雲の影

ついうっかりして午後2時過ぎに山の南側へ回ってしまった。山はともかく手前の風物がべた光線でどうもしんどい。しまった、えらいところへ来てしまった。というところだったが、いつも午後から出てくる雲が山に影を落として何とか形だけを整えてくれた。場所は栗東市野洲川運動公園。対岸野洲市側の建物がクリーム造りのように真っ白に写っている。恥ずかしい写真だけど山にかかった影に免じてお許しを。いやいや他も五十歩百歩です、ハイ。
山は立体である。当り前のことだけれども、われわれ人間の目には面として見える。いまの場合だと、山の形のいちばん外側の線をトレースして、その内側を塗りつぶした面としてとらえている。しかし実際には山は立体であって、面の中に潜んでいる立体としての線を表現したい。この黒い線が入るか否かで山の表情が変わる。
山頂から右側へ下ってくる線が鼻筋尾根、左側へ下るのが西尾根。それに連なる破線は、御上神社側からの登山道になっている尾根である。冬、うっすらと雪をかぶった山はその線を見せるが、それ以外の季節ではめったに見ることができない。寒冷渦だったか、あまり聞きなれない気団に御厄介になっている晩夏のこの日、無造作にかかったちぎれ雲の影が、これらの尾根筋をうまく表現してくれていた。
写真ステージ 「近江富士」
■近江非名所全集
■滋賀を歩けば


遠い森

守山文化財埋蔵センターの前である。きのうの立田町から言うと、服部大橋を越えて右岸へやってきたことになる。取り立てて意図したわけではなかったが、ここのところ3回続けて森との組合わせになっている。森というと左に見える大きな木かと思われるかもしれないが、これは文化財センター前の桜の木。見てほしいのは遠くに見える三上山と重なった森である。もっとも森と三上山は8Km弱離れており、私が勝手に2つを並べているだけの話ではあるが、このように鎮守の森を前景とした三上山、これが野洲川扇状地の典型的な風景だと思っている。
写っている森は服部町の南産土神社。服部町は北と南に分かれており、それぞれに産土神社があり、写っているのは南のほう。北側の集落は画面左、桜の木の奥に隠れている。
写真ステージ 「近江富士」
■近江非名所全集
■滋賀を歩けば


晴れのち曇り

午後3時ごろ、いい天気だったので家を出た。視界の広いところへ出ると、南西方に薄雲が広がりかけていた。目的地は新庄大橋と一つ下流の服部大橋の間の左岸。我が家から車で10分余り、遠い場所ではない。しかし現場へ着いたときには薄雲は結構厚い雲に変わりかけていた。三上山の奥では白雲が輝いているのに現場は曇り、黄金色に輝く田んぼをイメージしていったが完全にアウトだった。
左に見える堤防が現在の放水路、三上山との間に見える白い線が新庄大橋。右の長い森のむこうが野洲川南流右岸の堤防跡。現場は新放水路と旧南流との又部の農地ということになる。森は堤防林かと思ったがそうでもなさそう。堤防の外側に堤防と並行に植えられていた森のようである。画面の右はずれ、集落に近いほうに神社もあるようだが、はっきりはわからない。
写真ステージ 「近江富士」
■近江非名所全集
■滋賀を歩けば


初秋好日

近江大橋からやってくる湖南幹線、琵琶湖大橋取付道路と交差するまでは片側2車線で完成しているが、そこから野洲川まではまだ片側1車線である。幸いその道路には電柱が立っていない。標題写真はその道路の1本琵琶湖寄りの細い道から撮っている。画面内を幹線道路が横切っているのに、クルマが走らない限り道路があるようには見えない(手前の横一線は田んぼの段差である)。イネがすっかり色づいて初秋の風景である。
あれ、どこか変わったぞ。クルマを下りて風景の前に立ったときの印象である。森の左右が短くなったのか、左のクリーム色の2階建てが新しく建ったのか。いろいろ考えてみるがよくはわからない。このときは何となく納得できないままシャッターを切って帰ってきた。
こうなれば、以前撮った写真を取りだして比較するしかない。2016年2月、2015年4月、2014年2月。何枚かあるうち、新しいほうの3枚を選びだしてみた。左端に見える電柱から森の右端までをトリミングした。2014年の写真だけ山が小さいのは、森に近づいて撮っているため。森が大きくなり相対的に山が小さく見える。画面が暗かったりして見にくいが、その気になって見比べてみるとほとんど変わりがない。あえて言えば、森の真ん中辺に水平な建物の線が見えるが、今回の写真にはそれが見えない。
結局、以前の写真は自分自身意図したつもりはなかったが、冬から春の時期、それも気象状況がよくない日に撮っている。今回のような明るい風景はここ3,4年で初めてといっていい。その状況の変化を風景そのものの変化と感じたのだろう。
写真ステージ 「近江富士」
■近江非名所全集
■滋賀を歩けば


真野川河口

真野川河口である。道の駅米プラザからすぐそこ。まっすぐ進めば河口に架かる橋に出たはず。ところがそこがごみ置き場になっていて、なんとなく雰囲気がおかしい。橋は少し上流側に架設されていた。GoogleMapを確かめたら、現在の状況に書き換えられていた。で、新しい橋の上から撮ろうとしたが、古い橋の上に電線が1本残っている。それが結構太く、距離が近いと来ているから厄介だ。標題写真は対岸(左岸河口)へ渡って河口の先端から撮ったものである。
2008年に以前の橋の上から撮った写真には南京ハゼの実が写っていた。その木が残っていないかと探したが見当たらなかった。もう1枚。1981年撮影のもの。これは古い。対岸のビルの数が全然違う。三上山の左、妙光寺山と重なって観覧車が見える。琵琶湖大橋の守山側に遊園地があったのだけど。皆さん記憶にありますかな。
写真ステージ 「近江富士」
■近江非名所全集
■滋賀を歩けば


坂本ケーブル

実はこの南善坊詣では、パノラマ展望板がどうなったかを確かめようとの思いがあるにはあったが、もう1つ坂本ケーブルと三上山との絵を作ろうという思いが別にあった。10何年か前、初めてここを訪れたとき、谷を隔てた向こうの斜面をケーブルカーが上り下りするのを見た。これはものになるとは思ったが、その後はタイミングが合わず、いつの間にか足が遠のいた。
今回行ってみて驚いた。前の谷が見えないのである。手前の斜面にススキとクズがはびこって、どうにもならない。目の大きな網で押さえてはあるがそんなことぐらいではおぼつかない。ケーブルが見えたのは、対岸の斜面、それも谷底に近いところだった。さて、冬になってこれらの草はどうなるのか。あちこち場所を探し歩いて、何とか見通しが効くのがこの場所だった。左下、杉林の中に見える屋根が山麓駅だ。これだと、手前の斜面の草は解決したとしても向かいの斜面の杉が伸びて完全にアウトだ。10年の年月は大きい。ケーブルの路線を隠すぐらいに杉が伸びる。そのときは本当にそう信じていた。
あきらめて帰路につく。10mほど下ったところで、待てよ。手前の斜面の杉の木が切れる。そうだこちらの隙間だった。クルマを降りて確かめるとまさにその通り、谷の底を道が走る。ケーブルの下をくぐってヘアピンカーブを描きながらこちらへの斜面へ上ってくる道だ。そこだけ杉の木が切れている。手前の斜面の草の伸びは誤算だったが、それ以外は昔とほとんどそのままの風景だった。帰り際になって初めて昔の感覚が戻ってきた。
写真ステージ 「近江富士」
■近江非名所全集
■滋賀を歩けば


並び立つ

南善坊の庫裏の前、石段を挟んでちょっとしたコーナーがあり、写真のような石碑がたくさん並んでいる。表側へ回ってみても、ところどころの字が断片的に見えるだけで、ほとんど意味が読み取れない。展望板を作業した時、阿闍梨さんから経緯を聞いたような気もするが、きれいさっぱり忘れてしまっている。墓でもなさそうだし私のような素人にはただ石碑が立っているだけというほかはない。お寺を建てた時に出土したものかとも思うがよくは分からない。
もう一か所庫裏の一段高いところに地蔵さんが集められているところがある。これは周辺から出土したものではないかと思う。こんなにたくさんと思うが、1000年を越える年月だから、これぐらいのことはあり得るのだろう。
表側から撮った時は曇っていた。全部の碑が照らされたらしんどいかなと思っていたが、五大堂まで上って展望板を撮って戻ってきたら、木の間からの光に一部の碑だけが照らされていた。
写真ステージ 「近江富士」
■近江非名所全集
■滋賀を歩けば


パノラマ展望板

あれはどうなっているだろう、もう10年以上になるが。ふと思いだして南善坊へ上ってみた。坂本ケーブル山麓駅のすぐ上に位置する。展望板は「五大堂」というお堂の前のテラスにある。設置は「平成十六年八月吉日」、12年前である。雨水のシミは多少見受けられるが、変色もほとんどなし。10年以上も年がら年中直射日光にさらされながら、ほぼ最初の状態を保っている印刷技術がすごい。
お堂の濡れ縁に三脚を構えた。120度を越える角度をカバーするため水平出しに苦労した。67判のリバーサルフィルム。ワイドレンズの歪を避けるため、枚数が増えるのを覚悟で望遠レンズ。6枚だったか7枚だったかに分割撮影して、スキャンしてつなぎなおした。世間様ではデジタルになっていただろうけれど、私個人としてはまさにアナログからデジタルへの変換期だった。撮影したのは3月、この日を逃したら冬まで待たなければならないという、最後の空気澄明の日だった。津田山の横から御嶽山が見えた。今、お堂の横の桜の木が伸びた。そこに立っても北の方は見えない。
写真ステージ 「近江富士」
■近江非名所全集
■滋賀を歩けば

