松の苗?
■栗東市六地蔵。きのうの家庭菜園の近くである。これはないだろうか。松であることは違いないのだが、すべての枝が真上に向かってまっすぐ立っている。こういうのを方々で見るのだが、意味がよく分からない。■ 穂高から三上山まで
--------わたしの山と写真--------
073.雪の西穂高・2(1962年3月)
・・・といっても、山荘までですが・・・。
1962(昭和37)年3月26日(月)
昨夜、気持ちよく晴れていた空も、今朝はかなり雲が多く、しかも、その雲は早く動いている。どうも天気は思わしくない。
7時15分、迎えに来てくれたI旅館の主人の車で出発。途中、同道する地元の人2人を乗せて、7時40分西穂登山口につく。槍見温泉の対岸、少し上流の地点に当たる。
気温6℃、そう寒くもない。見上げる対岸には錫杖の岩場が、雪をつけて朝日に輝いている。早速写真に収めて出発。
急な坂道を数回折れ曲がって登り切ると、高さ4mくらいの落葉松がたくさん生えている平地に出る。雪はよくしまっていて、ほとんど雪の上を歩くのとかわりがない。焼岳が逆光を受けて、意外と堂々とそびえている。雲は早く動いているが、まだ陽が差していて、明るい鍋平でザックを下ろして写真を撮ったりする。笠ヶ岳は、その頂上を雲でかくしているが、頂上直下から、一気に蒲田川左俣へ滑り落ちてくる穴毛谷がすごい迫力で圧倒してくる。
1時間ほど歩いて、8時40分、道が小鍋谷にそって穂高の方へ回り込もうとするあたりで、2回目の休憩。雲の動きはますます速くなるその雲が見上げる稜線の上で逆光に輝く。その雲の周辺が緑色に色づく。
10時、本州製紙小屋。空は鉛色に曇ってきて、ひと荒れ来そうになる。30分ほどで、千石尾根派生する尾根にとりつく。雪は柔らかく靴は完全に潜ってしまう。尾根にとりついてすぐ、Bさんが「オーバーシューズをつけましょう」という。オーバーズボンにオーバーシューズ、ウインドヤッケ、完全に冬山の装備をつけてしまうと、気分的にゆとりも出てくる。雪をともなった風がかなり強く吹き、全くの冬山の様相を呈していた。雪は斜面を走り来て、走り去る。稜線ではビュービューと不気味に風が鳴っている。
風はますます強く、顔を風に向けられなかった。Bさんが「これは本当の冬の山だ」という。そして、「これがまたいいんや。京都へ帰ってコーヒーを飲んで、思い出したら、たまらないんや」という。13時、千石尾根の稜線近くで昼食をとる。にぎりめしは冷たかった。それに比べて、テルモスに詰めてきた熱いお茶がとてつもなくうまかった。気温はマイナス4℃、身体を動かさずにいると、見ている間に寒くなる。あたりのものすべてが、身体から熱を奪おうとして、手ぐすねひいている感じであった。
千石尾根の稜線へ出てしまうと、空はいくらか明るくなった感じはするが、吹雪は弱まる気配すら見せなかった。稜線に出てからて1時間足らず、眼前に大きな尾根が迫ってくると、西穂小屋への最後の上りとなる。
吹雪はますます激しさを増して、前を行くワカンの踏みあとも消されがちになる。吹き抜ける風の音が不気味に鳴る。小屋への道を50mほど小さなコブを巻く。ちょうど吹きだまりになっていて、ヒザまで楽にもぐる。小屋は半分雪に埋もれて、その中から煙突が立ち上がり、煙を吐いていた。入り口はトンネルになっていて、そこにはいると全くの穴蔵だった。先の2人が出てきて、ほうきで身体についている雪を払ってくれた。オーバーシューズは凍っていて、なかなか脱げなかった。
靴を脱いで、火のある部屋へ通る。そこは乾燥室だった。窓が1つ。それも雪に埋もれて機能せず、煙突のまわりだけが熱で溶けて、そこから鈍く光が差し込むだけだった。ザックの中の整理さえも、電池なしでは不可能だった。
身体が冷えてくると、両足のモモのあたりがたまらなくだるくなってくる。登っているときは、全然疲れていないつもりだったが、今になってこんなに疲れてくるとは、やはり夏の道とは違う筋肉を使っていたのだろう。
小屋番は、23,4歳の若い男だった。4時ごろ「ご飯ですよ」と呼んでくれる。それが終わるとすることは何もない。足を冷やさないように、乾いたオーバーズボンをはいて布団に潜り込む。雪はいっこうにやむ気配を見せない。
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