水路から
■栗東市出庭。道の駅アグリの郷栗東から野洲の方に向いて5分ほど歩いたところである。農業用水路が3つに分かれているところで、これはそのうちの1本が見えている。■ 穂高から三上山まで
--------わたしの山と写真--------

051.秋の穂高
4.第2日(10月1日)、涸沢の朝。
4時半ごろから皆ガヤガヤやり出した。5時前に起き出して外へ出てみる。雲一つない快晴である。薄明の空に星が残っている。
涸沢ヒュッテ。走ってもいない人が流れて写っているから、シャッターはかなり遅いのだろう。日の出前か、日の出直後の写真だろうか。朝食の番が遅くなって、6時半に外へ出てみたら、峰々はもう朝日に輝いていた。早速カラーフィルムを詰めて撮影。
やっとこのころ、ネガカラーが一般化しだしていた。それまで、部分的にポジカラーは使っていたが、アルバムには残っていない。これが私のアルバムに残っている最初のカラー写真である。色あせしてただの色つき写真だが、カラーの山の写真第1号として、記録に残るものである。手前のナナカマドにまだ緑の部分も残っているようだが、これもカラーの材料であった。
涸沢周辺概念図山の雑誌か何かから引き写したのだろう。こんな図がアルバムに残っていた。現役の頃だから、今より時間はないはずだが、こんなものを書いているヒマがあったんだなー。不思議に思う。
下の写真3点、A,B,C。および明日みていただくD,E2点の撮影位置が読みとれる。
写真A:北穂沢。ヒュッテのすぐ裏から北穂高へ向かってせり上がっていく沢を撮ったもの。首が痛くなるくらい見上げているのだが、写真に撮ると、上りか下りかすら判然としない。下手な写真である。
このころのネガカラーは、いわゆるオレンジベースになっていなくて、簡単にモノクロームに焼けた。これもネガカラーの原版を焼きつけたはずである。カラー用カメラとして、学校の二眼レフ”ヤシカフレックス”を借り出していた。75mの準広角がついており、それを上向けに振って使っているから、こんな写り方をするのは当然の理である。
上の写真の解説図。よっぽどヒマだったんだなー。とくとご覧あれ。・・・こんなもの、見るほどのものか。はい、ごもっとも。
写真B:涸沢カールの定番もの。拡大すると、右下、這松の斜面を30人ほどのパーティーが登っていくのが見える。稜線上でとがっているのが涸沢岳。
6時40分、ヒュッテの前を出発。道はまず北穂の方へ登り始める。ザイテングラードのと利付きの半分ぐらいまでいったところで左へターンする。
写真C:涸沢小屋とザイテングラード中央に見えているのが涸沢小屋。上の写真では、右端ぎりぎりのところで小さく見えている。
上の稜線、いちばん低いところが白出沢乗越。そこに奥穂高山荘がある。その直下から左下に向かって下ってくる尾根がザイテングラード、重太郎尾根とも呼ばれる。登山道は、ここから這松帯を斜めに横切って、ザイテングラードの最下端に取り付き、そこから尾根を詰める。
田淵行男が屏風岩のテッペンから涸沢カールを撮った写真に、このザイテングラードが、鉛直に立っているように見えるのがあった。忘れられない写真である。
■近江富士写真展開催中 花緑公園ふるさと館内ギャラリー兼休憩室
■むかし語り音楽夜話索引を作りました。バックナンバー検索にどうぞ。
■デジカメ わいわい村「とれとれ作品集」
■全国ふるさと富士サミット講演録 『谷文晁が見た三上山』
■写真ステージ 「近江富士」 HP


