小さな水田。
■野洲市小篠原、先日も取り上げた野洲市役所裏の家庭菜園です。ほんの小さな田圃に水が入りました。これだけでイメージが変わります。三上山の手前、明るく見える横長の山が妙光寺山です。むかし語り音楽夜話索引を作りました。バックナンバー検索にどうぞ。
◆朝日新聞週刊情報誌「あいあい AI 滋賀」に写真シリーズ ”三上山物語” を連載します。・・・・5月14日号スタート、約1年間の予定です。
■穂高から三上山まで
--------わたしの山と写真--------
001.まずカメラ-------アルコ35-----
想えば古い話である。昭和29年夏。大学3回生の夏。友人のHクンがコダクロームで上高地の写真を撮ってきた。彼は高校生のころから写真をやっていたが、私としては、コダクロームなるフィルがあることもそのとき知ったのだし、カラーフィルムなるものも、そのときまでは話しにきくだけだった。きけば日本には現像所がないので、現像はハワイまで送る。船便だと帰ってくるまで1ヶ月かかるという。そんな時代の話である。
もちろんその写真は焼き付けはできない。スライドにして投影するだけ。スライド・プロジェクターという言葉はあったのだろうか。ないことはなかっただろうが、一般に使われていたのは「幻灯機」だった。その幻灯で見た上高地の風景は美しかった。大正池、焼岳、そして穂高。来年は一緒に行こうと彼は誘った。
私はそのときまだカメラを持っていなかった。来年上高地へ行くならば、ただ行っただけではつまらない。どうしてもカメラが要る。そのときすでに勤めていた大谷高校からいただいていた給料、月5000円の中から、なにがしかずつを一生懸命貯めた。翌30年、やっとの思いで自分のカメラを手にした。
「アルコ35」というカメラだった。ちょうどそのころ「アルコ」という洗剤が発売され、始まって間なしの民間放送で、盛んにコマーシャルを流していた。お前のカメラは洗剤かとよくひやかされた。そのころのカメラの世界は、ライカ、コンタックススが宇宙の果て、そのそっくりさんのキャノン、ニコンが太陽系の外。さらにそのそっくりさんのニッカ(ウイスキーではない)、レオタックスでも雲の上。それさえ手が届かなかった。そんな時代である。洗剤でも何でもエエ。いまに見とれ、アワ吹かしてやるから。
きっちりした金額は憶えていないが定価が27,000円いくら。友人のHクンが行きつけのカメラ屋で25,000円で話をつけてくれた。35mm判でありながら、蛇腹式で、レンズが折りたためるという面白いスタイルで、その蛇腹式を利用して、レンズの繰り出し量を大きくとり、30cmまで接写ができることが売りだった。
側面である。本体とレンズ部がX字型のアームでつながれており、それを使ってレンズ部を前後に動かす。わかりやすい構造だった。・・・読んでくださる皆様方には何の関係もない。機械を見るとつい解説したくなる、悪い癖である。お許しを。さあ、これで焼も穂高も高山植物も、何でも撮れるぞ。
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