2008年07月16日

運動公園



写真拡大■栗東市出庭。きのうのネムの花を撮っての帰り道、栗東市野洲川運動公園、アンツーカーのトラックと三上山。







穂高から三上山まで
--------わたしの山と写真--------


   
 066.ちょっと寄り道・碓氷峠

 1961(昭和36)年夏、東京で研修会があった。その帰り、まっすぐ帰るのももったいないと碓氷峠へ回る。碓氷峠のアプト式、子どものころから絵本でなじみにはなっていたが、見るのは初めて、研修会よりそっちの方が遙かに面白かった。

 
 1961年7月30日(日) 京都→東京

写真拡大 京都駅、9時32分”第1つばめ”。人間の記憶とはいかに怪しいものか。この年の夏東京で研修会があったことは記憶しているが、乗った特急は”こだま”だとばかり思いこんでいた。東海道線が全線電化されて、6時間30分の電車特急が出現した。それが”こだま”だった。だから、いわゆるボンネット型のこの特急は”こだま”型と呼ばれている。

 だから、このとき乗った特急も”こだま”だと思いこんでいた。ところが残っている記録は、”つばめ”だという。まあ、別に命に別状があるわけでなし、どちらでもいいのだが、人間の記憶は怪しいものだという話である。「それは違う。人間の記憶じゃなしに、お前の記憶や」。「確かにその通り、しかし私も一応人間の端くれで・・・でも、自分個人の問題を、人間全体の問題に広げたらあかんわな・・・」。

 というわけで、東海道線の特急”つばめ”、こどものころから「大きくなったら一度は乗ってみたい」と思っていた、あこがれの列車。まあ、そんな時代の話しである。その特急”つばめ”、車内は冷房が効いて、まずは良好なコンディション。しかし、スピードが上がってくると、走行状態は決してよくない。比叡や伊吹の東海型の方が遙かにいい。なんや、こんなものか。

 とはいっても、特急は特急、大声で話をする人もなく、皆お上品にすましている。普通急行のように、ステテコいっちょうになる人もなく・・・、これが特急と急行の違いか。そう、そうだった。忘れてしまっていたが、当時はいたんだなー、テレビの中の植木等みたいなオッサンが。

 それに車内の汚さったら、それはひどいものだった。列車そのものも汚かったが、車内そのものがもっと汚なかった。新聞紙、弁当殻、その他有象無象の雑物が足の踏み場もないほどに散らかっている。係りの人が、両手に短いほうきを1本ずつ持って、「はい、ごめんよ」などといいながら、あるときは左右のほうきを別々に両側から掃き寄せるように、ある時は2本のほうきをX型に組み合わせて、ゴミを押し出すようにはいていく。列車の走行中にである。駅へ着いたら、ホームで待ち受けているリヤーカーにデッキからはき出すのである。まあスゴイものだった。日本人はホンマどないなったるねやと、自分が日本人だということを忘れて、心底そう思っていた。日本人の一人であることがナサケナイ、そんな思いだった。特急にはさすがそれはなかった。


写真拡大 弁当ですませた方がやすいと聞いていたが、食堂車なるものも一度は見ておこうと、350円のランチを予約する。豊橋付近で食堂車から呼びに来てくれる。早速行ってみると馬鹿に走行状態がいい。この車両だけ揺れないようにしてあるとはふざけた話だ。そばにいた子供が、「ここは揺れないね」といっていたから、それぐらいの差があったことは事実である。
 15時30分、定刻に東京着。


 

■近江富士写真展開催中 花緑公園ふるさと館内ギャラリー兼休憩室
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デジカメ わいわい村「とれとれ作品集」
全国ふるさと富士サミット講演録 『谷文晁が見た三上山』
写真ステージ 「近江富士」 HP



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