トラクターが行く
■守山市洲本町。守山北高校の南西側の農地。三上山の右裾が面白い。普通は右下に雌山が一つ見えるのだが、この写真ではコブが三つ見える。拡大すれば分かるが、雌山の向こうに菩提寺山が見えている。■「穂高から三上山まで」・索引
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■ 穂高から三上山まで
--------わたしの山と写真・340--------
私が学んだ写真集/書籍・114
20.山本和雄作品集『穂高』・2
■山本和雄作品集『穂高』■著者:山本和雄
■発行所:山と渓谷社
■発 行:昭和50(1975)年5月20日
■山と渓谷社創立45周年記念出版
この本に「穂高と私」という文章があって、つぎのようにある。
略・・・・このように激しい穂高への傾倒が、いよいよ私の人生を左右することになってしまった。つまり、これほどまでに愛し、執着し敬慕する穂高と、つねに共にありたいという願望は、それまでアマチュアの域を出なかった私を、フリーカメラマンに踏み切らせたのである。学業も、職業も、結婚も、家庭生活も、山本意となった。そして今から10年前には、ついに教員生活に別れをつげたのだ。フリーになった私は、新しい希望に燃えて穂高に向かった。さあいよいよ、穂高との本当のつきあいが始まるのだ。本当に長い長い間の念願だった。穂高は、どんな表情で迎えてくれるのだろうか、私は不安だった。・・・・略
◆そうだろうな、これぐらいの決心がなければ、穂高はとれないだろう。仕事の合間を見て一泊ぐらいで往復していてはまともな写真が撮れるはずはない。生活も職業もすべて投げ捨てたのだから、まさに命がけ。冬山ともなれば、それだけでも命がけ。この本が出来たのは、フリーカメラマンになって10年というのだから・・・。私にはまねが出来ない。
■白い峰-北穂高岳東陵。北穂頂上に近い東陵の一ピークに過ぎないこの山も、雪の衣を着て裾を引いたさまは、独立峰のように立派で美しい。”恐竜の背”と表現される夏の岩尾根からは想像もつかない優美な山体を、陽が当たらない前穂北尾根の壁がバックとなって引き立たせ、鋭い稜線は冬山のような厳しさを見せるが、斜面の雪肌は春の陽に輝いて、まぶしく暖かい。
◆私は北穂に立った経験は一度だけ。この写真を見てもどこの山かさっぱり分からない。北穂そのものから前穂のほうを向いて撮ったものだろうか。「前穂北尾根の壁がバックとなって」というのは、白い山稜の上の暗い部分のことを言っているのだろう。そういえば、暗い中に山肌が見える。北穂から奥穂へ行くのは、この峰を越えるのだろうか。もしそうだとすると、この稜線を歩いたことになるのだが。もちろん夏の話しである。
■デジカメ わいわい村「とれとれ作品集」
■全国ふるさと富士サミット講演録 『谷文晁が見た三上山』
■写真ステージ 「近江富士」 HP
世界地球市民の森・6
■守山市水保町。世界地球市民の森の中の一部になっているのだろうが、明富中学の横から速野小学校の方へ抜ける道である。つい最近まで、旧南流の端が残っていたが、今は撤去されてしまった。端の名前はどこかに残ってはいるが、今すぐには思い出せない。そこから旧堤防越しに見た三上山。■「穂高から三上山まで」・索引
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■ 穂高から三上山まで
--------わたしの山と写真・340--------
私が学んだ写真集/書籍・114
20.山本和雄作品集『穂高』・2
■山本和雄作品集『穂高』■著者:山本和雄
■発行所:山と渓谷社
■発 行:昭和50(1975)年5月20日
■山と渓谷社創立45周年記念出版
この『穂高』には著者略歴が載っていない。これよりあと、昭和56(1981)年に『上高地』という写真集が出版されているが、それによると、つぎのようにある。
・・・少年時代より山に憧れ、北アルプスを中心に日本の山々を歩き続け、写真も同じころより趣味として撮っていた。長く教職にあったが、退職後の1966年ごろより写真家を志して山の風景写真を撮り、その作品を各種の出版物に発表して現在に至っている。撮影は北アルプスがほとんどであるが、中でも穂高周辺をもっとも深く集中的に撮っている。
1974年3月、東京・富士フォトサロンにて写真展「穂高」を開催し、その後、京都その他各所にて数回、同展を開く。
1974年5月、山と渓谷社より、同社の創立45周年記念出版として、作品集『穂高』を出版。
1979年8月、山と渓谷社より、写真集『素顔の山』を出版。いかなる団体にも所属せず。
1928年生まれ、京都府在住。・・・
とある。
◆と、まあこういうことで、「いかなる団体にも所属せず」というのがいいね。そこで作品を1点。
■黎明の北穂高岳-涸沢にて。4月初旬、このころの涸沢は、まず北穂の山頂に朝の光が舞い始める。ほのかな朱色が、頂から次第に山肌を這い下り、やがて、南陵を涸沢を染め上げるが、その色合いはいかにも浅春と言った感じの淡いバラ色のモルゲンロートだ。涸沢のカール底は、まだ凍てつく寒さで、人気のない広大な雪面に立って静かに息づく穂高の朝を心ゆくまで眺める。これを山の序曲というのだろうか。
◆4月初旬の山、新学年のスタートの時期だがら、教員をしていては、絶対に不可能な時期である。その4月の涸沢。まだどっさり雪がある。涸沢からの何回か見ているはずだが、雪がつくと風貌を変える。も一つよく分からない。白い雪のスクリーンで、朝の太陽の光が強調される。
■デジカメ わいわい村「とれとれ作品集」
■全国ふるさと富士サミット講演録 『谷文晁が見た三上山』
■写真ステージ 「近江富士」 HP
世界地球市民の森・5
■守山市水保町。昨日までと同じ世界地球市民の森の中だが、少し下流の方へ移動して、旧堤防が少し残っておる所。何本かの裸木が集まっているうちの1本。すぐ左にちょっと移っている用に、葉を落とさない木が2,3本あって、絵になりにくい。■「穂高から三上山まで」・索引
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■ 穂高から三上山まで
--------わたしの山と写真・339--------
私が学んだ写真集/書籍・113
20.山本和雄作品集『穂高』・1
前回の小池潜さんの『山の彩り』のなかで、双六小屋を訪ねた写真家として、田淵行男、前田真三、白籏史朗などとともに山本和雄の名が出てくる。
わが山ー双六岳の中に次のようにある。
・・・・山本和雄さんには、父が小屋を始めたころから、親しくさせていただいているが、初めて撮影に同行させてもらったのは、昭和47年11月末であった。ドカ雪の中を2日がかりで鏡平の小屋にたどりついた。晴れるのを待ってセットした山本さんのカメラをのぞき込み、いろいろと教えていただいた。
それ以来、毎年と言ってよいほど撮影について行き、写真についてはもちろん、山への思いにも耳を傾けた。果ては一緒に酒を飲み、自然について語り合い、興がのれば、演歌を口ずさんだりした。この異色の人物と親しくおつきあいできるのも、写真をやっていたからこそとしみじみ思う。・・・・
その山本和雄の『穂高』である。山と渓谷社創立45周年記念出版だという。大冊である。写真ページにノンブルが打ってないので、総ページ数がいくらになるのか。一枚、二枚と勘定すれば分かるのだが面倒くさい。
■山本和雄作品集『穂高』■著者:山本和雄
■発行所:山と渓谷社
■発 行:昭和50(1975)年5月20日
■山と渓谷社創立45周年記念出版
発行が昭和50年。私の暦で言うと、滋賀県へ引っ越して、5年たったところ。勤務先での仕事のウエートも大きくなり、実際に山へ行くこともほとんどなくなっていた。山の雑誌も以前ほど熱中して読むこともなく、情報にも疎くなっていた。当然これほどの記念出版の対象にになるのだから、雑誌等での活躍があったはずだが、それも知らなかった。奥付にある著者の住所が京都府長岡京市・・・とあるのを見て、なんだ近くの人だと思った記憶がある。
京都に住まいしながら、穂高を撮った人がいた。驚きだった。
■デジカメ わいわい村「とれとれ作品集」
■全国ふるさと富士サミット講演録 『谷文晁が見た三上山』
■写真ステージ 「近江富士」 HP
世界地球市民の森・4
■守山市水保町。世界市民地球の森の一角。手前は元野洲川南流の跡である。厳密には跡の一部というべきか。そこに去年のヨシが残っている。日中太陽光が強いときには、それが白く輝き、今年のヨシのみどりとのコントラストがすばらしい。この写真では夕方ではないのだが、ヨシが赤みがかってしまった。■「穂高から三上山まで」・索引
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■ 穂高から三上山まで
--------わたしの山と写真・338--------
私が学んだ写真集/書籍・112
19.「山の彩り小池潜写真集・7
■「山の彩り」■著者:小池 潜
■発行所:山と渓谷社
■発 行:昭和62(1987)年7月20日
■双六岳南稜より望む初頭の穂高連峰。11月上旬。山は11月上旬で初冬だ。それにしてもこの岩肌の鋭さはどうだ。いちばん左のナイフエッジが大キレット。見方によってこんなに鋭く見えるのだ。この鋭い描写は矢張り4×5の世界だろう。35mmの手持ちではここまでのすごさは出てこない。
■樅沢岳より望む初冬の槍ヶ岳。11月下旬。2日前(4月25日のページ)に、同じ構図で、8月の写真がある。その写真ではガスがかかって縦走路の一部が見えなくなっているが、これは全部が見える。山の影を見ると光が水平で、日没間際だということがわかる。そんな時間まで、きっちり晴れてていること自体が珍しいはずだ。見事。
以上、槍穂高連峰の飛騨側、何度か訪れた懐かしいところ。4×5による重量感のある写真。見事な写真集だった。
■デジカメ わいわい村「とれとれ作品集」
■全国ふるさと富士サミット講演録 『谷文晁が見た三上山』
■写真ステージ 「近江富士」 HP
世界地球市民の森・3
■守山市水保町。世界市民地球の森の一角にすばらしい木が立っている。これから大きく成長すれば、市民の森のシンボルにもなろう。大切に育てたい。ゆめゆめ切り取られることなどないよう願っている。■「穂高から三上山まで」・索引
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■ 穂高から三上山まで
--------わたしの山と写真・337--------
私が学んだ写真集/書籍・111
19.「山の彩り小池潜写真集・6
■「山の彩り」■著者:小池 潜
■発行所:山と渓谷社
■発 行:昭和62(1987)年7月20日
■左・鏡平より望む新雪の槍ヶ岳。10月上旬。■右・ダケカンバの斜面と唐沢岳遠望。樅沢岳中腹より。9月下旬。
ガスが巻いて槍がすっくと高く見える。「ガスが巻いて」と口では簡単に言うけれども、その時そこにいなければ撮れないのだから、写真になるほどの風景はすべて千載一遇のチャンスだ。こんなチャンスに巡りあったら足が震えるだろう。右のダケカンバにしてもそうだ。こんなに一面ダケカンバの斜面などそうざらにはない。それに見事な光線だ。
■新雪の鏡平。10月上旬。これはいわゆる屏風構図で、視界も狭い。濃いガスで遠望がきかなかったのだろう。ちょっとシンドイ写真だ。
■ダケカンバ林と新雪。双六谷源頭。10月中旬。まっすぐ上に向かって伸びられないダケカンバの宿命。こうして雪をかぶって、今年もまたその重みに耐えてゆくのだろう。こんな雪の中、4×5の機材を担いで、いくら小屋周辺はわが庭だと言っても、簡単な話ではない。脱帽。
■デジカメ わいわい村「とれとれ作品集」
■全国ふるさと富士サミット講演録 『谷文晁が見た三上山』
■写真ステージ 「近江富士」 HP
世界地球市民の森・2
■守山市水保町。世界市民地球の森の一角にすばらしい木が立っている。墓地の一角である。写真で見ると墓地が市民の森に入り込んできた感じだが、もともとあったのは墓地で、それを市民の森が取り囲んだのであろう。■「穂高から三上山まで」・索引
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■ 穂高から三上山まで
--------わたしの山と写真・336--------
私が学んだ写真集/書籍・110
19.「山の彩り小池潜写真集・5
■「山の彩り」■著者:小池 潜
■発行所:山と渓谷社
■発 行:昭和62(1987)年7月20日
■樅沢岳から望む槍ヶ岳。8月下旬。すごい山ひだだ。槍の左が北鎌尾根。右下に向かって下ってくるのが西鎌尾根だ。いったん硫黄乗越に下りて、樅沢岳に登ってくる。その縦走路は正面から夕日を受けて、陰影がほとんどない。
■紅葉の山腹と笠ヶ岳稜線。ワサビ平から。9月下旬。秋の山はこのころがいちばんいいんだなー。9月下旬から120月初め。ワサビ平は行ったことがないから、笠ヶ岳がどう見えるのかもう一つぴんと来ないが、この紅葉の雰囲気はよく分かる。
■紅葉の鏡平と新雪の穂高。9月下旬。大キレットがすごい。画面左ぎりぎりのところが南岳。そこから北穂へ下り2時間登り3時間。ここから見ると北穂が一番大きく見える。残念ながら、この鏡平へも一度も行ったことがない。今となれば残念だ。残念といえば、画面右端の奥穂から西穂への稜線。結局つながらずじまいだった。
■デジカメ わいわい村「とれとれ作品集」
■全国ふるさと富士サミット講演録 『谷文晁が見た三上山』
■写真ステージ 「近江富士」 HP
世界地球市民の森
■守山市水保町。世界市民地球の森の一角。写真を拡大すると分かるが、三上山に重なって電柱が立った。こんな広場のど真ん中に、なんで?といいたいところ。傾いて立っているので、工事用の仮設だとは思うが、まともにこれをやられると困る。右に大きく菩提寺山が見えてくる。例の谷文晁が三上山のスケッチをした場所だと私が考えているところ。大事にしたい。
■「穂高から三上山まで」・索引
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■ 穂高から三上山まで
--------わたしの山と写真・335--------
私が学んだ写真集/書籍・109
19.「山の彩り小池潜写真集・4
■「山の彩り」■著者:小池 潜
■発行所:山と渓谷社
■発 行:昭和62(1987)年7月20日
■樅沢岳から望む抜戸岳稜線と笠ヶ岳(右上)。8月中旬。樅沢岳というのは、双六から槍へ向かうとき、一番最初に出会う山だ。カメラの場所からいえば、左が槍、右下が双六小屋。画面では、右奥が笠、その左手前が抜戸岳。ここから笠への量産は天国だった。左に焼と乗鞍が見える。その右奥に御嶽が見えているのだが、ちょっとわかりにくいだろう。
■双六岳南稜からの穂高連峰。手前は弓折岳の稜線。8月中旬。西側から見た穂高。やっぱりすごいな。槍がこの左にあって、白い雲がかかっているところが大キレットだ。雲の下に最低部がすーっと見えている。槍から来たとき、下り2時間、登り3時間の所だ。小さく島のように浮かんだ山頂が見えているが、中崎山だろう。この山と穂高の間が右股谷、手前が左股谷、この右下が新穂高温泉ということになる。
■硫黄乗越からの赤岳。8月上旬。槍から西鎌尾根を下るとき、右側に見える山だ。硫黄岳、赤岳と名前がついているが、すごい山やなと思ってみていただけで、どれがどれだか分からずじまいだった。しかいs、その赤茶けた山肌は一度見たら忘れない。
■デジカメ わいわい村「とれとれ作品集」
■全国ふるさと富士サミット講演録 『谷文晁が見た三上山』
■写真ステージ 「近江富士」 HP
いよいよ春。
■守山市洲本町。守山北高校の北西に広がる田園地帯。このあたりから見ると右すそあたりが面白い。コブがいくつか見えるが、左の一つが三上山の雌山。それから右は、菩提寺山が重なって見えている。■「穂高から三上山まで」・索引
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■ 穂高から三上山まで
--------わたしの山と写真・334--------
私が学んだ写真集/書籍・108
19.「山の彩り小池潜写真集・3
■「山の彩り」■著者:小池 潜
■発行所:山と渓谷社
■発 行:昭和62(1987)年7月20日
■残雪の槍ヶ岳。樅沢岳から。6月下旬。豊かな残雪。7月の初めだとこんなに雪が残っているのか。
西から見ているのだから、これは夕日だろうな。夕立が上がったあとだろうか。横雲がたなびく。
肝心の槍のテッペンが縫い目と重なってしまった。うっかりするとこういうことになるんだなー。一回レイアウトを組んでしまうとそう簡単には動かせないし。一つ動かすと連鎖反応で全部動いてくる。そのうちにまたどこかでつじつまが合わなくなる。
■丸山より望む三俣蓮華カールと水晶岳、鷲羽岳。8月上旬。このあたりは一回行っただけだったから、細かいことは忘れてしまったが、鷲羽岳(いちばん右の白い山)はでかい山だった。本当に品格のある山だった。水晶だけというのは4つ並んでいるうちのいちばん左の山だが、これもスマートな山だった。近くまで入ったが、縦走コースから離れているため、近くから眺めるだけだった。このあたりは本当の山の中という感じがする。どちらへ出ようとしても丸2日は罹る。膝が痛み出して、これで歩けなくなったらどうしようと、真剣に考えたことを思い出す。
■双六池と抜戸岳、笠ヶ岳。7月下旬。双六池、きれいな池だった。双六小屋で止まったものはほとんど槍へ行くか、裏銀座を三俣蓮華の方へ行く。笠へ行こうというものはほとんどいない。本当に一山貸し切り。そんな静かさだった。
■デジカメ わいわい村「とれとれ作品集」
■全国ふるさと富士サミット講演録 『谷文晁が見た三上山』
■写真ステージ 「近江富士」 HP


