2008年07月24日
水車小屋
■栗東市観音寺。国道1号高野交差点から、信楽へ向かう県道12号。道の駅”こんぜの里りっとう”を過ぎて、森遊館への別れあたり。左側にある観光用水車。ここまでやるなら、電柱等、もう少し配慮があったなあと思う。■ 穂高から三上山まで
--------わたしの山と写真--------
074.雪の西穂高・3(1962年3月)
・・・といっても、山荘までですが・・・。
1962(昭和37)年3月27日(火)
小屋の入り口にかかっている柱時計が5時をうつ。誰も起き出す気配はない。6時を打つ音に目を覚ますと、外からいくらか光が差している。小屋の中にいて、たった一カ所外が見えるのが便所の窓。外はガスがかかって、何も見えない。
「ご飯にしましょう」と呼ばれたのは、8時前だった。布団からはい出して、すぐに食べる朝食。小屋番の青年に感謝しつつも、これではどうしようもないな。ラジオを借りてきて、9時の気象通報を聞く。「東シナ海に高気圧があって、毎時50Kmで東に進んでいる。満州南部に低気圧があって、そこから南西に伸びる前線がそれを追っている。明日はまたその前線の影響で天気はやや崩れるだろう」という。
Bさんたちは、スキーをするといって、外へ出ていってしまった。あとに残ったAさんと2人、ストーブの番である。外は相変わらず雪が続いている。このままいても、明日も同じ天気ではないのか。
1時前に昼食。東シナ海からの高気圧が、時速50kmで進んでいるということだったが、南へ寄りすぎてるのかな。Bさんが「何なら、きょうこれから下ろうか」という。小屋番が、「明日もこんな天気だ」と自信ありげにいう。結局、「下る」ことに決定。

下山準備を整えたところ。左の写真、スキーが立っているとことが、小屋への入り口。バックの山を見ても、天気は明らかに回復傾向にある。
下山の前に記念撮影。左上が小屋の屋根。Bさんら3人はスキーで、我々2人はワカン。下りにかかったのは2時頃だった。そのころガスが切れて、小さく青空が見え出す。しかし、人間の意識の流れは不思議なもの。その青空を見ても「下る」のをやめようとは誰も言い出さなかった。
30cmほども積もった斜面をどんどん下る。最短距離を滑るように下っていけばいいのだ。一歩足を踏み出せば、2,3mは滑ってくれる。
あたりは童話の国のように白一色。新雪を蹴って快適に下っていく。


千石尾根から派生する尾根への100mぐらい、大きなトラバースをやる。上の写真、斜面に沿って下っているように見えるが、実際は横切っているのである。45度はあろうかと思われる急な斜面を横切るのである。前へ進もうと足を動かすと、意図に反して、身体は谷側へずり落ちる。「すべっても木があるから大丈夫ですよ」とBさんはいうが、こちらは素人、不気味なものだった。
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