またまた菜の花
■野洲市比留田。家棟川の近くから。気がつけば、ここのところ菜の花ばかりを撮っています。緑の麦畑に黄色い菜の花がよくマッチします。農道の縁だとか、川の堤防だとか、近づきやすいところに生えているためつい目がいってしまいます。太陽が高くなって、瓦屋根がよく光るようになりました。この場違いな強い光が邪魔だとの考え方もありますが、私は風景のアクセントとして、むしろ歓迎する立場をとっています。むかし語り音楽夜話索引を作りました。バックナンバー検索にどうぞ。
■むかし語り音楽夜話
--------わたしの名曲迷選(軍歌からベートーベンまで)--------
82.交響曲第3番「英雄」--------ベートーベン----------
昭和36(1961)年夏、トスカニーニ・NBC交響楽団のベートーベン交響曲全曲を買った。赤い箱に入った6枚組だった。そんな大金どうした。当然借金。どうして返したか。記憶にございません。前に述べた例の2枚組「第九」で、ぞっこん参ってしまった私は、ベートーベンといえばフルトベングラーと信じ込んでいた。かたや、トスカニーニといえば、私が手作りのレコードプレーヤーでアリ地獄へはまりかけのころ、学校から借りて帰った「ローマの松」の冒頭で、これはたまらんと拒否反応を起こした、その張本人だった。傾倒と背反、その差は大きかった。それがどうしてこの6枚組を買う気になったのか。今となってはよくはわからない。
あれから50年経ってしまった現在、トスカニーニの演奏が放送される機会はほとんどなくなってしまったいが、そのころは死去(1957.1.16)後4年あまり、トスカニーニNBCの名はラジオによく登場した。そんなことがあって、いつの間にか耳になじんでいたのだろう。
それと、音楽を聴く立場としては不純な動機だが、ジャケット、解説書などについてくる彼の写真(彼を被写体とした写真)がすきだった。暗黒をバックに、顔、手、指揮棒だけが白で表現される独特の写真。トスカニーニというとこの写真を思い出す。撮影者はRobert Hupkaという。舞台の照明を考えると、この種の写真がもっとあってもよさそうなものだが、他の指揮者にはこういう表現はあまりない。不思議である。以上余談。もう一つ、余談の余談。大谷高校の吹奏楽部定期演奏会の記録写真を頼まれたことがあった。この表現を思い出して、狙ってみたが、そう簡単にはいかなかった。やはりプロはプロ、素人にまねのできるものではない。それなりのライティングが必要なのだろう。
その当時の入門解説書に、この「英雄」について、次のようにある。(レコード番号等も添えられていたが省略した)------この曲のLPには、3枚の名演奏があります。トスカニーニ(ビクター)、ワルター(コロンビア)、フルトベングラー(エンジェル)がそれで、何れも録音は新しくなく、特に最初の2枚は良い音を楽しみたいという人には不満があるでしょう。 しかし、演奏のすばらしさはそんなことを吹き飛ばしてしまいます。灼熱的な迫力を誇るトスカニーニ、豊麗にして重厚なワルター、スケールが大きく劇的なフルトベングラー、どれをとっても間違いありません。-----(宇野功芳)----
私は、トスカニーニの演奏から、切れ味の鋭い鉈を振り下ろしたようなイメージを感じ感じ取っていた。そのころ高山で見た円空仏を思った。とすると、ワルターは慈愛に満ちた観音さん。フルトベングラーは眼光鋭くまわりを圧する仁王さんというところだろうか。
そのころ山へ行くと、不思議にトスカニーニを聞きたいと思った。それも「英雄」。なぜだか自分でもよくわからない。その後40歳代になってたまに山に登っても、そんな感覚は戻ってこなかった。トスカニーニの赤い箱が気になったのは、若さだったのかもしれない。
■花緑公園ふるさと館デジカメ教室 5月10日(土)
■むかし語り音楽夜話索引を作りました。バックナンバー検索にどうぞ。
■デジカメ わいわい村「とれとれ作品集」
■全国ふるさと富士サミット講演録 『谷文晁が見た三上山』
■写真ステージ 「近江富士」 HP


