砂防ダム

砂防ダムは名神を背にして見た場合、左右に3基並んでいる。きのう紹介したのがそのうちの中央のもの。南桜の集落から名神をくぐってすぐそこにあるのが一番左のもの。ここからは名神に近すぎて三上山は見えない。これが一番後でできたらしく、国土地理院のWeb地図にはいちばん左のこれだけが記載されていない。そこから道を分岐して右へ行くと真ん中のもの。それからさらにいちばん右へと道がつながっていく。
今回改めていちばん右のダムへの道をたどってみた。ダムは山をまいた裏にあってそこからは見えなかったが、途中山際をカーブするところで一か所見えるところがある。それがきょうの標題写真である。結構高いところで、木の隙間から琵琶湖が横一線に見える。もう一つ大きくするとよくわかる。最後にもう1枚。取付道路の名神に近いところから。
写真ステージ 「近江富士」
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砂防ダム

「名神の奥の砂防ダムから三上山がきれいに見えますね」と、ディレクターのK氏がいう。「名神からよく見えますね」ならよく聞く話。しかし名神の奥、その上に砂防ダムだという。どこのことかな?。ついこの間、石部の東寺から砂防ダムは見てきたが、名神の奥ではない。はて、どこかな。すぐそこです。名神の奥です。行きましょう。会話の場所は南桜・さくら緑地の駐車場である。そこから見て”名神の奥”は、菩提寺山を意味する。そんなところに砂防ダムがあるはずはない。
K氏はスマホとやらをとり出して、ここです。航空写真にすると・・・ほら。なるほどダムが3つ並んでいる。しかし、どう考えても分からない。名神の向こう側は菩提寺山だ。そんなところにダムはない・・・と信じ込んでいた。しかし、K氏は、ボクこのあいだ行ってきました。
集落の間の細い坂を上って・・・名神をくぐる。眼前に現れた砂防ダム(この項の写真は、すべて改めて別の日に改めて撮りなおしたもの)。ホンマや、こんな砂防ダムいつできたのだろう。三上山を撮りだしたころから、南桜の集落から菩提寺山側へ名神を渡る橋があることは地図を見て知っていた。その近くまで行って、これは到底だめだと引き換えした淡い記憶は残っている。しかしこんな砂防ダムがあるなんて、そしてそこから三上山が見えるなんてことは考えても見なかった。ダムにはまだ砂はたまっていない。できて間がないようである。
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TVロケ

いまとなっては絶対に撮れない、いや撮ろうとは思わない場所である。TV「ここいろ」のロケ。写真集に収録した昔の写真と現在の風景とを現場で見比べるという。三上のめがね木。畦道に生えてきた2本の木が、仕事の邪魔になるからとおばあちゃんがヒモでくくっておいた。そのまま忘れていたらその2本の幹が途中でくっついて下部がメガネのよう丸く輪になったという面白い木だった。いまは近くに道路が通り工場のフェンスが邪魔をして写真にならない。ディレクターのK氏はそれが面白いという。
「40年間変わらない民家がありますよ」といっても、反応なし。それなら、桜の木の近くで祠が消えた。それ、いきましょう。何となく高校生が文化祭用のビデオを撮っているムード。何やったはるんですか?、中学生も見学。たった2分の番組だから、これで終わりかと思っていたら、次は水茎町(近江八幡市)へ行きましょう。2分にかける熱意、これだよ人生で大事なのは。田んぼの中の吹きっさらし。これは寒かった。
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いいわけは

昨日の落差工の少し上流。左岸河川敷が親水公園になっている。まだみどりはないが、三上山を撮るにはこれもまたよし。そんな思いで狙っていたら、小さな男の子が飛びこんできた。アッと思ったとき、その後ろを女の子が一輪車で。1人だったら簡単だったが、2人になって一瞬とまどいが、その間に男の子は通り過ぎてしまった。もうちょっと大きく撮りたかったのだが、前へ出る時間はなかった。
写真は結果が勝負、いいわけは意味なし。若いころから肝に銘じてきたつもりだが、このトシになってもまだまだ修行が足りません。
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見当違い

野洲川放水路、近江富士大橋下流の落差工である。私は釣りのことはわからない。春の光に誘われて釣り人がいるのではないかと行ってみたが、全くの無人。そうか、あれはアユに時期なのか。
大きい風景だけど、対岸の白い建物がつらい。これさえなければ毎月でも行ってみたいところだけど、そうはいかないのが現実。いつだったか、その建物が木でカバーされて、ほとんど見えなくなっていた。それを思い出して行ってみたのだけれど、残念、落葉樹だったらしくいまは丸見え。両方とも見当違い。世の中は思うようには行きません。
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新しい風景

昨日の消えたケヤキから100m余り北へ(旧野洲川北流でいうと下流側へ)移動したところから、市三宅の集落越しに見た三上山である。つい先日までは竹藪にブラインドされた状態で、外の風景は見えなかった。その竹藪が伐採され、新しい風景が出現した。細い里道と小川が並行しその間が竹藪だったことになる。反対側を向くと消えたケヤキが見える(伐採作業休憩中)。切り倒された竹が残っている。標題写真をすこしひろげてみると手前の倒れた竹が見える。ひょっとしたら今ごろはどこかへ運ばれ、処理されてしまっているかもしれない。
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ケヤキ逝く・3

そして、3月20日午前10時ごろ、別の場所へ行こうとして現場を通りかかった。大きなクレーンが見えた。ケヤキの木だ。それまでこの状況を失念していた。呆けたなー、ワシも。
現場は片側一車線に規制されていた。少し離れたところへ車を置いて振り返ってみたところ。道路側の枝が3分の1ほど切り取られていた。慌てて現場まで走る。木の又のところで誰かが作業をしているらしいが、シルエットで何をしているかはわからない。と、ロープが動きだして、枝が1本引き上げられていく。これが標題写真。その枝を下ろした後、ロープは再び木の又の作業員のところへ。引き上げられる。次に切り落とされる枝にロープをかけに行くのかと期待ししたが、そのままスーッと降りてきてしまった。?、クレーンの運転者も下りてきて、緊張がゆるむ。休憩らしい。
人様の休憩をぼけーと見ているヒマはない。次の場所へも行きたいしということで、現場の見学はこれまで。もし、この休憩がなかったら、最後まで撮り続けただろうけれど・・・・。念のためと正午過ぎ現場へ行ったときには、軽トラだけが残って後始末の最中。そこはきれいさっぱり、木が生えていたことすら分からない状態になっていた。現場から見下ろすと、オー、と声が出るぐらいの生々しい根っこの切り口。こうしてまたケヤキが1本この世から姿を消した。
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ケヤキ逝く・2

昨日のつづきである。たとえばこの写真は2011年7月の撮影であるが、当時の旧野洲川堤防跡、そしてこれがその場所の現在の姿である。その昔のはいうに及ばず、新しくなってからも竹薮によって展望は利かず、昨日の標題写真のように、密度の低いところで何とか山が見えるといった状態だった。その竹ヤブの中にきょうの標題写真のようにケヤキの木が1本立っていた。この写真は2016年3月7日の日乗で使っているが、これから述べるような事情でどうしてもここでもう一度使いたい。
つい最近、3月になってからではなかったと思うが、この竹藪が部分的に切り取られているのに気がついた。あれっ?と思たが、そのときはカメラを持っていなかったのでそのまま通り過ぎた。何かの事情でちょっとだけ切られたのだろうと勝手に判断した。そして翌日だったか、翌々日だったか、300m近い距離の竹ヤブがほとんど切り取られ、ケヤキの木の周辺だけが残っていた。これは撮らなければと思いつつ帰宅したが、うっかり雑事に気を取られてそのままに。この失念は悔やんでも悔やみきれない。以下明日。
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