古武士を偲ぶ・3

八田正文

2017年04月23日 09:19

野洲市南桜
 きのうの標題写真に見るようにかつての大山川はいまのさくら墓園の外側(三上山側)をまくようにして、いまの南北桜橋のあたりへ出てきていた。それが現在のように直線でつながった時点で、古武士はその右岸に忽然と姿を現した。これがおよそそのころの地図(赤丸が古武士が立っていた位置)である。「煙霧孤峰」を撮ったときに、上のバス道あたりから見ていたはずだが、何の記憶もない。花の時期に見ることはなかったのだろう。もともと現役のころで、花の時期の日曜日がぴしゃりとあうこと自体が少なかったし、学年初めのそのころ日曜日も出勤ということが多かった。

 標題写真は現在の対岸から撮ったものである。撮影年は2015年4月8日。レンズは長くなってカメラは水平方向を向く。必然的に空は白くなる。これも同じ日、いわゆる定点からの撮影。右岸から、しかもカメラは低い。ワイドレンズで上を向くから、同じ日の撮影とは思えないぐらい空は青い。もう1枚。2010年4月17日の撮影。1991年に姿を現してから四半世紀、相棒がいない川筋で、独り強風に耐え続けたその姿。切株の中心部は大きく空洞を見せていた。2017年春、花の前に去る。
       
   写真ステージ 「近江富士」

 
三上山撮影のついでに・・・

近江名所全集

■滋賀を歩けば






関連記事