2008年08月08日

イネ実る



写真拡大■野洲市南桜。丹精込めた稲が実ってきた。田植えから3ヶ月、外から見ている私などには、あっという間のような気がするのだが、世話をされる農家の方にとっては、簡単な話ではないのだろう。
 植え付けから収穫まで6ヶ月のこの植物を、常食にしようと考えた昔の人の知恵はスゴイ。



穂高から三上山まで
--------わたしの山と写真--------



089.番外編・板谷峠(1966年10月)

 
 前回の山行きから3年の年月が過ぎている。その間、結婚したり、職場での責任も増したりで、そう簡単には山へ行けない状態になっていた。そんなある日、東京での研修会に出席せよと、お鉢が回ってきた。きけば開会が月曜日の午後だという。
 昭和39(1964)年10月、東海道新幹線が開通によって、世の中の事情が変わりだした。開会を午後にすることによって、関西地方からの出席者は、一泊少なくコトが運ぶ。今では当たり前のことだが、当時としては目新しかった。

 研修会は10月3日(月)の午後から、前の日は日曜だし、その前の日は10月1日(土)は創立記念日で休日。・・・その昔、この日が東京の学校全部が休みだと知らずに涸沢へ出かけて、ひどい目にあった曰く因縁の日である・・・。とはいえ、このチャンスを逃すことはない。以前なら、山へ直結したところだが、まさかドタ靴はいてそのまま研修会に出席というわけにもいくまい。いろいろ考えた末、板谷峠へ行くことにする。自分の足での山歩きも面白いが、鉄道の山登りも楽しいだろう。折角行くのなら、ちょっと足を伸ばして、平泉、交流電化発祥の地・仙山線も面白そうだ。
 

昭和41(1966)年9月30日(金)

写真拡大 新幹線開通で、いろんなものが大きく変わったが、いちばん大きく変わったのが、京都駅の八条口(写真左)だろう。それ以前は、京都駅南口といって、奈良電(今の近鉄京都線)の小さな改札口があるだけの、わびしい片田舎の駅前、そんな感じだった。それが、近代的な駅前に生まれ変わった。

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 京都発19時18分、”ひかり46号”。車両は、新幹線の元祖0系。今となっては、このずんぐりしたスタイルが懐かしいが、当時は、「夢の超特急」だった。22時10分、東京着。開通当初は、東京-新大阪間、4時間運転だったが、このころは3時間10分になっていた。
 上野発の夜行に乗るのに、夕食後出かければいいのだから、4等で山へ行っていたころに比べると、まさに「夢」だった。


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