今年の締めくくり

今年の最終日を迎えるにあたって、今年一番印象が強かった南桜の砂防ダムへ行ってきた。今年の3月、朝日放送TV”今日のここいろ”のディレクターに教えてもらった場所だ。40年間三上山の写真を撮ってきたが、撮影場所へ連れていってもらったのは初めてだった。ディレクターの名前は思いだせないが、この場所を教えてもらったことはおそらく死ぬまで忘れないだろう。
そして今回の写真、右端に田中山(丸と尖がり2つ合わせて田中山)が見えている。右の尖ったのが兜山だ(見る方向によって相場振山が尖って見えることがあるから要注意)。ボクは、近江八幡水茎町あたりから見て左が兜山と覚えている。今回はその裏返しだ。それにしても3月に見たときにはこの田中山が見えていたのだろうか。念のため、3月の写真を取りだしてみた。ちゃんと見えていた。なるほどなー、風景全体にびっくりして細部を見る余裕がなかったのだろう。
写真ステージ 「近江富士」
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電線があった

ここへ行ったのは確か2回目である。東近江市市原町。集落の中心から山手へ直線の上り坂がついている。住宅地として開かれたらしいが、家は半分ぐらいしか建っていない。上り切ったところでゲートが閉められて通行止めになっているが地図を見ると道は続いていて、角井峠あたりへ続いているらしい。しかし、いくら道が続いていても、実際には通行止めだからどうしようもない。その突き当りから撮ったのがこの写真だが、撮るときは電線には気がつかなかった。どこに鉄塔があったのかと思うが、どこかにはあったのだろう。
こうして見ると、右の大きな家の手前に舗装道路が1本見える。実はこれ実際には、いま立っている場所よりかなり低い位置にある。階段状の住宅地を予定して造られたものらしいが、いまは斜面のままである。ここまで下ったら電線は避けられるかもしれない。現場でしっかり見て撮ればいいのだが、つい性分で適当にやっつけてしまう。帰って改めて見直して後悔ばかりしている。ここまで来たのだから治る可能性はない。
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松林の行くへ

天気の読み間違いやら何やらで手持ちの写真がなくなった。標題写真は一昨年の暮れ、湖西といえばいいのか湖北といえばいいのか、安曇川町鴨川の堤防上からである。国道161号の下流でおそらく今年は雪だろう。右に屏風を立てたように見えるのが萩の浜水泳場の松林。
たとえばこれをもう少し遠く西に位置する新旭町の清水山城址から見ると、このような関係になる。レンズの基本的な長さが違うので山の大きさは逆になっているが。点々とトラックが走っているのが国道である。左右の位置はともかく、圧倒的な高さがものを言う。加茂川堤防上からでも、高さはどうしようもないにしても、もっと右へ寄れば松林は近づくくはずである。なのだが、残念なるかな、その位置は国道を右に越えたこんな位置になる。世の中は思うようにはいきませんなー。
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市境を行く

たとえばこの標識、名神の上り線を走るとき、野洲川を渡る少し手前、左カーブの山蔭から三上山が突然眼前に現れるという劇的なところに立っている。これは名神の側道、栗東市と湖南市の境から撮ったものである。何ともごちゃごちゃしたところ。空き缶が投げ散らされている。まさかビールではなかろうが。もうちょっと整備されたら、ここからでも結構いいポイントになるのだが。
と、ここまでは何度か来ていたのだが、2,3年前、ここから名神をくぐって反対側に出る道があることに気がついた。そこから撮ったのが標題写真。貯水池のネットが気になるが、水が蓄えられた時には何とかなるのかな。こちらのほうの天気は悪いけれど。それにしても寒いですねー。
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注意力不足

堅田漁港、どこの漁港もそうだけど防波堤で囲まれているのがつらい。風景がふさがれてしまう。初めてきたのは三上山を撮りだして間なしのころではなかったか。貝殻が山と積まれていたのに驚いたが、防波堤はどうにもならなかった。以来、今回が3回目か4回目か。数年ごとぐらいに来ていることになるが、来るたんびに防波堤にはじき返され、今回もまたシッポをまいて逃げかえるしかない。
と、ここまで書いて来て、?、不思議なことに気がついた。防波堤の様子が他の写真と違うのである。たとえばもう1枚の写真。これなどは防波堤と対岸との間が、右から左まですべて隙間が空いている(琵琶湖そのものの面が見える)。それに対して、標題写真は左の部分が半分以上詰まっている。湖面が抜けて見えるのは、右方半分以下の部分である。防波堤は仕方がないのだとあきらめて、手前の船にばかり気をとられていたということである。防波堤全体の様子を見極める必要があると改めて感じたことだった。
照明灯の上に何かが見える。拡大してみたら、カモメが飛んでいた。左の方にもう1本ポールが立っている。この上にも鳥が止まっていると思ったが、何を見ているのやろうね。
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一刻一点

琵琶湖大橋南橋の西端(堅田側)歩道上からである。橋をくぐる里道から階段がついている。曇っていたから何とかごまかして撮れたけれど、好天だったら建物がけばけばしくて撮れなかっただろう。と考えてみると、これらの建物がなかったころが懐かしい。たとえばこの写真。いままで何度も見てもらったものだけれど、1978年1月の撮影。高層建築は1つもない。いまの米プラザの前身の建物の2階のテラスから撮ったものだった。ちょっと足を伸ばせば標題写真の場所など、橋は1本だったからもっと簡単に行けたはず。しかし、一か所で撮れればそれでよし、そこらを歩いてみようかということはやったことがなかった。
なぜそう考えるようになったのか。理由はいろいろあるが、そのころ”一日中で最高のシャッターチャンスは1回しかない”と考えていた。そのチャンスをある場所で使ったとすると、あとはいくら場所を変えてもその日の最高の条件では撮れないことになる。それならやっても無駄だ。だから(撮影場所の)ハシゴはしない。そう決めていた。いま考えるとけったいな理屈だが、その時は本当にそう考えていた。一刻、一点、自分の意識をあえてそこへ追い込む、そんな気持ちだったのだろう。
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トイレ付広場

若いころから、用事もないのにそこらを歩きまわるのが苦手だった。最近、このトシになって、ちょっと歩いてみようかと思えるようになった。このときも出島灯台からの帰り、路地を見つけて湖畔へ出た。思いがけない場所だった。琵琶湖大橋が目の前だった。灯台から100mちょっとしか離れていない。へー、こんなところにこんな場所が。誰が来るのだろうと不思議に思える公園だった。ちゃんとトイレまで設置されている。そういえば出島灯台にはトイレはない。
造船所の何からしい、古びたフレームが湖岸へ伸びている。2本、3本と湖面から突き出た棒が波に揺れている。公園でございますというタイプの公園は絵にならない。そういう意味でここは広場だった。対岸の大きな建物さえ辛抱すれば、結構楽しい場所だった。
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出島灯台

堅田の出島灯台。現地に着いたときあれっ?と思った。小さな港の突き当り、灯台と三上山とが並んで見える場所、いままでは撮りにくい場所だった。そこから何がどうなったのかは分からないが、とにかくこの程度に撮れるようになっていた。灯台の下の公園で女性が一人写真を撮っていた。それはいいのだけど、山がもう一つはっきりしせず、このままでは使えないなー。
いままでは女性がいる写真で右側に見える船か桟橋かわからないが、2台ならんでいるその先まで出て撮っていた。しかしここも手前の木が大きくなってきて、灯台そのものが見えにくくなってきている。今はいいとして夏場は無理だろう。
先ほど女性がいた公園へ行ってみた。ネットが邪魔になるが、何とかそれを避けて絵を作る。どうしてもワイドになるから、山が小さくなる。そうこうしているうちにモヤが薄れて来た。もう一度最初の場所に戻って撮ったのが標題写真。山を木の右へ持って行く手もあるが、こんな調子である。まあ、とにかく難しいところである。
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