2008年06月11日
ネムの木
■守山市立入町。栗東市野洲川運動公園の続きの場所です。木の形からしてネムの木だと思いますが、ずいぶん大きな木です。◆朝日新聞週刊情報誌「あいあい AI 滋賀」(毎週水曜日発行)に写真シリーズ ”三上山物語” を連載しています。・・・5月14日号スタート、約1年間の予定です。
■ 穂高から三上山まで
--------わたしの山と写真--------

031.烏帽子・三俣蓮華・笠ヶ岳
1.京都から葛温泉まで
「神さんは、何でワシにだけこんな目にあわすねん」・・・、と思うこともある。しかし、長い目で見てみるとやはり平等なんだな、神さまは。大雨でひどい目にあった翌年、昭和35(1960)年8月、今度は見事な快晴続きだった。さあ、”裏銀座”をやるぞ。
1960年8月5日、京都駅、深夜0時21分発112列車(門司発東京行)に乗る。東海道線全線電化は昭和31年11月に完成していた。しかし、新幹線はまだない。いわゆるブルートレーン全盛時代へ向かう時代、我々はそんな列車には縁がない。門司発東京行き、もちろん普通列車。そんな列車が走っていた。そういえば、大阪発青森行きなんてのもあった。車内は20%ぐらいの混雑ぶり。例によって4等寝台。当時の長距離移動手段は、国鉄に頼るしか他に考えられなかった。そういう時代の話である。
この年から、1等車が廃止になって、今までの2等車が1等車に、3等車が2等車に繰り上がった。ということで、我々がやっているのは、3等寝台だが、それでは気分が出ない。やっぱり4等寝台がぴったり来る。草津あたりでニギリメシを喰って、ザック枕にウトウトする。米原でその横に妙齢の女性が立ち、具合が悪くなる。
午前4時10分、名古屋着。中央線の車両にはいって、朝食をとる。中央線、名古屋発の時刻は記録していないが、少なくとも5時台だったのだろう。これも普通列車。もちろんD51のお世話になる。夜行の準急の混雑にうんざりしていたのだが、名古屋早朝発の普通列車、これは天国だった。塩尻で列車の進行方向が逆になる。中央線の塩尻駅、今は確か、名古屋から来た列車も、新宿から来たのも両方とも松本の方に向かってはいるはずだが、そのころは、名古屋から来た列車は、新宿の方に向いて入り、そこでスイッチバックする形で、前後逆向きで松本へ向かっていた。
松本へ11時29分着。駅前で昼食をとって、松本城。13時13分、松本発大町行き。大町へ14に30分着。葛温泉行きのバスは15時40分。約1時間駅前で待つ。16時30分、葛温泉着。・・・さて、宿をどうするか。
大町での情報では、「山へ行く人は、T館に泊まるそうですよ。でもいつも満員らしいがね」とのことだった。
バスを降りると、川向こうに立派な「旅館」が見える。あれはワシらの行くところではないで。とりあえずT館へいってみようかと話し合っていると、大町から同じバスに乗ってきた年のころ40歳半ばのオッサン(ゴメンナサイ。今の私から見れば、40歳半ばはまだまだお若い青年だが、そのとき20歳半ばの私たちからは、立派なオッサンに見えた)が、「あんたたちどこに泊まるのか。私は・・・」と川向こうを指さして、「そこの河鹿荘へ泊まろうと思う。何だったら、一緒に行こうか」という。と、いわれても、あんなところへ泊まったら、途中で金がなくなるで・・・。
しかし、結局、T館は情報通り満員だった。おそるおそる河鹿荘へいってみると、例のオッサンは、玄関脇のソファーに上がり込んで、「来い来い」という。そうして、もう一人のオッサンを交えた4人で、一間へ通される。女中さんが、「よこそお越しで、ただいまお茶を持って参ります」などという。いよいよ懐が心配になってくる。おそるおそるオッサンにここの宿賃は?といいてみると、今夜と明朝の二食付きで、515円だ」という。ほんまか?、そんな安いことないやろ。もう一人のオッサンは、この旅館になれているらしく、すぐに風呂へ案内してくれた。立派な浴槽で、目の前に高瀬の渓流が見える。またまた、心配になってくる。
こうなったら、心配していてもしようがない。腹を決めて、自分で聞きに行こう。高けりゃ、今ならまだ逃げ出せる。結局、一人615円だった。オッサンの値段との100円の差、この意味は未だに不明である。風呂の最中に、雷が鳴り出して雨になった。
※インターネットで調べてみると、現在、葛温泉に『温宿 かじか』というのがある。そのHPに、・・葛温泉の元湯『河鹿荘』は、昭和44年8月の洪水で流失。『葛温泉:温宿 かじか』は、平成8年4月に再建した施設である。・・とある。
------つけたし-----
古いアルバムから次の写真が出てきた。日本鉄道史の中で、歴史的な一日、日付限定版なのでご覧ください。
東海道線全線電化営業運転開始の日、昭和31(1956)年11月19日、上り特急「つばめ」(大阪・東京間7時間半)である。
「つばめ」の最後尾、一等展望車。この一等車が昭和35年の等級改革で消え、従来の2等車が車両記号「ロ」のままで、一等車に格上げされた。これが後のグリーン車になる。
昭和31(1956)年10月12日、上り急行「西海」。事実上の電化トップランナー、EF58が牽いているが、後見役としてC59が後ろにつき、万が一に備えている。■近江富士写真展開催中 花緑公園ふるさと館内ギャラリー兼休憩室
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■デジカメ わいわい村「とれとれ作品集」
■全国ふるさと富士サミット講演録 『谷文晁が見た三上山』
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この記事へのコメント
クラシック音楽と山と鉄道、尾崎喜八、田淵行男のモノクロ写真の世界等。なぜか同じ対象に興味を持っていたのですね。思い出の青春時代を鮮やかに蘇らせてくれる文と写真にいつも引き込まれています。
Posted by ミッチー at 2008年06月11日 02:34


