2018年08月02日

悩ましい問題

写真拡大野洲市三上
  田の字の右半分の部分である。新幹線との間の道路に面した部分にコンクリート擁壁が設置された。現地案内板によると「工業団地を造成しています」とある。今の写真はご覧のように道路沿いに撮ったもの。単純に直立して撮ったもので、カメラは擁壁の高さよりほんの少し高いようである。(手前より奥のほうが高く写っている。擁壁よりカメラが低いと手前が高く写る)

  さて、問題は標題写真である。擁壁越えに三上山を撮ったもの。相手が高いのでアングルは苦しいが、何とか擁壁の奥まで見える。しかし土が盛り上げられているから、田んぼの水平線は隠れてしまっている。私のカメラはファインダーに水準器が内蔵されているから、それを頼りに水平は確保しているはずだが、出てきた写真を見ると何とも心もとない。

  カメラが擁壁に正対しているときは、縦線も横線もきっちり出てくるはずだが、いまの場合、縦線(擁壁の継ぎ目)は理屈にあっているが、横線は右下がりになっている。どうやら正対はしていないらしい。地図で見ると正対しないのが当たり前で、右上がりにならなければならないのだが、いずれにしてもまた悩ましい問題が発生した。

  写真ステージ 「近江富士」

 
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Posted by 八田正文 at 09:30 Comments( 1 ) 山・写真

2018年08月01日

貯水池予定地

写真拡大野洲市三上
  右に見えている道が三上の農地、「田」の字の第3画、中央の縦線に当たる道である。現地案内板によるとこのエリアが貯水池になるという。ということで、堀下げられて水平に整地されているのだが、素人目には何とも浅い。この程度でいいのだろか。まだ堀下げるとしたらこんな丁寧に整地しないだろうし。それにしてもこの見事な水平度はどうだ。使われているのはブルドーザーとローラー。ほかにいろいろ使われたのかもしれないが、このときはこの2台だけだった。何とも想像を絶する精巧さ。

  風景が消えるのは困るが、こうして工事を見学するのも別の意味で楽しみの一つである。

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Posted by 八田正文 at 07:17 Comments( 0 ) 山・写真

2018年07月31日

二重堤防

写真拡大守山市笠原町
  きのうの場所からさらに上流へ歩いてみる。堤防の高さが低くなっている。堤防というものは、一か所低いところがあると、他のすべての高さは意味がなくなる。今日の標題写真はその最低部から撮ったもので、その低さをカバーするように、もう1つ外側に高い堤防が張りついている。旧南流の堤防跡である。とにかく旧堤防は高い。外側の黒い木は最近とみに有名になった笠原の桜。

  そのサクラの中に水難碑が建っている。大正2年に堤防が決壊した場所に建てられたという。もう1枚。旧堤防から新放水路を見たところ。遠景の橋が新庄大橋。V字型に分かれていく2本の堤防それを塞ぐように見える森が笠原桜公園。いわゆる側帯部である。

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Posted by 八田正文 at 09:32 Comments( 0 ) 山・写真

2018年07月30日

側帯部

写真拡大守山市笠原町
  昨日見た右岸堤防の対岸、左岸堤防である。写真には写っていないが、大まかに言ってこの場所が、かつての南流の跡だったところ。川を作りかえるということは、素人が頭の中で考える以上に大変なものだという。新しい川を作って、古い川は堤防で締め切ったらいいのではないか。素人はそう考える。ところが実際にはそんな単純なものではないらしい。堤防で閉め切ってハイ終りというものではないという。

  古い川そのものを埋め立てて、かなりの面積の広がりを持たす。いまの笠原の分岐点でいえば、公園の部分、サッカー場の部分、それ以外の防災広場等、いま地上げされて広場になっている広大な部分(幅100m、長さ650m)がそれに当たるのだという。その部分を専門用語では側帯部というのだそうだが、いまのカメラの右の公園の部分がまさにその側帯部に当たるところである。


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Posted by 八田正文 at 08:13 Comments( 0 ) 山・写真

2018年07月29日

右岸堤防から

写真拡大守山市新庄町
  右岸堤防上から上流側を見たところである。野洲川放水路はほとんど両側が守山市でこのあたりでは右岸側が新庄町、左岸側が笠原町である。かつてこの少し上流で南北両流に分かれていたのはご存知の通り。野洲と守山の境界線は主に北流によっていた。それが守山側から橋を渡ってもまだ守山である理由である。旧北流跡は平坦化されてほとんど見えないが、いまはその跡を走る北流跡道路が市境になっている。

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Posted by 八田正文 at 09:29 Comments( 0 ) 山・写真