2008年05月01日
森の向こうに
■野洲市市三宅。「市」が1個多いぞ、といってはいけません。地名は「イチミヤケ」です。私のHPの写真検索プログラムを作っていたときのこと。「市三宅」をキーにしたら、「守山市三宅町」がでてきました。野洲川堤防から見たところです。
むかし語り音楽夜話索引を作りました。バックナンバー検索にどうぞ。
■むかし語り音楽夜話
--------わたしの名曲迷選(軍歌からベートーベンまで)--------
91.交響曲第1番--------ブラームス----------
昭和41年(1966)10月、大阪フェスティバルホール。シャルル。ミュンシュ指揮、フランス国立放送管弦楽団を聴く。ミュンシュは昭和35(1960)年にボストン交響楽団を率いて来日しているが、その演奏会は聴いていない。ミュンシュといえばボストンの時代である。どうもこのころのミュンシュの音楽には肌が合わなかった。
そのミュンシュがフランス国立放送管弦楽団との演奏会である。
当時のメモに「パリ音楽院管弦楽団ほどうまくない。しかし、フランスものではかなり聴かせる。ところがブラームスとなると音の軽さが目立ってしまって物足りない。これほど国民性を見せたオーケストラも珍しい」と書いている。帰りの京阪電車の中で、なじみのレコード店でアルバイトをしている青年にあった。「ブラームスはつまらなかったですね」という。そうか、俺だけではなかたんだと思った。
パリ音楽院管弦楽団というのは、昭和39(1964)年春に来日した、アンドレ・クリュイタンスとのコンビのことである。私はそれを京都会館で聴いた。ベルリオーズ、フランク、ドビュッシー、ストラビンスキーというプログラムだったが、この演奏会はすごかった。ウイーン・フィルから始まって、かなりの外国オーケストラを聴いてきたが、トップクラスの演奏だった。ホルンのうまさは抜群だった。その弱奏の見事さ、どこから聞こえてくるのかと探したくなるような音、それに和するフルート、クラリネット、オーボエのうまいこと。
来日の翌年、クリュイタンスは癌でなくなり、パリ音楽院管弦楽団は解散して、パリ管弦楽団に変わる。
1967年、新生パリ管弦楽団の音楽監督にミュンシュが就任する。私が大阪で放送管弦楽団を聴いた翌年である。
それから数10年、今から数年前、CDショップ(そういえば、いつの間にかレコード屋という言葉が死語になっていた)で、ミュンシュのブラームスに出会った。ボストンか?とおもったが、そうではない。パリ管弦楽団だった。ボストンだったら買わなかっただろう。ミュンシュ・パリ管がどんなブラームスをやるのか。ちょっと聴いてやろうか、ぐらいの気持ちだった。第1楽章の出だしから、おッ、これはすごい。これがフランスのオーケストラかと驚いた。一音一音に説得力がある。解説によると3カ所ほどスコアにはないティンパニが追加されているという。何がどう違うのか、スコアを見て聞いてみたが、私にはその箇所すら見つからなかった。しかし、そんなことは別問題。終楽章のコーダなど、ものすごいたたみかけ。忘れられない1枚になった。このCDに出会わなかったら、ミュンシュのブラームスはどうも・・・、で終わっていただろう。
録音はパリ管発足の翌年1月。その年の11月、同管弦楽団を率いてアメリカ演奏旅行の途次、心臓発作でミュンシュ急死。77歳だったという。
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