2008年04月15日

湖畔の桜



写真拡大■近江八幡市長命寺、湖畔の桜。国民休暇村から長命寺港に向かうと、サクラの木の間から三上山が見えてくる。面白い岩が湖岸近くにあってアクセントになります。

 
  むかし語り音楽夜話索引を作りました。バックナンバー検索にどうぞ。


■むかし語り音楽夜話
--------わたしの名曲迷選(軍歌からベートーベンまで)--------
   
 75.チェロ協奏曲(ドボルザーク)----------パブロ・カザルス---------

 カザルスがチェロを弾いたのではない。指揮をしたのである。昭和36(1961)年4月20日、京都会館開館1年目、当時84歳のパブロ・カザルスが来日し、ドボルザークのチェロ協奏曲を指揮した。チェロは愛弟子の平井丈一郎、オーケストラは京都市交響楽団。

 昨日も少し触れた「京都楽壇史点描」に-----「あの音楽会はすごかった」と、いつまでも語り継がれる演奏会がある。-----との書き出しで紹介されている。
カザルスは、理想的に演奏ができるまで、飽くことなく徹底的にリハーサルを繰り返した。冒頭のわずか4小節を、カザルスは何度も何度も繰り返した。1時間かかっても、たった8小節しか進まなかった。数小節にこれだけ時間をかけたら全体を仕上げるのに何時間かかる?と心配させた。ところがこの箇所をマスターしたオーケストラは、続く部分を見違えるように演奏することができた。音楽の神様だけあって、その指導力はさすがに偉大だった。

 通訳を務めたソリストの平井丈一郎は、「練習しているうちに、リズムも音色も見違えるほどに磨かれていった。芸術は人をここまで引き上げられる力があるのかと、改めて驚いた」と話す。

 28日夜、入洛したばかりのカザルスは、19日朝10時から京響に稽古ををつけたが、午後1時すぎまで15分の休みを1回とっただけだという熱心さ。かたわらのチェリウスが見かけて「一度休まれては」と声をかけたが、耳にも入らぬようすで、大物を迎えて張り切る京響団員もネをあげるほどだった。

 以上、「京都楽壇史点描」から要約した。この本は平成7年4月から翌8年にかけて京都新聞連載記事をベースにしてまとめられたものという。初版発行が1996年、おそらく著者はその演奏会そのもを聴いてはいまい。しかし、その文章はけっして俗に言う”作文”ではない。まさにこの通りであっただろう。まったくの部外者であり、単なる一聴衆に過ぎなかった私にも、その様子が手にとるように読みとれた。

 いまと違って日本全体の音楽レベルが低く、その上、創立5年そこそこの京都市交響楽団は、モーツアルトやハイドンなど、編成の小さな曲をちまちまとやっていたころで、素人の私が聴いても分かるようなミスをよくやっていた。それがカザルスの指揮で変わったのである。50年近く経ったいまでも、そのときの感動をはっきりと思い出すことができる。

 指揮者一人で音楽が変わる。タクトの一振り一振りをおろそかにしない。聴衆の我々が見ていてもそれがはっきりと分かる。ただ音楽を音楽として演奏しただけである。それでいながら、いままでの京響の音楽とは、およそかけ離れた見事な音楽になっていた。平井丈一郎の言葉を借りれば、「奇跡は奇跡でなかった。カザルスの音楽に対する厳しい姿勢が、楽員を動かし、聴衆を動かしたのである」という。

写真拡大 私は、この演奏会に聴衆の一員として参加できたことを誇りに思っている。カザルスの指揮による音楽をこの耳で聞いた。自分の人生の大きな遺産の一つであると思っている。そのときカザルスは、日本ではチェロの演奏はしなかった。心残りといえなくもないが、かりに公開演奏会を開いていたとしても、20歳代の私には、彼のチェロを聴く力はなかっただろう。

 彼の残したSP録音は、LPになりCDになって復活した。いま持っているCDのうち、1点だけ残して、他はすべて捨てろといわれたら、私はフルトベングラーの「第9」と、カザルスのバッハ「無伴奏チェロ組曲」の2点を残したいと頼むだろう。もし、それが許されなければ、結局カザルスと選ぶだろう。

 
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デジカメ わいわい村「とれとれ作品集」
全国ふるさと富士サミット講演録 『谷文晁が見た三上山』
写真ステージ 「近江富士」 HP



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この記事へのコメント
八田先生も20代があったんだ・・・・ごめんなさい
カザルスといえば「私の生まれ故郷カタロニアの鳥は、ピース、ピースと鳴くのです」の 鳥の歌の逸話しか知りませんでした。
今と比べるといわゆる貧しい時代の20代の先生の柔らかい心に
この音楽がしみこんでいったか先生のこの文章よんでるとよく感じます。
情報が溢れ 世界中から芸術家が集まり 手軽に世界中に行くこともできる
分だけ感激も薄まっている様な気がします。どちらが豊かだったか今の世相を思うと歴然としていますね
Posted by 北岡篤子 at 2008年04月15日 10:02