ポプラ並木・2
■湖岸道路が岡山城址を越えるところ、昨日とほぼ同じところです。すこし坂の下の方へ移動したら、このような道が見えます。三上山に向いていて、面白いかなと思いましたが、ちょっと(道が)大きすぎたようです。◆朝日新聞週刊情報誌「あいあい AI 滋賀」(毎週水曜日発行)に写真シリーズ ”三上山物語” を連載しています。・・・5月14日号スタート、約1年間の予定です。
■穂高から三上山まで
--------昔語り・わたしの山と写真--------
020.もうちょっと一休み-------
山へ行きだして3年目というと、「石の上にも3年」、そこそこのキャリアでということになりそうだが、実際には、延べ日数にすれば、過去2年で10日にもならない。考えてみれば無茶な話だった。通りいっぺんのガイドブックを斜め読みしただけで、餓鬼岳へ登ったり、天候が怪しいのを承知で、大キレットを上り下りしたり。しかし、無事でよかったという但し書きがつくが、この経験は私にとって大きかった。
このあと、昭和32(1957)年の暮れ、レコードプレーヤーを自作した。自作といえば大げさだが、モーター、アーム、カートリッジなどを買ってきて、組み立てるのである。ということで1万なにがしかで、レコードプレーヤーができた。といっても給料の1ヶ月分ぐらい。その上、レコードがなければ音は出ない。そしてまた1枚あればこと足りるものでもない。相手は無限の世界だからたちが悪い。これでいいという限界がない。月の小遣いの大半がレコード代に消えた。
さらにちょうどそのころNHKがFM放送の実験放送を開始した。それを聞くには専用のチューナーがいる。寺町へ行くとトリオかどこかから、チューナーのキットが出ているという。「FMなんて、見たこともなぶったこともないのだが、初めての者でも組めるの?」。相手の店員、「初めての者が組まなんだら、FMチューナー組めるヤツはいない」とはいわなかったが、穂高の今田重太郎老ならそういっただろう。
値段は忘れたが、目をつむってそれを買ってきた。早速その夜組み立てた。意外と簡単だった。早速テスト。しかし実験放送の電波は終了していた。いまのように一晩中電波を垂れ流している時代ではない。人間も電波も早寝早起き、節操があった。
翌日、テストしてみると、意外や意外、何の問題もなしにすかっと受信できる。と、悦に入っていると、家の前を車が通った。バリバリバリとノイズが入る。「何やいまのは?」、また車、同じようにバリバリバリ、バイクが来る。もっとひどい。
いまFM放送を聞いていて、こんなノイズに悩まされることはない。それどころか、ノイズの張本人の、車に乗ってFMが聞ける。あれは何やったんやと不思議だが、そのときは切実だった。車が通るたんびにバリバリでは泣くにも泣けない。早速寺町へ行ってきいてみた。アンテナ上げるしかしようがないやろな。「簡単にいうな」。しかし、いわれてみればその通り、ようするにアンテナ入力が弱いのだから、分からんことではない。
アンテナなるシロモノを買って帰った。電車で持って帰れたのだから、別に何も考えなかった。ところが組み立ててみてびっくりした。6畳の部屋いっぱいになった。これはお化けか。こんなもの屋根の上へどうして立てるねん・・・。
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