竹生口交差点

交差点が移動した。ここの所急に工事が動き出したと思っていたが、いつの間に切り替わったのか、3,4日前に通ったら、あれ道が変わっている。川田大橋の方からやってきた県道151号が旧堤防の上から下ってくる。従来はその下ったところが交差点だった。10月24に撮影の同所。たとえば竹生方面から県道を下ってきた車が野洲市街へ行くには、旧交差点を右折ののち、左へカーブして久野部方面へ向かっていた。(地図・旧)。それが、いったん旧堤防(実際にはなくなっているが)の方へシフトしてそこで大きく左へターンして、交差点を直進して野洲市街へ向かう(地図・新)。標題写真(2014.11.28撮影)は大カーブへ向かう新道と、閉鎖された旧交差点。
実はこの竹生口あたりから三上山を見るアングルには、私が撮影を始めた時点ですでにIBMの工場が進出してきていたし、それが撤退したあとも、敷地は京セラやオムロンに引き継がれた。写真としてはどうにもならない場所だった。2011年ごろ、三上山とは別に旧野洲川南北両流跡のレポートを始めた。三上山の写真としては意味はないが、野洲川北流の写真としては、竹生口交差点は重要なポイントだった。オムロンや京セラには目をつむって、堤防から見た交差点の写真を撮った。それがこの写真である(2011.08.24撮影)。旧北流の樹木が右半分の視界を遮っていた。
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伊庭内湖・2

きのうも書いたように浜にはヨや木がシが茂っていて遠望が利かない。木の場合、枝が高いと見方によっては見通せる場合がある。しかしヨシの場合は2mを超す茎や葉が密集するわけで、幕が下がったのと同じ状態になる。浜は水面から50cmぐらいの高さにあるが、それでもこのような状態である。この切れ目は船の出入り口として確保されているわけで、1mほどだけが視界がきく。
場所は北東から流れ込んでくる大同川が滑らかにカーブしながら、内湖に流れ込んでくるところである。昨日の場所から150m余り左へ寄った(内湖に向かって)場所である。その間、三上山が見える場所は皆無である。その間150mの距離は対岸にとっても大きく大水車の姿は見えなくなっている。
この写真は、大同川が内湖に流れ込む直前の場所である。うっかり見ると手前が内湖、奥に細く光るのが大同川のように見えるが、実際は逆である。川はこの後内湖に流入し、水車の近くから再び大同川として流出、琵琶湖に向かう。GoogleMapではわざわざ内湖の真ん中に「大同川」との表記がある。
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伊庭内湖

伊庭内湖である。といってすぐにその場所を理解してもらえるかどうか。西の湖の北東3Kmあまり、JR琵琶湖線能登川の西2Kmちょとのところだけれど、一番分かりやすいのは能登川水車が立つ内湖ということであろう。標題写真で木と重なって上半分だけ見えるのが例の水車。最初来た時には水車全体が丸見えだった記憶があるが、いつの間にか風景が変わっていた。
対岸の横一線のシルエットが堤防だけど、その堤防上に立つと目前に広大な大中の湖干拓地が広がる。この干拓地事業が完成したのが昭和39(1964)年、今から50年前である。それ以前は西の湖と、この伊庭内湖を含めた広大な内湖が広がっていたことになる。安土城から見下ろすとすぐ目の前が琵琶湖であったというのもうなづける。
撮影場所は内湖北東部の乙女浜。アドレスでいえば東近江市乙女浜町となっているが、”町”をつけると途端にリズムが悪くなる。たとえば集落の出入り口に「ここは乙女浜」と木の切れっぱしに墨書した標識が張り付けてある。それが何とも言えず素朴でいい。ここは町ではなくて浜である。(標識を)写真に撮ってこなかったのが悔やまれる。内湖を前にした浜。どこからでも撮影できそうだが、背の高いヨシや木が生えていて、対岸が見通せるのは限られた一部の場所だけである。
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風景の遊び・2

きのうの続きである。どこの公園だったか忘れたが、土管を横たえて子供が潜り抜けるように整備されていた。単純に見たところ三上山が見通せるように感じられた。これはと近寄ってよく見ると、ほんのちょっとのずれでアウトだった。もっとも子供は中を通れるから、入り口では見えなくても出口近くになればちょっとずれたところから三上山が現れる。まあ、それはそれでいいのかもしれないが。土管に入った時から真正面に見えているのと、奥へ進んでから横から現れるのとでは、設計者の遊びとしてはどちらが楽しいのだろう。
私が知る限りにおいて、いちばん楽しい風景の遊びができるのは地球の森の設計者だと思う。旧野洲川南流跡の半分ぐらいの土地を使って、自由に風景が設計できるのである。標題写真、ここは地球の森の南端、JAおうみんち前のいわゆる浜街道から北西へ450mほどのところ。わざわざ堤防の盛り土をして標高を上げ、恒久的な橋を架けたところである。下を見れば唯の空き地である。たかが公園内の遊歩道、それもただの空き地にである。この恒久的な構造はなんぼ何でもやり過ぎだろうと考えたが、周りを見渡すと意味が分かってきた。草津からやってくるメロン街道がこの下をくぐって野洲川の幸浜大橋につながるらしい。それをまたぐための恒久橋ということらしい。
それはいい、いくら公園内の遊歩道とはいえ、下を幹線道路が通るとなれば木の橋でいいというわけにもいくまい。それはわかった。この写真は、その恒久橋の最高点、いいかえれば地球森全体での最高点にもなるわけだが、そこから見た三上山である。さすが最高点からだけあって、木々の上に三上山が見える。しかし木は成長する。いつまでもこの風景が保てるか。設計者の”遊び”が問われるところである。
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風景の遊び

長命寺川左岸から少し離れたところに立派な道路が走っている。ただし長さが500m足らず。両端はどこにもつながっていない。妙な道路である。ときどき忘れたころに軽トラがやってくるだけ。いや忘れて昼寝をして目を覚ましても来るかどうか。途中進入路はないわけではない。しかし入っても意味がないから一般のクルマはこない。
その道の片側の突き当りにこんな施設がある。農業用水の調整池か何からしいが、詳しいことはわからない。その施設に一直線に流れ込んでくる川がある。その突き当りに三上山が見える。きょうの標題写真である。偶然できた川ではないと思う。どうせ…と言っては語弊があるが、広い田んぼの中の人工の農業用水である。距離は300mあまり。どうせつけるなら三上山から流れてくるように見えたら面白い。にやりと笑った設計者の遊び心がみえてくる。ビニールハウスのために半分以上見えなくなっている。水路を作った時はなかったはず。
三上山だから面白いというのではない。富士山であろうと、御嶽であろうと、大山であろうと、それらを使って遊べば風景が楽しくなる。川だけではない。町でも公園でも風景が遊べば心が豊かになる。それが観光遺産であり、ひいては文化遺産につながる。
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近いススキ

西の湖から琵琶湖へ流れ出る長命寺川。右岸沿いの道路は湖岸道路の一部となり、車の往来がひきももやまない。それに対して反対側の左岸は砂利道で、晴天が続くと砂ほこりが舞い上がる。いまどき車が通るぐらいの道路で何で砂利道なのか。何か事情があるのだろうが、雨が降れば泥はね、降らなければホコリ、どちらにしても車は超スロー運転を強いられる。
いまの長命寺山はかつて琵琶湖に浮かぶ島だったという。長命寺川左岸のこのあたりはかつて内湖であったところで、埋め立てられていまの状態になったとか。素人の私などは、陸地になればすぐに有効利用ができるように考えてしまいがちだが、農業に適したいい土にするには一朝一夕にはいかないのだという。いまも下流の運動公園近くで土壌の入れ替え工事が行われている。
そんな状態だから農作業のクルマもほとんど来ない。このススキも道端のものだが、気楽にゆっくり撮れる。この日は雲一つない快晴だった。当然風もない。こんな状態のときが写真としてはいちばん困る。晴れ上がった青空を水平方向に見ると白っぽく曇り空に見えるのである。遠望は利かないし、手前は黒く写るし、手前のススキの白さがせめてもの救いだった。
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遠いススキ

湖岸道路長命寺方面から南へ、「湖岸白鳥川」を越えたあたりで、左前方に遠くススキの穂が光っているのが見えた。風景というのは”いいな”と思った瞬間、その場所から見たのが一番いい。ちょっと場所を変えるとだめだし、”またあとで”と後回しにしていってみるともうだめだ。亡くなった前田真三の写真集『出合の瞬間』はそれを言っているのであろう。
とはいえ、湖岸道路にクルマを止めてという無茶なことはできない。岡山の麓の老人ホーム「水茎の里」まで走り、そこから農道を引き返した。湖岸道路からは当然位置が少しずれているし、高さも少し低いけれど、ほぼ同じ風景が見えた。ススキの手前は麦畑、烏が数羽遊んでいる。何をやっているのかわからないが、替わるがわる岡山の方へ飛び去ったり飛び来たり。ファインダーで見た時にはカラスに見えたが、今こうしてみるとトンビにも見える。さてどっちや、それすら見分けられない怪しい目である。
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在りし日の電柱

湖岸道路を長命寺方面から南へ向かうとき、岡山城址の坂を下って一つ目の信号、点滅信号ではなかったはずだが、確か”名なし”だったはず。近くに赤煉瓦の建物(日野川水利揚水場)があって目印になっている。以前、琵琶湖一周ウォークをしていたとき、お世話になっていたラフォーレ琵琶湖の運転手さんが、「赤レンガの信号・・・」と目印にしていたのを思い出す。
その赤レンガの信号を左折してしばらく、ゆるーい左カーブを進むと、正面右手に三上山が見えてくる。湖岸道路を北から帰ってきて我が家へ向かうとき、この道路かもう一つ西の日野川右岸を経由して市街地へ向かうことが多い。そんなときいつも気になるのが田んぼのふちに立っているこの4本の電柱。すべて現役ではない。かつて電柱であったであろうこの4本のシルエットに何とも言えない風情を感じるのである。一番手前のが現役で奥3本が引退組だった時期があったような気がするが、今回行ってみたら写真のような状況になっていた。
まだ午後3時半を回ったばかりだというのに、暮れるに早い秋の日が西に傾き早くも夕方の風情。忙しそうにやってくる車の主から見れば、わけのわからん電柱がもう1本増えたように見えたかもしれない。
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