2007年08月11日

野洲川幸浜大橋から

週刊 『近江富士拾遺物語』 第24号

 野洲川の橋から見た三上山。3回目です。今回は国道477号が渡る幸浜大橋からです。名前を聞いただけではどこにあるのか、ぴんとこない名前ですが、橋の両側の町名、幸津川(さづかわ)町と小浜(こばま)町をつないで名付けたのでしょう。一応国道ということになっていますが、車の量は特別多いわけではなく、のどかな表情を見せています。(八田正文)


写真拡大野洲川の橋シリーズ第3回 「幸浜大橋から・1」
 琵琶湖からの距離約1.5Km、のどかな田園地帯にかかる橋です。水の流れは緩く、上流からの流砂が堆積するのでしょう、ずっと中洲が続いています。写真で見える範囲の草や樹木が茂ったところはすべて中洲です。そんな中で白鷺が浅瀬に降り立ち、羽を休めています。上流に見える橋は、稲荷大橋です。撮影場所地図


 070811A 幸浜大橋から・1
 方位:326.0 度/距離:8.5Km
 守山市幸津川町/2007.08.09


写真拡大野洲川の橋シリーズ第3回 「幸浜大橋から・2」
 右岸(下流に向いて右)の堤防がまっすぐ三上山に向いて伸びています。山の右に見える林は稲荷神社の森です。以前はもっとこんもりしていましたが、左手のサッカー場の建設に伴ってだいぶ間引かれ、風通しがいい風景になりました。8月のこの時期でも、耳を澄ませば、中洲からはウグイスの鳴き声が聞こえ、サッカー場からは元気な少年たちのかけ声が聞こえてきます。三上山の右、遠景の高い山が阿星山です。撮影場所地図


 070811B 幸浜大橋から・2
 方位:325.5 度/距離:8.5Km
 守山市小浜町/2007.08.09

 神社に合わせて橋を造ったわけではないのでしょうが、この橋のたもとにも神社があります。大水口神社です。境内には「川切れ百周年記念 治水・愛水野洲川の郷」の碑があって、裏には平成8(1996)年9月7日の日付があります。月はともかく、日まで明示しているのは、単なる建立の日付ではないはずだと、守山市史を調べてみました。その歴史年表によると、「1896年9月7日、野洲川大洪水、新庄堤防130間等が決壊し、中洲地区一帯は泥海と化す」とありました。決壊箇所上記新庄の他3カ所、水禍は旧野洲川北流を境として南は現在の草津市烏丸半島にまで及んだといいます。なお、ここでいう「中洲地区」は、上の写真でいう中洲ではなく、旧北流・南流に挟まれたデルタ地帯の意味です。

                橋のたもとの大水口神社









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