日野町から
■日野町音羽。ブルーメの丘と国道477号の間。国道からはほとんど見えないが、ブルーメの丘の方へ入り込むとが見えてくる。田植えを終わったばかりの田圃が、このように徐々に下がっていく。右方に見えるピークが鏡山である。■「穂高から三上山まで」・索引
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--------わたしの山と写真・368--------
私が学んだ写真集/書籍・143
24.『大和路邂逅』・山田興司写真集・3
■『大和路邂逅』・山田興司写真集■著 者:山田興司
■発行日:昭和63(1988)年6月20日
■発 行:株式会社 京都書院
■著者略歴:1940年、京都市に生まれる。
1967年より同志社中学校理科教諭。
風景の中の天体と人間との関わりを著書、写真等で発表。
近畿民俗学会会員。
著書、写真集『同志社の四季』
■「三輪山ご来光」 磐余。一見すると、表紙の写真と同じに見える。しかし太陽の位置が僅かに違っている。表紙の写真では、太陽の光芒の線が真下の鳥居に向かっているが、左の写真では、それがずれている。
多分これは別の日の撮影であろう。同じ日に時間をずらしてとったのだと考えると、太陽がほとんど水平方向に動いたことになる。南極ならともかく、中緯度地方ではその様な動きはしない。空気の状態も変わっている。表紙の写真では、空気の鮮明度が高く、山が黒く写り鳥居はそれと同化してはっきりしない。それに比べて左の方は鮮明度が落ちたのだろう。山が白っぽくなり、鳥居が浮き上がった。推測するに、この写真は表紙の写真の翌日であろう。
■「石舞台、二上山落日」 飛鳥。二上山への落日である。うっかり写真だけを見て(題を見ずに)、「この写真は楽だな」と思った。というのは、ちょっと見ただけでは、手前にあるのは森だけのように見えたからである。
しかしよく見ると、手前に石舞台がある。これを対象にしようとするとカメラ位置は限定される。石舞台と二上山の関係はこれで決まってしまう。カメラは一切動かせない。あとは太陽が目指す位置へ来てくれるのを待つだけである。東京タワーとビルの窓との関係を同じである。この写真が撮れるのも、おそらく1年のうちで数日だけだろう。
■デジカメ わいわい村「とれとれ作品集」
■全国ふるさと富士サミット講演録 『谷文晁が見た三上山』
■写真ステージ 「近江富士」 HP
ポプラ並木
■日野町西大路。ブルー目の丘の裏手。牧場の周囲にポプラ立っており、そこから道路一つ離れた丘の上。写真の左下に見えるのが、道路を跨ぐ橋である。ここからみると、十二坊から鏡山に続く稜線の上に三上山が見える。
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--------わたしの山と写真・367--------
私が学んだ写真集/書籍・142
24.『大和路邂逅』・山田興司写真集・2
■『大和路邂逅』・山田興司写真集■著 者:山田興司
■発行日:昭和63(1988)年6月20日
■発 行:株式会社 京都書院
■著者略歴:1940年、京都市に生まれる。
1967年より同志社中学校理科教諭。
風景の中の天体と人間との関わりを著書、写真等で発表。
近畿民俗学会会員。
著書、写真集『同志社の四季』
■右・檜原神社。二上山落日。小さな写真では見にくいかも知れない。拡大すると、落日の下に山の頂が見える。そこまでしか見えないだろうが、実はこの山ピークが2つあって、太陽の左にもう1つ小さい峰が見える。太陽は2つの峰の鞍部に落ちるところである。
こういう写真は山カンでは撮れない。昔は何も知らずに適当に行けば撮れるぐらいに思っていた。たしか昭和30年代半ばだったと思う。カメラ雑誌に太陽と重なるタワーをアップした写真が紹介された。撮影者は誰か忘れてしまったが、その写真は未だにはっきりと覚えている。タワーの展望台より大きい太陽だったような記憶がある。解説に「この写真は偶然に撮れるものではない」とあった。
何でも、タワーがきっちり見えるビルを探してそこの窓から撮影をした。そこから見て、太陽がタワーの注文道理の位置に来るのは、1年中で1日か2日ぐらいしかない。という解説だった。そのときは、そんなものかなーと、漠然と分かった気はしたが、身体では分かっていなかった。分かったのは三上山を撮りだしてからだった。
いま、カシミール3Dを使えば、ほとんど100%の精度で日時を知ることが出来る。後は天気待ちだと言うことになる。しかし、このころはそれはなかったのだから、数日前から現場に立って、毎日太陽の動きを見て、決定的な時刻を待つという手法だったろう。
■デジカメ わいわい村「とれとれ作品集」
■全国ふるさと富士サミット講演録 『谷文晁が見た三上山』
■写真ステージ 「近江富士」 HP
初夏快晴・7
■守山市服部町。埋蔵文化財センターの裏手。サッカー場駐車場とつながった道路から。田植え直後の田圃である。■「穂高から三上山まで」・索引
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--------わたしの山と写真・366--------
私が学んだ写真集/書籍・141
24.『大和路邂逅』・山田興司写真集・1
■『大和路邂逅』・山田興司写真集■著 者:山田興司
■発行日:昭和63(1988)年6月20日
■発 行:株式会社 京都書院
1988年、いまから20年ほど前の発行である。「?大和路・・・」、大和路は入江泰吉さんと相場が決まっているのだが、と表紙の写真を見て、これは面白そうだと思わず中身に引きつけられた。そこには入江さんとは別の大和路があった。
カバーの折り込みに、
・・・・仰ぐ朝夕の太陽、夜空に冴える月や宇宙に輝く星々。そこに映し出された自然の神秘的な光景に、古代大和の原風景を見、感動の瞬間を写し重ねていた。本書は古代大和の自然と人との関わりを、見事に活写した資料価値の高い写真集です。・・・とある。
また、著者・山田興司(やまだおきし)氏の文章で、つぎのようにある。
・・・・大和路で、太陽や月そして星を追い求めていると、これらの動きが人間と深い関わりがあるのを改めて知ることが出来た。
人は太陽の出没により一日を、月の満ち欠けにより一ヶ月という概念を身につけ、これらを組み合わせて、一年という「生活暦」を作り上げることが出来た。これをもとにして生活のリズムをつかんだ人々は大自然の厳しさと闘いながら、一日一日を真剣に生き延びてきた。
大和平野で、東の三輪山から昇る太陽、西の二上山に沈むそれは、農耕生活の一つの目安でもある春分や秋分を知る大きな手がかりであったことを思われる。
自然の厳しさはいつも安定した農耕生活を約束してはくれなかった。このようななかから自然崇拝的な信仰が芽生え、今日に至っても確かな形で、引き継がれている。秋の収穫の後、年による差はあっても、これに感謝するいろいろな行事を大和のあちこちで見ることが出来る。・・・・
表紙の写真は、山田氏の文章にもある三輪山からのご来光である。大和路の写真集で、こんな表紙をもったものは他はない。私自身、三上山を撮り続けて、太陽との関係はまあまあつかむことが出来てはいた。しかし月となるとどうつかまえていいものか、立ち往生という状態だった。いまは国立天文台のHPで月の動きを求めることが出来るが、当時はそんなものはなく、理科年表と紙の地図が唯一の頼りだった。しかし、その理科年表にも太陽の動きは記載されていたが、月のデータはなかった。たかだか、いまから20年前の話しであるが、いまでは想像も出来ない状態だった。そんな時代の太陽、月の写真集だった。
■デジカメ わいわい村「とれとれ作品集」
■全国ふるさと富士サミット講演録 『谷文晁が見た三上山』
■写真ステージ 「近江富士」 HP
初夏快晴・6
■守山市服部町。昨日と同じ場所。カメラもほとんど動いていない。長さを換えただけで絵が変わる。きれいに整備された田圃なら、1mや2m、場合に寄っては10m以上動いても絵が変わらない場所がある。それに比べると、こういう小さい畑は面白い。ズボラもんにはもってこいの場所である。■「穂高から三上山まで」・索引
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■ 穂高から三上山まで
--------わたしの山と写真・365--------
私が学んだ写真集/書籍・140
23.『京都・十のある風景』・京都写真協会[編]・9
■『京都・十のある風景』・京都写真協会[編]■京都写真協会結成20周年記念出版
■発行日:平成2(1990)年10月21日
■発 行:株式会社 京都書院
◆岩船寺の塔。冬の淡い光の中で雪が舞う。最上層の屋根に当たる光がいい。こういう雪の日に、いち早く駆けつけること自体、決断力がいることである。関西地方でこのような雪が降ること自体まれになった。雪が降ったらどこへ行く。候補地は何カ所かあるはず。しかし身体は一つ。最後は決断である。京都市内から奈良県境まで、京都市内で降っていても、県境で降っているとは限らない。決断と同時に勇気もいる。決断自体勇気が伴うものだけど。
撮影:山本建三氏
◆金剛院の塔。金剛院?、どこにあるんやろ。インターネットで調べてみたら、京都府舞鶴市字鹿原だという。左は新緑、右は雪。これも一度や二度ではないのだろう。小さい写真では、ずん胴に見えるが、拡大してよく見ると、手すりらしい。本体はしっかり腰のくびれが見えるいい塔だ。
撮影:三田康史氏
複数の人間が一つのテーマに取り組む。簡単な話ではない。会員相互の調整も大変だったろう。全員のテンションを同じレベルにもっていく、これだけでも難しいことである。一人だけ頑張れば出来るという話しではないのだから。
■デジカメ わいわい村「とれとれ作品集」
■全国ふるさと富士サミット講演録 『谷文晁が見た三上山』
■写真ステージ 「近江富士」 HP
初夏快晴・5
■守山市服部町。小さな畑のなか。竹を組み合わせたつっかい棒が面白い。遠景の白い壁の建物がやたらと明るくバランスを崩しているが、まエエか。■「穂高から三上山まで」・索引
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■ 穂高から三上山まで
--------わたしの山と写真・364--------
私が学んだ写真集/書籍・139
23.『京都・十のある風景』・京都写真協会[編]・8
■『京都・十のある風景』・京都写真協会[編]■京都写真協会結成20周年記念出版
■発行日:平成2(1990)年10月21日
■発 行:株式会社 京都書院
◆醍醐寺の塔。これは有名な塔だ。その昔、伏見の町並みを撮っていたときに撮りに行った。左の写真は撮った記憶がある。いってみればストレートなアングルだ。写真は雪の日で、下からの光のはねかえしで各階層が照らされる。しかし、そのとき撮ったのは、左のアングルまで。右のような写真は思いつきもしなかった。こういうのを探す練習をしておけばよかったのだろう。なかなかね・・・。
撮影:左・右:都 相徳氏
◆海住山寺の塔。「海住山寺」がワープロでそのまま出るかなと、そのまま打ってみたら、「怪獣三時」とでた。
本の解説にはつぎのようにある。
・・・・”京に田舎あり”と言うにふさわしい周辺の風景に抱かれた空海ゆかりのこの寺には、国宝の五重塔があり、何か、若き日の空海をイメージさせる。急な坂を上り、ほっとしたとき、静かな本堂のかたわらに、国宝東寺の塔を小降りにしたような塔が目に入ってくる。
海住山寺、近くまでは何度か行ったことがあるが、寺までは足を伸ばしたことがない。こんな塔があったのか。
撮影:左・山本建三氏、右・小田とよみ氏
■デジカメ わいわい村「とれとれ作品集」
■全国ふるさと富士サミット講演録 『谷文晁が見た三上山』
■写真ステージ 「近江富士」 HP
初夏快晴・4
■守山市服部町。サッカー場の駐車場近く。小さな畑がいくつかあって、・・・前方に放置されている古い浴槽などがなければ結構絵になるのだが。古い浴槽は方々の畑で見かける。中を覗いたことはないが、水槽代わりに使っているのだろうか。■「穂高から三上山まで」・索引
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■ 穂高から三上山まで
--------わたしの山と写真・363--------
私が学んだ写真集/書籍・138
23.『京都・十のある風景』・京都写真協会[編]・7
■『京都・十のある風景』・京都写真協会[編]■京都写真協会結成20周年記念出版
■発行日:平成2(1990)年10月21日
■発 行:株式会社 京都書院
◆善峯寺の塔。京都の西山。このあいだもポンポン山へ登るのに、ここの駐車場を使わせていただいた。遊龍の松で有名である。以前この境内の上の方から三上山を撮ったことがある。京都東山の東福寺あたりを前にして、その山の向こうに三上山が見える。当然そのときにこの塔も見ているはずだが記憶にない。右の写真を見れば、この塔は遊龍の松のすぐそばにある。松を見た記憶があるのだが、人間すべて意識してみるかどうかで勝負が決まる。
撮影:左・右:能勢安治氏
◆安楽寿院の塔。名神京都南ICの近くにある。たしか、近鉄京都線の竹田駅あたりから西側に見える。以前、といっても昭和40年代の初め、伏見の町並みを撮っていたころ、何度か通ったことがある。しかし、この塔がまともに撮れた記憶はない。いまこうしてみると、なるほどこんな撮り方があったのかと思う。しかし、モノクロームしか考えられなかったそのころ、この発想は出てこなかった。
撮影:左・右:山本稔氏
■デジカメ わいわい村「とれとれ作品集」
■全国ふるさと富士サミット講演録 『谷文晁が見た三上山』
■写真ステージ 「近江富士」 HP
初夏快晴・3
■守山市服部町。埋蔵文化財センターの裏手へ回る。田植えが終わったばかりののどかな水田。■「穂高から三上山まで」・索引
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■ 穂高から三上山まで
--------わたしの山と写真・363--------
私が学んだ写真集/書籍・138
23.『京都・十のある風景』・京都写真協会[編]・6
■『京都・十のある風景』・京都写真協会[編]■京都写真協会結成20周年記念出版
■発行日:平成2(1990)年10月21日
■発 行:株式会社 京都書院
◆法輪寺の塔。勉強不足で法輪寺と言われてもぴんと来ないのだが、右の写真の端が渡月橋だといわれると何となく分かる。しかし、嵐山へ今まで何度行っただろうか。そんなところに塔があったかなと思うばかりである。右の写真主役は橋で、塔は添え物でしかないのだが、塔シリーズの中だと、これがちょっとは聞いてくるから面白いところである。
たとえば家のみ上山の写真。一枚物の写真なら、三上山はやはり添え物。しかしシリーズの中にあれば、山はどこにあるのかと意識してみる。この場合の塔も光る屋根がきいているが、この場合はもう少しレンズが長い方がよかったのか。しかしそれをやると、橋のすぐ上の大きな屋根が光って邪魔になるのかな。
撮影:左・右:塚原康元
◆宝積寺の塔。「ほうしゃくじ」と読むのだそうだが、法輪寺以上にわからない。どこにあるのか。説明によると、JR大山崎下車だという。(大山崎は阪急で、JRなら山崎のはずだが、まあエエ。いずれにしてもその辺だ)
左は、上からたれる枝にピントが来ている。この場合、どちらにピントを合わすか、プロでも迷うのだな。塔の写真集なら、矢張り奥だと思うのだが。
撮影:左・右:山本建三氏
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■全国ふるさと富士サミット講演録 『谷文晁が見た三上山』
■写真ステージ 「近江富士」 HP
初夏快晴・2
■守山市服部町。埋蔵文化財センター前から。かつての野洲川が大きくS字を描いていたところである。今はこのほかにサッカー場が出来て、連日若者の声が響いている。■「穂高から三上山まで」・索引
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■ 穂高から三上山まで
--------わたしの山と写真・362--------
私が学んだ写真集/書籍・137
23.『京都・十のある風景』・京都写真協会[編]・5
■『京都・十のある風景』・京都写真協会[編]■京都写真協会結成20周年記念出版
■発行日:平成2(1990)年10月21日
■発 行:株式会社 京都書院
◆仁和寺の塔。御室の仁和寺、遅咲きの桜で有名な寺である。大学の近くだったので、2.3度足を運んだことがあるが、塔があったかどうかまでは記憶がない。
春と秋とでは、こんなに雰囲気が変わるものか。もちろんアングルの違いもあるのだろうが。
撮影:左・村田奎太郎氏、右・室田康雄氏
◆清凉寺の塔。通称「釈迦堂」。塔はこのように軒下を撮るのが難しい。どうしても暗くなってしまう。これもぎりぎりの露出を与えている。一層部の瓦などオーバー気味だ。地面が白砂で、夏の日などが照り返す場合はあるが、他の季節では難しかろう。
撮影:左・右・小藪啓一氏
■デジカメ わいわい村「とれとれ作品集」
■全国ふるさと富士サミット講演録 『谷文晁が見た三上山』
■写真ステージ 「近江富士」 HP


