2008年03月25日
守山市木浜町から
■守山市木浜町、湖岸道路沿いにある魚釣り場からである。目で見ると邪魔者もなくすかっとした風景なのだが、写真に切り取ると、このように横一線の対岸が何とも邪魔になる。難儀な場所である。むかし語り音楽夜話索引を作りました。バックナンバー検索にどうぞ。
■むかし語り音楽夜話
--------わたしの名曲迷選(軍歌からベートーベンまで)--------
54.はげ山の一夜-------ムソルグスキー-------
リンク先にある、「参考音源:MP3」をクリックしてください。
ムソルグスキーの交響詩「はげ山の一夜」。ヨーロッパでは、聖ヨハネ祭のころ、魔物が地下から現れて、山の絵で饗宴を開くと言い伝えられている。曲はその悪魔たちの饗宴と、夜明けの教会の鐘で魔物たちが退散するまでを描いている。描写的で親しみやすい曲である。私箱の曲を聴くと、50年も前の夏の日、北アルプス餓鬼岳の一夜を思い出す。
昭和32年、山へ行きだして丸3年、まだ山の歩き方も知らないのに、槍へ行こうと言い出した。友人Hは、上高地から槍沢を詰めるのがスタンダードだが槍沢が長い。燕へ登って、表銀座を縦走しようという。例によって一ひねりしなければ気が済まない私は、「表銀座」かてもっとスタンダードやないか。そんな誰でも行くところはおもしろない。もうちょっとなんとか考えようや、と地図を見ていて、燕の北に餓鬼岳という山があるのに気がついた。
餓鬼岳、なんちゅう名前や。えぐい名前やな。と、調べてみると、奇岩が林立していて、燕までは、尾根づたいに一日行程だという。しかし、アプローチの悪さが災いしてほとんど登る人もない。・・・これは面白い。と、いえたレベルではなかったのだが、当時はそんなことお構いなし。よしこれにきめた。
盆過ぎのある日、Hと二人、大糸南線信濃常盤駅に降り立った。夕方4時か5時かのころである。改札を通ろうとすると、「山行くのけ?」という。ザックにキャラバンシューズである。誰が見ても山へ行くのに決まっている。意味が読みとれなかった。「は?」、要領の悪い返事をしていると、ふたたび、、「山行くのけ?」・・・
「見たら分かるやろう」とはいわなかったが、内心「海へ行くように見えるけ?」・・・とおもいつつ、「はい」。・・・「これからけ?」。・・思わず顔を見なおした。・・・「こんな夕方から、山へ行くアホはおらんやろ」
と、いいたかったが、そこは京都の紳士である。「いえ、明日登ります」。・・・会話がかみ合わないというのはあのようなことをいうのだろう。このときまではこの駅員何を訳の分からんことをいうとんのか、とバカにしていた。・・・驚いたのは次の言葉だった。
「どこへ泊まるのけ?」・・・「???」。それをはよいえ、という余裕もなかった。辺りを見回した。なるほど、駅前に何軒か民家はある。しかし、一言でいえば広大な田圃の中。そういえば、さっきの電車で降りたのは、我々2人だけだった。いまなら、大町なり、松本なりへ出てビジネスホテルへ止まる手はある。しかしそのときの我々には、そんな智恵はなかった。いや、智恵があったにしてもビジネスホテルそのものがなかったろう。
「ちょっと待っとれや」、駅員は、いや駅員さんは、である。いうがはやいか3,4軒向こうの家へ飛び込んでいた。駅の事務室をほったらかしにしてである。しばらくしてその家から50年配の奥さんが顔を出してこちらを見た。引き返して来た駅員さんは、そこの「O衣料店に止めて貰えるように話してきたから」という。さっきのは、人相改めやったんや。駅員さんに三拝、九拝したのはいうまでもない。
夕食後のデザートに出してもらったリンゴを、「おいしいですね」といったのが、苦難の始まりだった。翌朝出発の時、無理矢理ザックを開かれて、「持っていけ、持っていけ」、あふれんばかりにそれを放り込まれた。欲と二人連れでいただいたが、重かった。荷物は肩に食い込むし、さりとて捨てるわけにも行かず・・・。
バカ話が長くなった。「はげ山」は明日の話になる。
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