一面の田んぼだった

湖南市岩根、野洲川と国道1号バイパスに挟まれた広大な土地。つい半年ほど前までは一面の田んぼだった所である。ここで造成工事が始まっているイオンタウン湖南12月上旬オープンの看板が揚がっている。
実は、「以前は一面の田んぼだった」、これが一番困る。「以前」の写真を見ていただきたのだが、それががないのである。田んぼと三上山だけでは絵にならない。どうしてもカメラが向かない。丹念に探せば1枚や2枚出てくるかもしれないが。
今年3月31日付の本稿で>岩根交差点について、「今後どう変化していくかわからないが、開発が進めば、このあたりが湖南市の中心的な位置を占めることいなるのではないか」と書いている。何を寝ぼけたことを、その時点ではとうに今の状態になることが決まっていたのであるもう1枚おまけ。工事現場を左に見て、岩根交差点に向かう県道13号。左奥の山が十二坊。
写真ステージ 「近江富士」
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キジが走った

シャチョウの買物のお供をして道の駅「草津」へ。待ち時間を利用して津田江との間の農地を歩いてみた。早くも稲が穂を出していた。そうか、もう7月も終わりだもんなーと津田江に近い道を歩いていた時、4,5mほど先のあぜ道へキジが出てきた。別に慌てた様子もなく、ト、ト、ト、トッと歩いて、三上山とつなぐ線上に近づいていく。その間、時間にして2,3秒だったか。今だと思った時には神隠しにかかったように、その姿は忽然と消えていた。
写真教室に来ている守山市のFさんは、考えてもいないような写真を撮ってくる。先日も2羽のキジが向き合って睨み合っているシーンを撮ってきた。私なんかは1羽のキジも撮れないのにどないしたらそんな写真が撮れるのか。写真を撮っているときにキジの鳴き声を聞いて、そこらにいること判断、出てきそうな草むらに狙いをつけ、車を近づけて待つ。もちろん1回で成功するはずはない。50歳代、自営業の現役、時間を惜しんでの撮影だという。9月に開く5教室合同写真展(滋賀県立近代美術館)に出展する。
標題の写真は、キジが走ったあぜ道を未練たらたらで撮ったもの。出てきたとき私は画面右外5mぐらいのところにいた。望遠は使えないから、撮れても小さくしか写らないのだが、それでも目の前へ現れると狙いたくなる。Fさんが撮ったのも烏丸半島だったとか。このあたりにはキジが多いのかもしれない。
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八軒堀取水樋門

きのうも文中に出てきた野洲市菖蒲である。一見するときのうの写真で、オオバンがいた川と同じ川に見えるが、実は別の川である。どちらも琵琶湖に注いでいる。河口どうし互いの距離が200m足らずである。
後のことを考えるとこういう状況が一番怖い。撮った自分自身でも撮影場所がこんがらがってしまい区別がつかなくなる。これは7月12日の標題写真である。実はこの写真はきょうの写真の川向うの農道から撮っている。奥に見える蓮池の里多目的公園の石垣を見ればおよその見当がつくが、200mも離れていない川を区別することは難しい。
7月12日のままでほっておくと意味がなくなる。それを解決するために、改めてこの樋門の写真を撮りなおしたわけである。ネームプレートには、「八軒堀取水樋門」とあった。前回も述べたが、この樋門、GoogleMapには記載されていない。
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オオバン振舞い

野洲市菖蒲のほうから野洲川揚水機場裏の農道を通って正門前に出た。江口川親水公園のさらに下流に当たる。揚水機場の向こうは湖岸道路、その向こうは琵琶湖である。
ふと川を見ると黒い鳥が数羽いる。カモか何だとこの瞬間に飛び去ってしまうが、案外のんびり泳いでいる。土色ににごった水だからシラサギがいても絵にならない。黒でよかったというべきか。黒一色の鳥といえば、カラスか鵜ぐらいしか思い当たらない。いくら何でもカラスでないことはボクにもわかる。だとすれば鵜だと瞬間的に判断した。が、形がちょっと違うし、鵜よりは小さいような気もする。その中に鼻筋が黄色の鳥がいる。この時点ではまだ鵜だと思っていた。でも鼻筋だけは確かめなければならない。
帰って、「鵜 鼻筋」で検索してみた。やたらと美容整形のサイトが出てくる。世の中変わった、鵜が美容整形へ行く時代か。馬鹿らしくなったが、少し丹念に見ていくと「鵜じゃなくてオオバンでした!」というコメントがあった。そうか、あれは鵜ではなかったのか。あらためて「オオバン 鼻筋」で確認。でも数羽いたうち、鼻筋が通っていたのは2羽だけだった。ファミリーだったのかもしれない。もう1枚オオバンふるまい
標題の写真はオオバンがいなくなった川筋と三上山。アホな写真をのせるな。ホンマ、ホンマ、おっしゃることはわかります。でもほかに写真がなかったもので。
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田の中の塑像

鮎家の郷から五条のほうへ向かう道が、蓮池の里多目的公園からの道と交差するところ。田んぼの中に黄色い服を着て作業している人がいる。何か機械を操作しているらしいが、トラクターやコンバイン等ではなさそう。ゴーカートに乗っているような雰囲気がある。(標題の写真は長いレンズを使っているのでかなりはっきり見えるが、肉眼でははっきり見えなかった)。最初は人間かと思っていたが、いつまでたっても動かない。案山子でもなさそうだし。
場所を移動してみるとあぜ道を通してはっきり見える場所があって、よく見ると成安造形大学にある人物像らしい。同大学の教授だった今井祝雄氏が、1994年の平安建都1200年祭に合わせ64体を制作。一昨年だったか、同氏の退職を機に7体を大学に残したほかは、外部へ寄贈云々の話題があった人物像である。たしか例のイーゴスに乗るというイベントもあったはず。
どんないきさつでここへやってきたのか、その塑像が田んぼの中にある不思議さ。これはぜひまともな構図でまとめたい。畦道をたどるとあれあれなんやこれ。椅子のパイプは仕方ないとしてこのブルーシートは・・・・。もうちょっとまともな状況で撮りたかった。三上山はともかくとして多少なりとも落ち着いた視角はないものかと探したのがこのアングルだった。
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イネ伸びる

野洲高校グランドの近くというのが一番わかってもらいやすいだろう。野洲高校の校舎は新幹線沿い琵琶湖側にあるが、グランドは新幹線を隔てた山側にある。それのさらに山側、道路沿いに立つ日通の倉庫の裏側である。
一週間ほど前どこでだったか、イネが穂をつけているのを見た。そういえば早いところだとあと1月程で稲刈りが始まる。ここはどうだと目を凝らしたが、まだその気配はなかった。田んぼを前景にした風景、正直どうしようもない。風があるときなど、イネのそよぎが模様になるときもあるが、いつもいつもそんな風があるわけでもなし。
画面右端に西林寺の本堂が見える。
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高原の想い出

梅雨は開けたが、空気の透明度が低く遠望が利かない。ここはごく近場、野洲市三上の農地。ついひと月前までは麦が実っていたが、今は大豆畑に変身している。麦やイネではさほど気にならないが、この大豆畑を見ると、なぜか八ヶ岳や浅間山麓に広がる高原の野菜畑を連想してしまう。
高原といえば、中央西線の狭い谷筋を抜けて、篠ノ井線の車窓から見た松本平の明るい風景も忘れられない。昭和30年代前半、一面にトウモロコシ畑がひろがり、その向こうに美ヶ原高原の稜線が伸びていた。松本まわりは最初の2,3度だけで、あとは木曽福島からのバス、最後のほうは高山線ファンになってしまったが、いま思えば、若かったあのころ、懐かしい風景である。いま高速道路で走ってみてもその風景はよみがえってはこない。
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シニガハチ

ふるさと館玄関前、大きな石が置かれ、なんとなく日本庭園の風情がある。山頂が2つに分かれて見えるが、左側のは南桜から見ると、尖って見える尾根である。で、右側が本当のピークかというとどうもそうでもないらしい。本当のピークには日の丸の旗が立っており、見えているピークが本当のピークだとしたら、それが見えるはずである。何も見えないということは、見えているピークは山頂近くの出っぱりではないかと思われる。
見えているピークが山頂だと仮定して、撮影場所から山頂までの実際の高さの差は何mあるのかと、地理院地図を見ていて不思議なことに気がついた。このWeb地図は、画面を右クリックするとその点の標高が表示される。それによれば、撮影位置の標高は148mである。山頂は、432mのはずだから測る必要もないのだがとクリックしてみると428mと出る。「?」。実は昭和20年代ぐらいまでの地図には、三上山の高さは428mとあった。70歳台ぐらいの方までは、三上山はシニガハチ(4×2=8)と小学校で教えられたという。
それが復活したのかと驚いたが、どうもそうではないらしい。428mに続いて(5m)との表示がある。5mの誤差があるのかと早合点したが、よく読んでみるとそうでもないらしい。右クリックした点を中心として一辺5mの正方形内の平均値が表示されるとのこと。そうか、それならわかる。何とも細かいことよ。で、その標高差は・・・。勝手に計算せい。
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