花緑公園から
■野洲市花緑公園からです。公園内の森林センターからふるさと館の方へ向かう道ですが、正式な道ではないようです。自然にできた踏み分け道でしょうか。写真としてはありがたい絵になる道です。これがコンクリートで固められてしまうと写真になりません。真正面に見えるコンクリートブロックの小屋さえなければ、文句なしの絵なのですが。残念。■むかし語り音楽夜話
--------わたしの名曲迷選(軍歌からベートーベンまで)--------
44.夕月の歌-----ふるさとの 丘に来て-------
上の「夕月の歌」リンク先のmid ファイルは、私が急遽作りました。伴奏譜がなかったためメロディだけです。一応テストでは鳴っているのですが、皆さんのところでは鳴るのかどうかよく分かりません。もし鳴らなければお許しを。
作詞:寺尾智沙 作曲:田村しげる
1,ふるさとの 丘に来て
ひそかにも 君想う
夕月の
ほのかにかかる あの梢
あゝ あの梢
寺尾智沙・田村しげる、「白い花」の夫婦コンビの作品である。作品リスト等によると、昭和27年の作、「白い花」の2年あとということになる。リストには、伊藤久男の歌だとするのと、岡本敦郎だとするのと、2種類ある。私の淡い記憶では、伊藤久男だったような気がする。多分、最初は伊藤で、そのあと岡本がうけたということであろう。それはまあ、どちらでもよい。「白い花」に比べると歌われる率はものの数ではなかったが、これもいい曲だった。
上のリンクは、Dominoというソフトを使って私が打ち込んだもので、ロディーだけである。せめて伴奏譜があれば、もう少しましな演奏になるのだろうが、私の手元にはそれもない。残念だがやむを得ない。お許しを。
「夕月」とは、どのような月を指すのだろう。辞書によると、夕方に出ている月で、季語としては「秋」だという。もうちょっときっちりした定義があるのかと想ったが、これなら当たり前の話である。これでは面白くもおかしくもない。
たとえば、「十六夜の月」、これは日没後かなり時間がたってから昇ってくるから夕月とはいわない。満月はどうだろう。日没とほぼ同じころになぼるから、夕方に見える。とすれば満月も夕月ということになる。しかし満月は夜中にも見えるし、朝方にも見える。だから、満月を見て、夕月という言葉は浮かんでこない。
私は、夕月とは、「夕方にしか見えない月」だと考えている。
「新月」。これは太陽と同じ方向にあるから、当然、太陽とほぼ一緒に西の空に沈んでしまう。
「2日の月」、これは糸のような細い月である。太陽が沈んで1時間たらずは見えているが、すぐに沈んでしまう。よほど意識して探さなければまず見えない月である。
「3日の月」、これは「三日月」と書かなければ雰囲気が出ない。太陽が沈んでから、1時間あまりは見えているから、その気になって探せば見つかる。
「半月」、これは夕方南の空に見える。だいたい「6日か7日の月」である。
だから、旧暦の3日から5日ぐらい、日没前後に西の空に見える月。これが「夕月」だと考えている。
夕月と三上山、何度か挑戦したが、まだまともな写真が撮れていない。夕月は西の空だから、三上山の東側へ回らなければならない。なかなかいい場所がない。鈴鹿の麓まで行かなければならない。うまく撮れたらまた発表します。チャンスは一ヶ月に1回、年12回。いつのことやら。
■デジカメ わいわい村「とれとれ作品集」
■全国ふるさと富士サミット講演録 『谷文晁が見た三上山』
■写真ステージ 「近江富士」 HP


