初夏・菩提寺
■湖南市菩提寺、平和堂近くの信号から。左の林が児童公園。その向こうに農業用水池がある。そこからの写真も絵になる。◆朝日新聞週刊情報誌「あいあい AI 滋賀」(毎週水曜日発行)に写真シリーズ ”三上山物語” を連載しています。・・・5月14日号スタート、約1年間の予定です。
■穂高から三上山まで
--------わたしの山と写真--------
029.大滝・蝶・常念-------
6.常念山荘から米原まで
常念山荘は、淡い記憶によると、学校の教室1つ分ないしは1つ半ぐらいのいわゆる大部屋、それも平屋だった。そう高くもない屋根はスレートかトタンか。それに大粒の雨が容赦なくたたきつける。
その音は一晩中、やまなかった。一日籠城も考えたが、果たして一日待って止むのか、この雨は。その疑問の方が大きかった。いまなら少なくともラジオによる情報もキャッチできただろうが、そのときラジオを持っているグループがいた記憶もない。
9時10分、小屋を出る。スゴイ雨だった。左の写真はどのあたりだったか、何の記録もないが、多分かなり下山して、一息ついたあたりのものであろう。そうでなければ、のんびり写真など撮っている状況ではなかった。道そのものが川になっている。足首まで水に浸かる。よけるにも避けるにも、道はこれしかないのだから・・・。水は濁っていて、道の状況は目視できない。おろす足がどこへ着くのか、おろしてみなければ分からない。生まれて初めての体験だった。
13時5分。須砂渡着。常念小屋から3時間55分。その間休みなし。バスは1日4本。それが13時27分というから・・・、助かった!。あとで分かったことだが、有明から中房温泉へのバスは不通になっていた。
いずれにしても、バスが来てくれてありがたかった。ほっとして豊科駅へ。・・・・中央東線が不通だという。そして東海道線も柏原~近江長岡間が不通だと。いまなら、「運転を見合わせております」と訳の分からんことをいうのだが、このときははっきりと「不通」。汽車が走らんかったら不通、当たり前やろ、モンクあるか。
とりあえず、松本15時30分の各駅停車で、名古屋まで。車中で、東海道線は開通したとの情報が入る。ちょっとは文化的になってきた。21時23分、名古屋着。松本・名古屋間6時間。左の写真は、どこかの駅での暇つぶし。
記録によると、「雨の中を歩いてビールを飲む」、と。いま、何の記憶もないが、多分東海道線の列車がなかったのだろう。それにしても上から下まで濡れネズミのはず。どんな顔をして、店に入ったのか。こられたほうも迷惑だったろう。翌朝、午前4時30分、臨時の電車急行が出るという。豪雨のあとを見ながら、6時7分、米原着。「彦根駅構内浸水のため、発車の見込み立たず」という。
天気は回復して、青空がまぶしい。地上は豪雨の爪痕。地上が水つきなら、もともと水が専門の琵琶湖なら船が走っているやろう。人間、暇なときはろくでもないことしか考えない。しかし本人はまじめ。改札へ行って聞いてみる。駅員曰く「こんな災害の時に、琵琶湖へ遊びに行く人いますかいな」。なるほど、我ながらアホなことでした。
上はホームにへたり込んで、元祖ジベタリアン。それにしても、足があってよかった。靴も乾いたし。
座ってばかりいても退屈だし、構内をうろうろ。いました、いました。E10。もともと奥羽本線の板谷峠用に製作されたらしいが、急カーブに対応が困難だとかでソデにされ(初めから分かっとるやろ)、北陸線の倶利伽藍峠でも出稼ぎをしていたらしいが、ここでもうまくいかず、不遇やね。木曽義仲か義経かしらんが何とかならんのか。
このときは、北陸線の田村・坂田間で交直切り替え区間のワンポイントリリーフに精を出していた。かわいそうやね。小錦が丁稚の使いやっとるようなものや。だいたいこんなバカでかい機関車を作っておいて、使い勝手が悪いとは何事やね。そんなこともあって、昭和23年に5両作られたらしいが、実働年数はたったの14年だったとか。
D52(有名なD51より一回り大きい。C62と一緒)のボイラーに動輪5,前輪1、後輪2。小回りがきくはずがない。どう考えても、板谷峠のスイッチバックには無理でした。
ユニークな機関車だったが、見たのはこのときが最後。しかし、いくらユニークでも30分も見ていたら飽きてしまう。なんぼ別嬪さんでも、毎日見てたら飽きるのと同じやね(これ××ハラ?)。
電車いつ動くのかなー。
■近江富士写真展開催中 花緑公園ふるさと館内ギャラリー兼休憩室
■むかし語り音楽夜話索引を作りました。バックナンバー検索にどうぞ。
■デジカメ わいわい村「とれとれ作品集」
■全国ふるさと富士サミット講演録 『谷文晁が見た三上山』
■写真ステージ 「近江富士」 HP


