2008年05月07日
屋根光る
■野洲市三上。5月、太陽が高くなると、屋根の光が強くなります。山の斜面が陰になって、麓の集落の屋根が光るとき、日本の風景の美しさを感じます。むかし語り音楽夜話索引を作りました。バックナンバー検索にどうぞ。
■むかし語り音楽夜話
--------わたしの名曲迷選(軍歌からベートーベンまで)--------
97.六甲おろし-------立川澄人----------
もう一人、若くして亡くなった歌手を。立川澄人。
昭和30年代、京響がオペラに取り組んだ時代があった。ひょっとしたら、労音での公演だったかもしれないが、モーツアルトの「魔笛」をやった。立川澄人が現れると舞台が変わった。どこが変わったかといわれると返事に困るのだが、とにかく舞台がピシッと絞まるのである。緊張で絞まるとかそういうことではない。舞台はむしろ明るく、楽しくなるのだが、ピシッと絞まる。パパゲーノが笛を吹くところなど、その一つ一つの仕草が絵になった。魔笛に限ったことではない。フィガロの結婚でもそうだった。すごいなといつも感心していた。
その立川澄人が、「阪神タイガースの歌」を歌っている。「阪神タイガースの歌」といってもぴんとこないが、要するに、かの有名な「六甲おろし」である。21年ぶりの優勝ということで大騒ぎした昭和60(1985)年、まだ元気だった前の妻が、「おとうちゃん、これいるやろう」と、彼が歌うテープを買って来た。
「六甲おろし」が何種類ぐらいリリースされているのか知らないが、私はこの立川バージョンが最高だと思っている。その理由、声の質、声量これが抜群、しかし、そんなことは当たり前である。オペラ歌手の第一人者なのだから。それ以上にもっと大事な理由がある。
私がこだわるのは、歌詞の4行目、「・・・輝く我が名ぞ 阪神タイガース・・・」というくだりである。たとえば、古関裕而の死後発売された「古関裕而全集」に収録されているコロムビア合唱団版、その全集のための最新録音だという。これでは下のAのように歌われている。これだけに限らず立川版を除くすべてのものが、多分Aのように歌っているはずである。なぜなら、古関裕而がAのように書いているのだから。(付点音符などの表現が難しいので、間延びした表現になっているが、「かー」を1拍と計算してください。)
A.かーーがやーくわ|がーーなぞーはん|しーーーんーたい|がーーーーーすー
B.かーーがやーくわ|がーなーぞーはん|しーーーんーたい|がーーーーーすー
ところが立川澄人はBのようにと歌っている。A.「わがーーなぞ」とB.「わがーなーぞー」の違いである。作曲者がこのあたりをどのように考えて書いたか、これは分らないが、私は「わがーーなぞ」と歌われると、非常にだらしなく感じてしまう。きっちり「わが、な、ぞ、」と等分してスタッカート風に歌う方が気持ちがいい。ビシッとした野球をやるぞという気迫が伝わってくる。作曲者の意図に反するという大きな問題はあるけれども、それでも私はあえて立川バージョンを支持する。
両者に見解をきいてみたいところだが、残念ながら二人ともこの世の人ではない。立川澄人、Wikipediaによると、・・・1985年12月、鳥取県米子市内のホテルの年末ディナーショー中、最後の「メモリー」熱唱中に倒れ入院。一時的な回復を見せたが、大晦日に都内の病院にて脳溢血により死去した。56歳の若さだった。・・・という。ちなみに「六甲おろし」の発売は1980年だったとか。彼の死の5年前のことである。前の女房が、なぜ立川版を買ってきたのか。今となってはそれを聞くすべもない。
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