2008年11月21日

霧の朝・2



写真拡大■大津市雄琴北。かざみ公園から。上昨日と同じ構図である。薄い霧がかかっており、その上東のほうには低い雲が横たわっている。太陽は出ないだろうと思っていたが、その雲の間から顔を出した。






穂高から三上山まで

--------わたしの山と写真・189--------


三上山撮影開始・9



 昭和52(1977)年10月10日、朝の琵琶湖を撮ろうと、未明に家を出て、初めてバイクで琵琶湖大橋を越えた。秋の朝の寒さを知らず、昼間と同じ服装でいったのだから寒かった。「朝早うからどこへ行かはるの、寒いやろ」料金所のおじさんに声をかけられて、いざ琵琶湖大橋へ。まだ橋は1本で対面通行。そこをバイクで走るのは勇気が要った。


写真拡大 初めてのことでどこに何があるやら分からない。とにかく坂本あたりまでいってみようというのが、当初の予定だった。だんだんあたりが明るくなってきて、木の岡町あたりで日の出。朝の琵琶湖がこんなに美しいものなのかと感激した。沖に一艘ヨットが止まっているのが見えた。いまだと思えば、すぐに止まれるのがバイクの強み。車だとこういう訳にはいかない。道路沿いにバイクを止めて撮影した。これが記念すべき朝の琵琶湖第1作だった。ところがいまとなっては、これがどこだったか、全く思い出せない。まだそのころ、例の幽霊ビルが建っていた。それを過ぎて、鐘淵化学の工場までの間だったような気がするのだが、いま道路沿いでこのような絵が作れる場所はない。大宮川の改修工事などが行われ、様子が変わってしまったのだろう。

 下見もなしの一発勝負では緒戦勝ち目はない。結局このときは、もう少し南の唐崎あたりまで行って引き返した。


写真拡大 下阪本まで帰ってきたときには、太陽は高く昇って、日の出のときのオレンジ色は消え去り、全体がまばゆく白っぽい風景に変わっていた。その明るい風景の中に三上山がかすみ、きらめく湖面に釣り船が一艘、シルエットになって浮かんでいた。行き当たりばったりとしては、願ってもない風景だった。

 レンズを換え、構図を変えて、ブローニー判1本、10枚はあっという間だった。

 現像が上がってきてがっかりした。露出オーバーである。湖面の反映、空の明るさ、山の明るさ、身長に測ったつもりなのに、どうしてオーバーになったのか。
 左の写真がその写真である。露出の件は、そのときオーバー^だと考えたのだが、いま考えてみると、むしろもっとオーバーに、いまでいうプラス補正をしてもよかったぐらいのものだった。

 最初失敗だと思ったこの作品を、後に第1回目の個展に出品したところ、いちばん評判がよかったのだから、写真とは難しいものである。

 



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デジカメ わいわい村「とれとれ作品集」
全国ふるさと富士サミット講演録 『谷文晁が見た三上山』
写真ステージ 「近江富士」 HP


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