2016年09月27日

堅田漁港

写真拡大大津市本堅田2丁目
 堅田漁港内から市街地に向けて運河風の水路が入り込んでいる。地図で見るとその先はしっかりした道路につながって水路は消える。ちょうどその道路の下を暗渠が伸び、その先の内湖につながっていると考えるとつじつまが合う。実際にそうなっているかどうか目で確かめたわけではない。標題写真は港内に建つ堅田漁業会館近くの橋の上からの眺めである。両岸に泊まる漁船が遠近感を感じさす。


 余談:けさ京都新聞に掲載された写真を見て驚いた。あれ、ここで浪花節を聞いたぞ。新聞の写真はもう少し広く写っており、”京都市伏見区舞台町38番地は公園になっていた。放課後なのだろう。ブランコで遊ぶ小学生たちの表情は明るい。わずか70年ほど前、戦争孤児らの一時保護所「伏見寮」があったことを示す痕跡は見当たらなかった。”との書き出しで、当時の寮での生活の実態が述べられている。写真には「伏見寮全景」とペンで書き込まれ、川崎泰市さん提供とある。

 そこでなぜ浪花節なのか。あれはいつごろだったか。小学校へ入る前、私の入学が昭和15年だから、いわゆる太平洋戦争前、親父が務めていた会社の家族慰労会、その会場がこの建物だった。木造家屋ばかりの伏見の街で、中心地から離れた場所にに建つ真新しいしゃれた建物は目を引いた。小学校前の子供に浪花節が分かるはずはない。ひとうなりした後、普通の言葉でしゃべるセリフのところ、そこへくるとほっとした。

 戦後、その建物が戦争孤児の寮になったとは聞いたが、そこへ行くことはなかった。新聞の写真は77年ぶりのその建物との再会だった、当時の正式名称も何も知らないまま、しゃれた建物の姿だけが記憶に残っていたことになる。それ以来、ナマの浪花節は聞いたことはない。
     
   写真ステージ 「近江富士」

 
三上山撮影のついでに・・・

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