桑実寺

そのあとすぐに山門前に着いた。30数年前のことだけれどここはしっかり記憶がある。下の集落入り口からまっすぐ石段を登ってきたところである。そのときは、このあと少し登ったが、電線に辟易して途中で引き返したわけだ。下を見ると先ほどの民家が見える。きのうの標題写真はこの民家の左端に見える灯籠の横から撮ったわけだ。
山門には掲示があって、「拝観料300円、上の本堂前の受付で支払うよう」指示がある。30年前引き返したということは、案外同じシステムで、拝観料は払ってないから帰ろうかとなったのかもしれない。われながらみみっちい話だ。きょうは初めから上まで登るつもりで出てきたから、そんなことはどうでもよい。堂々と山門を入る。「チコン」となる。なるほどお寺も近代化した。ビームが通っていたらしい。良くも悪くも”これを鳴らした以上、上まで行かなアカンな”と心理的圧力を受けることは事実。
「本堂まで300m」の立札がある。それなら大したことはないなと思ったが、80歳を過ぎたオジイにはそうは問屋が下ろさない。5,6段登って振り返る。それが役に立つのだから世の中は面白い。紅葉の枝の間から三上山が見えていた。上り一方の石段だからちょっと登るだけで風景が変わる。山門と紅葉が下へ下がり、三上山がせり上がってくる。ケーブルカーに乗っている感覚である。標題写真など、山門がまだすぐそこに見えるのに、山は大きくせり上がっている。右側に電柱が見える(右端の太いのは杉の木)。長い間高圧線だと思ってきたのは、どうもこの電線のことだったらしい。昭和57(1982)年にまとめた写真集・『四季近江富士』には、ほとんど電柱が写っていない。当時はまだそんな風景が残っていた。そんなときに、この電柱には我慢ができなかったのだろう。
写真ステージ 「近江富士」
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桑実寺

今年の春ごろだったろうか、知人から「桑実寺へ参ってきました。三上山を満喫しました」とのメールをもらった。なるほど桑実寺か。あれは三上山を撮りだして3,4年のころではなかったか。高圧線の電線が邪魔をして絵にならず石段を登りだして途中で引き返してきた記憶がある。それ以来桑実寺はダメだと決めてかかっていた。その桑実寺から三上山を満喫してきたという。だめだったことは間違いないが、あれから30年以上たっている。状況が変化しているかもしれない。ということで今回改めて”2回目の初挑戦”。
さて、登り口はどこだったか。案内に従って近くまではいったが、クルマを置くところがない。はて、以前来たときはどうしたのか。クルマの置き場所に難儀した記憶はない。そうか、バイクだったかもしれない。ということで、安土城考古博物館の駐車場を無断拝借。もちろん以前来た時には博物館をはじめとして「文芸の郷」など一連の建物はなかったはず。それがいまは恐ろしく豪華な建物が。その割に人はいない。そこから自転車道を登り口の方へ歩く。道路の工事現場があって、真新しい標識に「桑実寺」とある。そういえば博物館の手前から見たときに山肌が削られて見えたのはこれだったのか、これならば様子は変わっているのかもしれない。と、工事中の道に入る。こんな道を登った記憶はない。明らかに変わっている。
工事はかなり大がかりなものだった。そちらは歩けないので、旧道らしいところを行く。しかしその道も記憶はない。記憶があるのは急な石段をまっすぐ登ったことだけだ。と、新しい民家が1軒建っていて、その横から突如三上山が現れた(標題写真)。どこにも高圧線は見えない。手前下方に茅葺屋根の建物が見える。棟の部分だけ瓦をのせた珍しい形である。見事な風景だった。欲を言えばその家屋がもう少し斜めを向いていてほしかった。
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旧草津川堤防

一昨日から草津川堤防からの写真を見ていただいている。このとき左岸堤防を湖南幹線の交差点からJR琵琶湖線トンネル(カメラ位置がが旧草津川堤防上、JR琵琶湖線がその下をトンネルで抜けている)あたりまでを往復した。湖南幹線とよく似た交差点へ出た。新しく整備された道路で湖南幹線のもう1本山側を走り守山から新草津川の堤防まで伸びている。ここまで来るともう三上山が見えない。
標題写真はこのあとに出てくる。歩きながら撮っているので、データは撮影位置順に並んでいる。交差点を越えてからであることは間違いないが、正確な位置となると怪しくなる。標題写真に照明灯のライトが写っている。これが先ほどの交差点で見えていた人工芝のグランドの端あたりかと思われるが、確たる位置はわからない。GoogleMapの撮影位置もヤマ勘である。
このあとビルとビルとの間に一部は見えた(左の大きなビルとその右のビルとの間)が、これを「見えた」といえるかどうか。そして、これが最後だった。なんせこんな壁が立ちはだかっているのだから。
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旧草津川堤防

昨日の撮影場所から200m足らず上流へ移動した。草津高校の校舎のはずれである。クルマが走っているのが対岸(右岸)上の道路。レンズを少し伸ばしているので近く見えるが、地図の上では40mちょっとである。実は、初め事情が分からずに右岸を歩きだした。クルマ専用道路の雰囲気で歩道はない。とにかく1枚だけ撮って戻ってきた。その写真がこれである。たまたま標題写真と同じ構図だった。建物が多いから撮れる場所が限られる。自然にこういうことになる。右岸から撮ったほうが手前の雑草がなくなるから、写真としてはスカッとする。しかし三上山は小さい。それに対して左岸からでは堤防があるため民家は見えなくなり山が大きくなる。
2枚の写真をよく見てもらうと左右の建物は同じところまで写っているはず。広く写っていた方をトリミングして合わした。同じ範囲を写す場合、距離が近いほどレンズを短くする必要がある。レンズが短いほど山が小さくなるのは当然の理である。(たとえば昨日の写真、交差点全体を入れたかったからレンズを短くした。山は小さく写っている)。それが分からなかったから、山を撮りだしたころは山に近づくことだけを考えていた。それによって絵全体がどう変わるかは別問題だけれど。
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旧草津川堤防

「湖南幹線」、どこかでこの表示を見たことがある。正式名称かどうかは知らない。近江大橋を西から東に渡り、浜街道を越えたところで大きく左へ曲がる。そのあと北東へ向かって直進し守山市播磨田交差点に至る、片側2車線の幹線道路である。標題写真は、その湖南幹線が旧草津川とクロスするところである。
草津高校の横で、かつてはその校舎に沿って大きく迂回する細い道が草津川を越えていた。その後片側1車線の恒久的な橋ができた。片側2車線が1車線になるのだから言をまたない。渋滞の名所だった。新しい草津川が南に開通し旧川は廃止に。いまはこの道路の部分だけが平坦化されている。廃川になるのが分かっているのに、なぜ片側1車線の渋滞橋を造ったのか。責任問題にならないのが不思議なぐらいである。
と、ボヤキはこれぐらいにしておいて、カメラの場所は旧草津川の左岸が湖南幹線(画面奥が守山市方面。背後は近江大橋に至る)をまたぐところ。歩道橋になっていて、左右にフェンスがついている。透明のアクリル板を通してみたのがこの写真。標題写真はこの柵の下部、橋面との隙間からローアングルでのぞくようにして撮ったものである。交差点の右側に見えるのが旧右岸堤防跡。カメラの位置が左岸跡だから、まさに交差点との間が河川敷だったということになる。右が山側、左が琵琶湖側である。
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三井寺から

あれはいつのころだったか。世の中にマンションという言葉すらなかったころだから、昭和20年代末か30年代のかかり。山科から小関越えを越えた。そして三井寺。境内南端高台の休憩所から、琵琶湖の向こうに三上山が見えた。
きのう、ぎおう教室の皆さんのお伴をして久しぶりに三井寺を訪ねた。休憩所からはどこを探しても三上山は見えない。標題写真はもう一段上の展望所から。それも柵の一番端ぎりぎりのところから、マンションの右肩にかろうじて見えた。それも親指と人差し指を丸めたその輪の中から見たような苦しい構図。
とりあえずの1枚を収めてから、もう一度辺りを見回した。山はできるだけバックして高くから。広場の限界いっぱいまでバックしたのがこの写真。たまたま上がってきた夫婦づれが、何を撮っているのだろうと不思議そうな顔をしていた。展望台の端から山手の方へさらに草つき斜面が続いていた。そこまで行ってもこの程度だった。どれをとるかは個人の好みだけど、どれをとっても帯に短しタスキに・・・。
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逆光の紅葉

10日ほど前の写真だから、今ごろは葉が落ちてしまっているかもしれない。国道477号、兵主大社前交差点から近江八幡の方へ300mほど進んだところ。GoogleMapでは何も記載されていないからただの田んぼに見える。しかし航空写真に切り替えると国道のカーブによって、元の農道との間にできた空き地が見える。その一角に生えている木である。
太陽を背にして見ると見事な黄葉だった。日野川の写真を撮って帰りに寄ってみた。考えてみれば当たり前のことだけど、葉っぱがすべて逆光で、反対側から見た輝きはなかった。じゃいつ撮ればいいのか。おそらく三上山に向って撮る以上、秋のこの時期、一日中のどの時間帯でも無理だろう。tobe or not tobe、使うべきか使わざるべきか、撮影後10日も放っておかれた理由である。
じゃどうしたら使えそうなものになるか、結局、葉が落ちてしまったところかとも思うが、そうすれば右に見える白いドラム缶が目立って来るだろうし。最後は冬の朝、霧が出た時間帯か。しかしそれもマンのもんだし。日の目を見るのはいつことか。そう簡単な話ではない。
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鵜不動

昨日の萩の浜からさらに北へ進む。松林が終わり細い川を渡ったところ、右側(湖岸側)に駐車場がある。以前は四高桜が植わり、道幅が狭かったところである。GoogleMapにはその入り口らしいものは記載されているが、それ以上の細部は不明。よく似た細い川は何本もあるので、場所の指定が100%間違いないとは言い切れない。また湖面が白くなっているが、これは前2枚とは時間的に無関係で、夕方の撮影。太陽が西に傾き、上空には雲が多い。そのための白さである。
ちょうど金勝山系のくぼみに三上山が入り込んだ感じで、山頂部がきれいに見える。撮影場所の三上山から見た方位は357.7度。昨日の萩の浜よりは1.4度左へ寄ったことになる。1.4度でこれだけ動くのかと思ったり、自分の位置指定が間違っているのかと思ったり。しかし、写真を見てくださる方には、そんな細かいことより、岬の先端で羽を広げている鵜の姿のほうが面白いだろう。
野洲川などでは群れをなしていることが多いが、いまは1羽。じっと羽を広げたまま動かない。自分の縄張りを誇示しているのか、魚をいっぱい飲み込んだ満足のポーズなのか、はたまた羽を乾かしているのか。とにかくこれをやりだすと長いんだわ。次に何かやり出さないかと待ったが、気が短いボクには無理だった。
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