2009年01月04日
冬野
■ 明けましておめでとうございます。
今年は去年のようなだらしないことにはならないよう、
最後まで××をしっかりとやっつけることを願って、
新年の挨拶も黄色。
わからん人は気にせんでヨロシ。
■野洲市三上。ほとんど冬を感じられなかった三上の野。前日の雪がうっすら残ると、やはり冬である。冬枯れの畑をつらぬく一条の道。冬型の気圧配置で寒気が入ってきているとか、空は晴れない。■ 穂高から三上山まで
--------わたしの山と写真・231--------
1.『武蔵野』 島田謹介・その4昭和31(1956)年12月10日発行
暮らしの手帖社版 定価2,600円
一部省略しながら、「あとがき」を続ける。
林の入口に「一条の小径を隔てて直ぐのその東隣が四反程の雑木林だ。冬枯れも好い。若葉は実に美しい。早起きして水のような空気を吸っていると、林の奥に睡むそうな日が出る」と蘆花の一文が立て札に書いてある。この雑木林まで三十分位で行けるところに住む私は、早起きしては好んでこの林を訪ね、蘆花のいう水のような朝の空気を吸い、朝霧の雑木林から太陽の上がるのを眺めるのが楽しかった。四季それぞれ如何にも美しい林である。・・・略・・・
春の新緑を訪ねた雑木林は、秋にはすっかり伐り払われて、分譲地の看板が立ち、林の奥から賑やかな鉄槌の音がひびいて、そこにはすでに公庫住宅が赤い瓦を並べていた。全く今日の武蔵野は明日の武蔵野ではない。
獨歩が「武蔵野の美は、ただ其縦横に通ずる数千条の路を当てもなく歩くことに始めて獲られる」といっているが、今の武蔵野を当てもなく歩くと駐留軍の大きな施設にぶつかり、雑木林の上には無電の柱が林立している。武蔵野を歩いて一番悲しいことは、空高く張りめぐらした目障りな送電線と鉄塔から逃れられぬことだ。これは大東京の死命を制する大動脈としていたし方ないとしても林を抜けた先が高射砲陣地だったりして、ぎょっとする不気味さに、がっかりすることがある。
間断なく基地から飛び出すジェット機の爆音と大型機の轟音に、さすがに広い武蔵野の野も空も気違いのような騒音に包まれるが、急に遠雷の消えたような爆音の切れ間に、澄んだ小鳥の声を聴くのはあわれである。・・・・略・・・
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・・・・終戦前年の暮れも押し迫った日の夕暮れだった。B29の大編隊が、武蔵野の空しましと西のほうから東京を襲い、東京湾へと消えていったことがあった。このとき撃ち出す皇居内の高射砲の音に飛び立った幾百羽とも数知れぬお濠の鴨が、雁行する敵機の大編隊の下を、同じように同じように見事に編隊を組んで海のほうへ雁行していったのを思い出す。・・・・略・・・
昭和36(1961)年、私は生まれて初めて東京の地を踏んだ。武蔵野の片鱗でも残ってはいないかと高尾まで中央線に乗った。何の芸もない、やたらまっすぐなレールが、西に向っているだけだった。
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