2008年07月20日

三上山に向かう



写真拡大■栗東市六地蔵。旧東海道と草津線にはさまれた田園地帯。その中で、1本の小径が三上山の方へ続いていた。







穂高から三上山まで
--------わたしの山と写真--------


   
 070.ちょっと寄り道・碓氷峠・5

 
写真拡大 なんや!このずぼらな撮り方は。「軽井沢」を撮りたかったにしても、もうちょっと他に手があっただろう。バックに隠れている機関車はC12、関西近辺ではほとんど見ることができない貴重品である。いまとなってはこの芸のない撮り方が悔やまれる。



写真拡大 乗ってきた1等車は軽井沢止まりなので、隣の2等車に乗り移る。再びD51に変わった列車は、広々とした浅間の裾野を中軽井沢、信濃追分へとかけ下る。





写真拡大 暮れ行けば浅間も見えず、
         歌かなし佐久の草笛。

 浅間をバックに快走する列車。空に薄く煙が見える。浅間の煙ではない。機関車D51の煙である。
 それはいいとして、この写真はどうして撮ったのか。何の記憶も残っていないが、窓から手を伸ばして撮ったものでもなさそう。推察するに、デッキに立って、左手で手すりをつかみ、右手を伸ばしてノーファインダーでの方手撮りか。身体全体は、ここまで出せないだろう。しょうもないことをやってました。

14時17分、小諸着。

 
写真拡大 藤村大先生に敬意を表して小諸城址を一回り。国語の時間に習わなければ小諸城址なんて知るはずがない。教科書の力は大きい。

 そうか、これが小諸城址か。一回見たらそれでいい。それより小海線の方がもっと魅力的。

 
写真拡大 15時25分、小諸発、小淵沢行き。キハの3連はすいていて、のんびりとした高原の旅。東小諸、乙女までは、信越線と並走するが、そこから右に分かれて、佐久盆地へとかけ下る。窓を開けていると寒いぐらい。



写真拡大 17時31分、野辺山着。標高1345m。国鉄の駅として、一番高い場所だという。

写真拡大









  

 

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2008年07月19日

岬と並ぶ



写真拡大■高島市萩の浜水泳場。右に見えるのが、白鬚浜の岬である。この岬を回ると白鬚神社の鳥居が見える。







穂高から三上山まで
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 069.ちょっと寄り道・碓氷峠・4

 
写真拡大 途中の駅、熊の平で、上り貨物と交換をする。それを撮るため、デッキから下へ下りる。
 いまでは考えられないことだが、当時はこのように、好き放題、勝手放題に下りたり乗ったりしていた。それがデッキで「四等」をやるものの特権ぐらいに思っていた。


写真拡大 そのときも、いつもの調子でひょいと飛び降りようとした。手すりを握ったままで、無意識にサードレールを踏んだ。手にビリビリと来た。レールには木のカバーがしてあったから、何の気なしに足をおいたのだが、昨夜の雨できがしめっていたのだろう。ひやっとした一瞬だった。


写真拡大 冷房のない車内は暑かった。窓は例外を除いて、全部開いている。これが夏の旅だった。
 
写真拡大 









 
写真拡大 対向列車の向かって右側、ステップの下に、手のひらを上にしたようなアームが見える。小さくてわかりにくいが、これが集電アームである。左側は、サードレールの下に入って稼働中。架空線はないから、パンタグラフはおろしている。





写真拡大  列車はトンネルをくぐりくぐって、急勾配を登り続ける。ぱっと眼前が明るくなる。・・・と、そこはもう軽井沢の高原だった。






 

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2008年07月18日

琵琶湖越しに



写真拡大■高島市萩の浜水泳場の近く。いまは移植されてしまったが、かつて四高桜の並木があったあたり。左奥、鳥の左下の高いピークが阿星山、左端、一番手前が湖岸道路沿いの岡山である。







穂高から三上山まで
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 068.ちょっと寄り道・碓氷峠・3

 
写真拡大 いよいよアプト式区間にはいる。ED42が前に1両、後ろに3両つく。12時45分横川発。ソロリソロリと行く。あまりののろさに、ラックレールにかみ合うまでかと思っていたが、そうではなく、かみ合ってからも同じ速度だった。

 写真、横川にいた3重連。


写真拡大 横川(海抜386m)から軽井沢(同942m)まで11.2Km、標高差約550m(最大勾配66.7‰、1000m走って66.7m上る)を48分かかって登るわけだから、時速になおして、14.0Km/h。実にのんびりしたもの。




写真拡大 トンネルの数26個、アプト区間の開通、明治26年。偶然に一致とはいえ面白い。着工は東海道線より早く、明治15年、その理由は「東海道線は太平洋岸を走るため、外的の攻撃を受けやすいから」だとか。




写真拡大 ステップの下を見ると、台車に取り付けられた箱状のものが見える。それからさらに左側に腕が伸びて、四角に小さく光る面が2つ並んで見える。この面がサードレールをしたからこすって集電する。大阪地下鉄の御堂筋線など、古い路線はこの方式をとっている。


 
写真拡大 レールの中央に敷かれたラックレール。これに機関車側の歯車をかみ合わせて勾配を登る。
 レールの外側のサードレール。送電のためのレール。上と側面はカバーされてレールそのものは見えないが、機関車の台車につけられたアームが下からこすって集電する。


 
写真拡大 水平区間、ラックレールはついていないが、ポイント付近で、サードレールが右、左と分けて設置されている。








 

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2008年07月17日

新幹線野洲川鉄橋



写真拡大■栗東市出庭。新幹線野洲川鉄橋。在来線と新幹線にはさまれた野洲川は、両岸とも運動公園になっている。これは守山側の堤防上から、公園越しに。







穂高から三上山まで
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 067.ちょっと寄り道・碓氷峠・2

 
1961年8月7日(月)



写真拡大 東京での6日間の研修が終わって、もうこんなところに用事はない。四谷から、信越線小諸、小海線、中央線小淵沢、名古屋、京都の切符を買って、上野へ直行する。この切符が1280円。東海道線、京都ー東京の1120円と比べて、160円高いだけ。さあ、160円で碓氷峠を楽しむぞ。 


写真拡大 9時21分発、準急”浅間”、中軽井沢行。当然満員。同じ列車に高崎行が併結されており、それが空いていたので、それでとにかく高崎まで行く。ここまでがEF53。ここで次に来る準急”高原”を待つ。やってきた列車は予想通り満員。1等のデッキで4等をやる。横川までの約1時間はD51のお世話になる。高崎を出ると単線になり、すぐ山路にかかる。12時40分横川着。






写真拡大 オマケ。まだこんなヤツが煙をはいていた。多分高崎あたりではないかと思うが、撮影場所は定かでない。
  9600型蒸気機関車。俗にキュウロクとよばれた国鉄を代表する貨物用機関車で、1913(大正2)年に第1号機が誕生し、1926(大正15)年まで770両製造された、という。このころは、まだ大正時代の古武士が随所で活躍していた。

 このあといよいよアプト式区間に。明日をお楽しみに。
 
 

 

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2008年07月16日

運動公園



写真拡大■栗東市出庭。きのうのネムの花を撮っての帰り道、栗東市野洲川運動公園、アンツーカーのトラックと三上山。







穂高から三上山まで
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 066.ちょっと寄り道・碓氷峠

 1961(昭和36)年夏、東京で研修会があった。その帰り、まっすぐ帰るのももったいないと碓氷峠へ回る。碓氷峠のアプト式、子どものころから絵本でなじみにはなっていたが、見るのは初めて、研修会よりそっちの方が遙かに面白かった。

 
 1961年7月30日(日) 京都→東京

写真拡大 京都駅、9時32分”第1つばめ”。人間の記憶とはいかに怪しいものか。この年の夏東京で研修会があったことは記憶しているが、乗った特急は”こだま”だとばかり思いこんでいた。東海道線が全線電化されて、6時間30分の電車特急が出現した。それが”こだま”だった。だから、いわゆるボンネット型のこの特急は”こだま”型と呼ばれている。

 だから、このとき乗った特急も”こだま”だと思いこんでいた。ところが残っている記録は、”つばめ”だという。まあ、別に命に別状があるわけでなし、どちらでもいいのだが、人間の記憶は怪しいものだという話である。「それは違う。人間の記憶じゃなしに、お前の記憶や」。「確かにその通り、しかし私も一応人間の端くれで・・・でも、自分個人の問題を、人間全体の問題に広げたらあかんわな・・・」。

 というわけで、東海道線の特急”つばめ”、こどものころから「大きくなったら一度は乗ってみたい」と思っていた、あこがれの列車。まあ、そんな時代の話しである。その特急”つばめ”、車内は冷房が効いて、まずは良好なコンディション。しかし、スピードが上がってくると、走行状態は決してよくない。比叡や伊吹の東海型の方が遙かにいい。なんや、こんなものか。

 とはいっても、特急は特急、大声で話をする人もなく、皆お上品にすましている。普通急行のように、ステテコいっちょうになる人もなく・・・、これが特急と急行の違いか。そう、そうだった。忘れてしまっていたが、当時はいたんだなー、テレビの中の植木等みたいなオッサンが。

 それに車内の汚さったら、それはひどいものだった。列車そのものも汚かったが、車内そのものがもっと汚なかった。新聞紙、弁当殻、その他有象無象の雑物が足の踏み場もないほどに散らかっている。係りの人が、両手に短いほうきを1本ずつ持って、「はい、ごめんよ」などといいながら、あるときは左右のほうきを別々に両側から掃き寄せるように、ある時は2本のほうきをX型に組み合わせて、ゴミを押し出すようにはいていく。列車の走行中にである。駅へ着いたら、ホームで待ち受けているリヤーカーにデッキからはき出すのである。まあスゴイものだった。日本人はホンマどないなったるねやと、自分が日本人だということを忘れて、心底そう思っていた。日本人の一人であることがナサケナイ、そんな思いだった。特急にはさすがそれはなかった。


写真拡大 弁当ですませた方がやすいと聞いていたが、食堂車なるものも一度は見ておこうと、350円のランチを予約する。豊橋付近で食堂車から呼びに来てくれる。早速行ってみると馬鹿に走行状態がいい。この車両だけ揺れないようにしてあるとはふざけた話だ。そばにいた子供が、「ここは揺れないね」といっていたから、それぐらいの差があったことは事実である。
 15時30分、定刻に東京着。


 

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