野洲市野田から
■野洲市野田、家棟川からです。家棟川に沿って、国道477号から比留田まで、まだまだのどかな田園風景を見せてくれます。むかし語り音楽夜話索引を作りました。バックナンバー検索にどうぞ。
■むかし語り音楽夜話
--------わたしの名曲迷選(軍歌からベートーベンまで)--------
55.はげ山の一夜(続)-------ムソルグスキー-------
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翌朝、朝食をいただいていると、例の駅員さんがやってきて、「北海道からやってきた人が、餓鬼岳へ登ると行っている。一緒にどうだ」という。しかし、親切な駅員さんもいたものだ。もちろん旧国鉄の時代である。
餓鬼への登りは長かった。普通は、駅からバスが出て山の中のどこかまで連れて行ってくれる。しかし、ここはそんなことは一切なし。とにかく自分の足、それしかない。こんなにしんどかった登りは後にも先にもない。例のリンゴが肩に食い込む。早く減らしたい一心で、リンゴばかり食べていた。
北海道氏はかなり山慣れしている感じで、途中、こちらがばてているのを後目に、すっと行ってしまった。餓鬼岳小屋へ着いたのは、夕闇迫るころだった。小屋は番人なし。燕からやってきたという男が一人いただけ。先着しているはずの北海道氏はいなかった。燕まで足をのばしたのかも知れない。
翌朝、燕氏がごそごそし出して目が覚めた。あたりは明るくなっていて、別段魔物が出た様子もない。「ほう、槍が見えますね」とことなげにいう。指さす方を見ると、なるほど槍だ。餓鬼から燕へ向かう尾根の上に、小さく顔をのぞかせていた。見えるときはこんなに簡単に見えるのか。不思議だった。過去2回まで視界不良でダメだった。それがこんなに簡単に。上の写真は、小屋の中から見た槍である。上の黒い部分は屋根。下は腰板。間は当然窓ということだが、ガラスなどあるはずがない。突然、「はげ山の一夜」を思い出した。昨夜、魔物が出ていたのではないか。熟睡していて知らなかっただけで、この窓の外で、魑魅魍魎の大饗宴が繰り広げられていたのではないか。そんな思いすらする風景だった。
そんな思いも小屋の中だけだった。外へ出ればすぐ目の前から燕へ、一日行程だという尾根道が続いていた。以来50年、燕は登ったという話は何度か聞いたが、餓鬼へ登った人に会ったことはない。「燕の北に餓鬼という山があってね、いいとこですよ。年がら年中ムソルグスキーのはげ山の一夜が鳴っているんですよ」。いささかの自慢とホラの、数少ないネタの一つである。■むかし語り音楽夜話索引を作りました。バックナンバー検索にどうぞ。
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