不思議な段差

今年もいつの間にか6分の1が終わった。昨日なんかは、ジャンパーを着て歩くと暑い。
さて、近江大橋から1本道でやってくる湖南幹線。それが琵琶湖大橋取付道路「播磨田町北」交差点を越えて野洲川に突き当たるまで伸びている。取付道路までは県道のマークがあるが、そのあとは市道になるのかな。カメラの位置はその市道?の一本琵琶湖側の道、そこから見たもので、田んぼの中に大きな段差がある。その差は私の身長にほぼ等しいから170cmほど。よくみると遠くにクルマが見える。それが湖南幹線の続きである。最初は堤防かと思ったがそうではないらしい。何か地質学的に意味がある段差かと思うが、地震による段差が残っているなど聞いたこともないし、川が侵食したわけでもなかろうし。
余談 : 昨日、本屋の店頭で『つなぐ話』だったか、『つなぐ本』だったか、そんな題名の新刊書に意を強くした。いや、題に・・・と言うと語弊がある。意を強くしたのは「つなぐ」という言葉に対してである。いま日本語として、「つなぐ」という言葉は風前のともしび。「つなげる」が大勢を占める。天下のNHKさまが「未来へつなげよう」などとわけの分からんコマーシャルを流す時代である。(これはNHKの見識からして、「未来へつなごう」だろう)。
この「つなげる」が気になりだしたのは、確か昭和30年代の後半だった。野球放送、それも関西の民放。朝日放送か毎日放送のどちらかだったか、両方共だったか。たとえば(阪神としては1,2番が出塁して)
-----”いかにクリーンアップにつなぐかですね”-----というところを、
-----”いかにクリーンアップにつなげるかですね”-----とやりだした。
最初は
-----”いかにクリーンアップにつなぐことができるかですね”-----と本来の意味に理解していたが、実際はそうではなかった。「つなぐ」が「つなげる」に変わっていた。そのころはまだ野球放送の業界用語ぐらいに思っていたが、それから50年、「つなげる」は堂々と市民権を獲得して、「つなぐ」派は肩身が狭くなった。パラパラとめくっただけなので、本の内容を云々することはできないが、その本の題は、50年前にすでに時代遅れの一員になっていた「つなぐ」派の一人として、我が意を得たり。まさに祝杯ものだった。いやー、うれしかった。
写真ステージ 「近江富士」
■近江非名所全集
■滋賀を歩けば


数mの距離

琵琶湖大橋取付道路。どこでだったか、観光ガイドさんから聞いた話だけど、琵琶湖大橋の工事のために作られた道路でその名前があるとか。その道路の播磨田交差点。滋賀銀行播磨田支店の前から。この風景はずいぶん前から気になってはいた。しかし、家の屋根がちょっと大き過ぎる。左のマンションはともかくとして山に対して民家の屋根が大きすぎるのである(標題写真でも屋根は少し大きい。それよりももっと大きいという意味)。そうかといって、ここで三上山だけをアップしたのではどこから撮ったのかわからないくなる。何やかやで、この風景を撮ったのは今回が初めてだった。
先日ここを歩く機会があり、ああここだったとカメラを向けた次第。思ったより山が大きかった。考えてみると、山が小さいと感じていたのはクルマの中からの風景だった。道路と山の関係上、見えるのは琵琶湖大橋から国道8号向きである。すなわちいま立っている歩道から見ると反対側の車線。さらに右折レーンがある。少なくともいまのカメラの位置よりは数m山に近い。その数mが大きい。これが風景を変えたのである。今まで気にはしつつ、積極的に撮ろうとしなかったのは、この数mの距離が原因だった。
写真ステージ 「近江富士」
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下之郷遺跡

入り口から桜並木を100mほど進んだ環濠部である。弥生時代の集落を取り巻くように巡らされた堀の一部である。現場では3重になっているが、これはそのうちの一番外側のもの。その奥でさらに発掘が行われているらしい、ブルーシートがかけられている。この写真は標題写真の堀の向こうの堤防(といえるかどうかわからないが、丘状の部分)の上から撮ったもの。さらにバックすると丘が2重に見えてくる。この丘と丘の間が堀になっている勘定である。住宅地の中の遺跡だということが分かってもらえよう。
写真ステージ 「近江富士」
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下之郷遺跡

守山市街地、琵琶湖大橋からやってくる県道42号、いわゆる湖南幹線のもう1本山側の幹線道路。しっかりした道路だから県道かと思っていたが、地図を見ると何の表示もない。市道ということだろうか。その道路から見た古代環濠遺跡で国の史跡に指定されている。写真はその入り口で、環濠部までは川沿いの小道をたどることになる。桜の木が植わっていて花の時期は華やかな雰囲気になる。いつも気にはなるのだが、つい通り過ぎてしまう。
これからの2枚は奥の環濠部である。このように幅5m前後の堀がめぐらされている。もちろん発掘されているのはその一部だけれど。シラサギが1羽たたずんでいて、近づくとそれとなく逃げていく。バタバタと飛び去らないのが、なんとなく奥ゆかしい。こちらもそれに合わせておればよかったのだけど、つい面倒になって接近したら、案の定、スーッと逃げられてしまった。バタバタ飛び出すおてんば娘でなかったのがせめてもの慰めか。
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葉ボタン

葉ボタン、一般的には正月の飾り物だけれども、このように2月になっても残っている場合がある。色彩のないこの時期、それが結構目立つ。季節のものかと思っていたが、そうでもないらしい。シャチョウが玄関先に植えておいたら、いつの間にか大掛かりなものになってきた。いま写真に見るように1本1本形が整うようにするには、それな入りの手入れが必要なのだろう。
撮影位置としては昨日の場所と50mほどしか違わないのだが、こうして花が入った分、こちらの方が随分にぎやかだ。葉ボタンが水平方向、すぐ後ろのビニールハウスも水平、その他いちいち挙げればきりがないが、ほとんどのものが水平方向を示している。ちょっとくどいがまえエエか。
写真ステージ 「近江富士」
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冬の旅

南桜、大山川沿いのさくら緑地。静まり返って散歩する人もいない。桜の木も裸のまま、じっと寒さに耐えている。一年中で一番色彩に乏しい時期である。立春以来、とみに明るさを増して来た太陽の光、せめてその光でもと空を見上げるが、その太陽もどこにあるのか。CDで聴くシューベルト冬の旅・第23曲、”幻の太陽”、ハンス・ホッターのバリトンにとどめを刺す。いま、この年齢になってその味が分かる。20歳代のころには、何やあんな辛気臭いものと思っていたものだが。
しかしその冬に耐えてこそ。静岡では河津桜が満開だとか。守山成人病センター前の桜も咲きだした。もともとが絵にならない桜だけど。ついでにもう1枚。
写真ステージ 「近江富士」
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円周率パイ

”苺屋はな”さんのハウスの横を抜けてさらに奥へ進む。昔ながらの重厚な造りの蔵や民家が並ぶ。屋根瓦の輝きが印象的。この道をまっすぐ進むと妙光寺御池の下に出る。もう1本三上寄りの道を行くのが普通だが、あぜ道を通って堤防の下から眺める桜は見事だった。三上山を撮りだして数年、初めて一致した休日と満開、そして晴天だった。今はイノシシ除けのネットが張られ、昔日の面影はない。
ところでこの写真、問題は電柱である。これさえなければまあまあというところ。三上山からの距離1.1Kmと近いのに、山が結構起きている。ふつうは山に近いとどうしても広角レンズということになり、カメラが上向きになることもあって山が寝てしまう。向こう側へ倒れたように写るのである。たとえば先ほどの御池の桜。距離は0.8Km。山が寝ている。花緑公園ふるさと館前。0.7Km。さらに苦しい。
と考えると、ちょうど1Km前後のところで感覚が分かれる点がありそうである。妙光寺当たりの標高は100mをちょっと超すぐらいである。とすると三上山の見かけの高さは300m前後。1000mに対する300m。円周率パイがちらつくのだが。
写真ステージ 「近江富士」
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”苺屋はな”さん

野洲市行畑から地蔵さん道路を国道8号へ向かい、妙光寺の交差点を曲がらずに突き抜けたところ。さらに100mほど進んだところでビニールハウスが集まっている。その中で、右が”苺屋はな”さんのハウス。他のハウスも”はな”さんのハウスかどうか、それはわからない。教室へきているFさんがひいきにしており、先日もここで求めた紅白のイチゴをあしらった彼の写真が、NHKの”近江写真館”で放映されていた。
撮影場所は広い駐車場、というと文脈では”はな”さんの駐車場ということになるがそうではない。国道筋のパチンコ屋さんの第2駐車場ではないかと思うが詳しいことはわからない。とにかく普段は閉まったまま。そこへ勝手に入らせてもらって撮った。写真としては何にも面白くない。勝手がわからないからこんな撮り方になったが、次回は駐車場の向こう側へ下りて、赤い垂れ幕をアップして、その向こうに小さく三上山という手かな。
写真ステージ 「近江富士」
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