2008年10月03日
真正面富士・2
■一昨日、名神高速道路からの真正面富士を載せたところ、アットプロさんから、「京滋バイパスの東矢倉南の交差点を信楽方面へ曲がり、名神高速に架かる橋からこの構図と同じように三上山が見えます」、とのコメントを頂きました。名神の橋には、防護用のネットがあり、撮りにくい記憶があったのですが、とりあえず行って来ました。両手を伸ばして、カメラをネットの上に出して、ぎりぎり何とか撮れました。本気になって撮ろうとすれば、脚立が要りますね。アットプロさん、ありがとうございました。またポイント教えてください。■ 穂高から三上山まで
--------わたしの山と写真・145--------
あのころの馬籠
昭和43(1968)年8月22日


8時ごろ民宿を出て、まず永昌寺へ行く。『夜明け前』に万福寺という名前で出てくる寺である。街道から100mほど離れた丘の中腹にある。藤村の墓などがある静かなところ。霧が晴れだして、恵那山が姿を現す。別名船伏山といわれるとおり、船を伏せたようななだらかな稜線を見せる。


写真右、芙蓉の花である。馬籠ではいろんな所に咲いていた。私は例によってその花の名前が分からない。あまりたくさん咲いているものだから、人に尋ねて、やっと、これが芙蓉かと知った次第。
その昔、野尻湖へ行ったときのこと、湖岸線が大きく出入りするその湖を別名「芙蓉湖」というと教えられた。しかし字でおぼえるだけで、芙蓉の花そのものが分からないのだから話にならない。このとき、野尻湖の芙蓉はこれだったのかと納得した。以来この花の名前だけは忘れない。
街道から永昌寺への道。ひょっとしたらこの左の石段を登ったところが寺だったかも知れない。ちょっとした登り道で、右の木なども風景にうまくマッチしていい雰囲気だった。ここで一枚と三脚をセットしていたら、折良く荷物を担いだお婆ちゃんがゆっくりと登ってきた。それにしてもこの荷物の大きさには驚く。いまから40年前とはいえ、街では絶対に見かけない風景だった。このときも、まさに明治、江戸の姿を見るような気持ちであったのを思い出す。記憶に残る一枚だった。
■むかし語り音楽夜話索引を作りました。バックナンバー検索にどうぞ。
■デジカメ わいわい村「とれとれ作品集」
■全国ふるさと富士サミット講演録 『谷文晁が見た三上山』
■写真ステージ 「近江富士」 HP
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この記事へのコメント
めっちゃアクション早くて驚きです。
網目の間から撮れると思ったんですが、
無理でしたか‥。柵の上から撮るのもびっくり。
カメラマンは機動力ですからね。
網目の間から撮れると思ったんですが、
無理でしたか‥。柵の上から撮るのもびっくり。
カメラマンは機動力ですからね。
Posted by アットプロ at 2008年10月03日 09:12
ありうがとうございます。網の目がもう少し大きいと目の間から撮れるのですが。何であんな目の細かい網を使っているのでしょうかね。今後ともよろしく。
Posted by H at 2008年10月03日 09:40


