荒れる浮き漁礁

アヤハディオ堅田店。山下湾のちょうど真ん中あたり。そこの駐車場、湖岸側いっぱいのところである。フェンスの上からカメラを出して撮っている。先月、山手の風見公園から見た浮き漁礁のことに触れたが、ここから見るとそれが真正面に見える。以前は、といっても今から20年ほど前の話であるが、冬の朝、その浮き漁礁が何遮るものもなくきれいに並んで見えた。いまは夏、ネットの外の草木が伸び、浮き漁礁も手入れされていない様子。昔の写真をもう1枚。
ところでこの日、天気はよかったのだが、見通しはよいような悪いような。雌山のあたりが何となくもやもやとしている。帰ってからPCでトリミングし拡大してみた。雌山の奥にもう一つ山が重なって見える。山頂に何本かのアンテナ。十二坊らしい。ここからは何度も見ていたはずだが、このように雌山と重なりを意識したのは初めてだった。
写真ステージ 「近江富士」
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大型店駐車場

堅田から湖岸沿いの国道161号を南下する。山下湾を越えてすぐ湖側にクルマ屋さんがあって、その南に大型複合商業施設がある。全体としてのしかるべき名前がついているはずだがきっちり確かめてこなかった。入っていすぐ左側にうどん屋さんがあって、その奥にクスリ屋さんがある。標題写真はそのクスリ屋さんの店の前から撮ったもの。もっと奥へ行きたかったが、ロープが張られて立入禁止になっていた。カメラを構えたとき、何か左側に白いものがあるなとは思ったが、田んぼの中の標識だろうと思っていた。帰ってPCで見たらシラサギだった。立札と見間違うのだから、よほどじっとしていたのだろう。
あれは1970年代の終わりころ、湖岸側にはほとんど建物がなかった。ちょうどいまのうどん屋さんの当たりの畦道に2本の木が立っていた。バイクで走っていたからどこにでも止められた。冬の朝、日の出を狙ったが、結局その日は雲が厚く駄目だった。まあ、しゃーないな。1枚だけ撮っておこうかで残った写真。山の形以外に場所を同定するものは何もない。ヨットのポールが立ちだしたのは、その少しあとだった。
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バイパス予定地

8号バイパスの工事現場。土曜日の夕方、もともと作業がなかったのか、それとも作業が終わった後なのか。パワーショベルが3台放置されていた。これはその中で農道からいちばん近くにあったもの。すぐ向こうは何事ともなかったかように今年の稲が植え付けられている。機械の向こう側から撮れば従来の風景に戻るという場所である。
我が家の横をまっすぐ三上山に向かう道が、新幹線をくぐると三上の農道につながる。それを縦軸とすると、ちょうどその道の中ほどで横軸と直交する。中学校の数学でやるY軸・X軸の関係である。三上山がY軸の正の位置にあるとすると、バイパスは y =- ax + b のグラフで示される。そのグラフがX軸と交わるところがきょうの撮影位置である。GoogleMapを航空写真に切り替えるとそのグラフがきっちり見えてくる。
ところで1970年に京都から野洲へ移って以来、人生の半分を越えた。それでいていまだに東西南北になじめない。頭の中で考えなければならないのである。よくやる失敗が南北の逆転。たとえば三上山より十二坊が北にあり、野洲川が北から流れ下ってくるように感じる。これはこの農地のY軸の向き、すなわち北の方に三上山があるとするこの感覚につながっているようである。
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身体の硬さ

今月13日に「林相の変化」として見てもらったのと同じ場所である。そのときこの風景をイメージしていったのだが、まだ水を引き入れている最中でどうにもならなかった。そのときにも少し述べたけれども、最初の写真集『四季近江富士』(1982年刊)に倒立版を収録した。その後、正立版は撮っていないと思い込んでいたのが、今回フィルムを探してみたらそれがひょっこり現れたという話。
きのうの夕方、急に晴れてきたので、慌てて飛び出して撮ってきたのが標題写真。旧作と比べると、基本的にカメラの高さが違う。旧作は6×7判の一眼レフでファインダーはウエストレベルだった。普通に使っていてもアイレベルとは基本的に高さが違う。昔の写真を撮ったときも三脚から外して腰をかがめて水面ぎりぎりまで下ろして撮ったのだろう。そのアングルが懐かしくて、デジタルになってからもバリアングルファインダーつきを選択の絶対条件にしていた。それでいながら今回のカメラ位置は高い。しゃがみはしたが大体この辺やなというエエ加減さと、絶対的な身体の硬さ。ああ。
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旧南流跡地

国道477号、通称浜街道の「おうみんち」のところから、西に向かって三上山を背にする向きに流れ下った旧南流がぐっと大きく右に曲がって三上山を右に見るようになる。何度も見てもらったびわこ地球市民の森の一部である。多くが堤防は撤去され平地化されているが、この部分は両岸ともその姿が残されている。標題写真は左岸堤防跡から右岸を見たところである。
手前、草の緑の濃いところが南流の残されたところ。流れてはいないが水は残っている。その両側に遊歩道が通じ、白く見える空き地の向こう側が右岸堤防である。すべてが公園化されているので、当時のままだとは思えないが、ひょっとして対岸の右の方に見える巨木群は当時のままなのかもしれない。
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旧南流跡地

守山市、川田大橋南畔の公園である。現場には正式名称が表示されていたはずだが、失念してしまった。新放水路堤防と旧南流堤防に囲まれた三角形の公園。長く竹藪が密集しシラサギの営巣地になっていたが2,3年前に現在のように整備された。トイレや駐車場も完備、サッカーコートなども備えられ少年たちが元気で走り回っている。
大きな樹木は竹藪の中から伸び上がっていたもので、シラサギの巣が掛けられていたものではなかったか。右側から伸びていくのが旧堤防あと。内部のグランドからすれば普通の堤防に見えるが、上へ上がって外を見ると、民家の屋根が下に見え、いわゆる天井川の姿を見ることができる。
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豊芦原の

西の湖と近江八幡市市街地とに挟まれた農地に広がる水郷である。八幡山の上から見下ろすと水路に囲まれた庭園に見える。初めて見たときには驚いた。あれは何だろう。さっそく地図で調べてみた。ほとんど正方形と感じ取ったその部分は、実際の地図では北東~南西方向に長い長方形を示していた。長辺は短辺の3倍はあるだろうか。八幡山から見て”上から見た”と勘違いをしていたわけだ。それは決して「上」ではなく「斜め上」、それもごく低い位置から見た斜め上だったわけだ。本当の真上から見る神の目と、斜めから見る人間の目とのちがいを感じたときだった。
さて、その名称は、現地には「魚と野鳥が棲む北之庄沢」との表示があるから、多分「北之庄沢」でいいのだと思うが、実際に地図を見ると、北之庄町・浅小井町・西庄町・多賀町の4町に囲まれている。これはあくまで私の勝手な推測であるが、最初は形の定まらない湿地だった。それが圃場整備されたときに人工的な直線で仕切られたのではないか。”豊芦原の瑞穂の国”の原点を見る思いである。
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水郷巡り

動力船は橋をくぐって西の湖の方へ出ていった。たぶんどこかを回って帰っていくのだろう。やっぱり手漕ぎの船を撮っておきたい。腹を据えて待つことにした。無念無想・・・。
向こうの木陰から一艘現れた。日陰になってわかりにくいが、三上山から右へ少し離れたところの橋をくぐって現れて、そのあとさらに右へ離れていく。どうもおさまりが悪い。その後、近づいてくるにしたがって、船はこちらへ向かう姿勢になる。しかし、無表情な湖面ばかり広くて、これでは何を撮ったのかということになる。おそらく次のを待っていても同じことだろう。
かえり、水路のそばの道へ出た。向こうに水田が広がっていた。道路沿いには邪魔になるぐらいこんもりとした木が生えている。手前にそれを入れようとした瞬間、音もなく船が現れた。突然だった。普通は船が近づくと話声が聞こえたりするものだが、このときは全く音なしだった。 それが標題写真である。いまの今までこのイメージは作れていなかった。岸には桜の木も植わっていて、教室の皆さんが水路方向の写真を撮ってくる場所である。これに気がつかなかったのは不覚だった。
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