隊。私などには歌の中の世界、架空の世界でしかなかったのだが、実際にその戦闘機に乗っていたという人が目の前に現れた。テレビゲームの中から、本当の人間が現れたばかりに驚いた。戦争はまだ終わっていない。
■風景写真同好会作品集第16号 (2008.01.27)UPしました。
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