神社の杜から
■栗東市蜂屋。前回と同じ蜂屋だが、済生会病院からはかなり西へずれたところ。右の森は宇和宮神社の杜である。■ 穂高から三上山まで
--------わたしの山と写真--------

055.槍・双六・笠
1.京都から新穂高温泉まで。
昭和36(1961)年夏。日頃から親しくしていただいていた、職場の先輩のAさん夫妻と槍へ。Aさんとは、職場での仕事が一緒だったということもあるが、レコード道楽ということで、よく話しが合った。レコードは、Aさんが私に焚きつけたのだが、山は私が焚きつけた形だった。奥さんも一緒ということになり、総勢3人。
Aさんは、飛騨萩原町の出身だった。「最初の日はオレのところでゆっくりして行けや」ということで、昼前に京都を発つ。
1961年8月15日(火)
午前11時35分、比叡2号で京都を発つ。車内100%以上の混雑ぶり。もちろん座れず、最後尾のデッキに立つ。電車だからドアーはきっちりと閉まり暑い。2日続いた36度をオーバーする気温に、きょうもまた挑もうとする暑さだからたまらない。岐阜、13時11分着。
・・・当時、ビジネス特急”こだま”に、クーラーがついているということで、話題になっていたから、他の列車には冷房は着いていなかったのだろう。デッキに立っていったというのだが、どんな暑さだったか、今では想像すらできない。・・・・
高山線普通、車内は空いていて、ゆっくりと座れる。それでも発車間際にはほぼ満席ぐらいにはなっていた。美濃太田、白川口とすぎると、窓から吹き込む風が涼しく感じられるようになる。下呂でほとんどの客が降りてしまい、あとは数人が残るのみ。
16時12分に飛騨萩原着。バスに乗り込んで発車を待つ。16時30分頃、岐阜行が入ってきて、それからAさんが降りてくる。所用で高山へ行って来たのだとか。初めてのところであるので、そこで会えてほっと安心したりする。
・・・Aさんは、たぶん1日か2日か、先に帰省していたのであろう。16時12分の列車で着くことは、前もって連絡してあったから、これに合わせてくれたのであろう。・・・
Aさん宅へついて、風呂に入っていると夕立になる。うまく上がってくれれべいいが。
1961年8月16日(水)
雨はやんでいたが、山にはガスがかかり空は一面の雲である。
上呂発8時00分の列車で高山へ。
・・・上呂というのは、Aさん宅最寄りの駅。飛騨萩原から一つ高山寄り。下呂は温泉で有名だが、こちらは普通しか止まらない山の小駅。・・・
高山へ9時09分着。その間、雲が割れて薄日が差すようになり、高山ではいい天気になっていた。高山の街もこれで四度目、何となく親しみも湧いてくる。本格的登山者の姿は少なく、槍見から中尾峠を越えて、徳沢で人に会うという人が、一人目についたぐらい。
バス、10時高山発。平湯峠では、曇ってはいなかったが展望は利かず。
・・・もちろんトンネルはなかった。バスは平湯峠を越えて平湯温泉へ入っていた。平湯峠では、乗鞍行きのバスがスカイラインへ分かれていく。平湯温泉行きはエンジンブレーキを利かせながら、ガタゴトと下ってゆく。・・・
11時50分、平湯温泉着。
そこで乗り換え。12時00分発の神岡行き。栃尾へ12時40分着。Aさんのいとこさん宅へ寄る。昼食をいただいて、14時00分、栃尾発。バスは蒲田川をさかのぼり14時30分。新穂高温泉着。中崎山荘へ。
発電所がすぐ横にあって、そこから出るハム状の持続低音が気になるが、すぐそこにそびえる笠ヶ岳を見上げながら、川原に面した風呂にはいるのは気持ちのいいものだった。
夜、11時頃外を見ると満天の星空。明日の天気は間違いないだろう。
・・・と、まあ今なら、その気になれば、車で日帰りできる新穂高温泉まで、まる2日かけての移動。のんびりしたいい時代だった。・・・・
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