屋根つき三上

琵琶湖博物館の入り口である。ここへ入るのは半島の周回道路から入るものと思い込んでいた。ところが駐車場へ車を置けば、琵琶湖側からの森の中を抜ければ近いのだという。へー、そんな道があったのか。それは知らなかった。きょうの写真はその森の中を抜け博物館の正面へ出ようとしているところである。大きな屋根が博物館の車止め。屋根付き三上というところか。道そのものを知らなかったのだから、風景として見るのも初めてだった。
◆きのう紹介した「引札」の展覧会の件が、けさの京都新聞に大きく報じられていた。きのう書いたことに一部に間違いがあったので訂正。引札の出所だけど、私は(高田さんの)「ウチにあった」と聞いたつもりだったけど、けさの新聞には----20年ほど前に奥さんの実家を整理した時に56枚発見した----とある。これがホンマの話らしい。展覧会自体には何の関係もないことだけど。物事の伝達の難しさ。
写真ステージ 「近江富士」
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冬枯れの河川敷

野洲川放水路稲荷大橋。右岸に雛鶴稲荷神社が建つところである。かつての野洲川北流の難所はいま野洲川歴史公園・サッカー場ビッグレイクになっている。この橋は他の橋より少し規格が落ち歩道が狭かったが、このように改修され歩きやすくなった。画面右端に見えるのが中洲小学校。通学路もこれで安心。標題写真は橋の左岸から見た流れ。見えている橋は1つ上流の服部大橋。もう1枚。右岸の河川敷。

◆ただいま開催中。
実はいま、杣街道(三雲~柘植)を歩いている。早い話がJR草津線の南半分、ほとんどが甲賀市域である。寺庄・六角堂の近くで、水口教室の高田さんに会った。「すみません、教室ちょっとも行けずに。寺やら宮さんやら役もたされて・・・その上に、いまこんなことやってますねん」。持ちだしたのが上のポスター。『引札』というのだそうな。明治・大正期の地元商店が節気の集金のときに、PRをかねてこういう印刷物をお客さんの家に置いていったのだという。
こんなん、どないして集めはったん?、「集めたんと違うねん、ウチにあったんや。祖父さんの残していったもん整理してたら出てきましてん」。この引札展覧会ただいま開催中(休館日にご注意を)。甲賀図書情報館HP。
それにしても、こんなとこで・・・。「こんなとこで・・・て、ここらはワシらのとこでっせ。ほなおおきに・・・」と行ってしまった。狭い街道だ。車を止めて話をしていたのは、他人様の庭先だった。そこの家の旦那が出てきた。すみません。大きな声で、ご迷惑を・・・・。イヤイヤかまへん、かまへん。大きな声やったから、わしはまた事故でも起こさはったのか思たんや。
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広がった川

希望が丘の奥を水源として流れ出る家棟川。野洲市の北部を流れて琵琶湖へそそぐ。きょう話題にしようとしているのは、それのすぐ南を並行に流れ下る新川である。下流部、琵琶湖に近づいたところでくっと右に折れて、北上し、家棟川に合流するその部分である。長く行かなかったあいだに、なんとなく川幅が広くなったなという話。
たとえばこの写真。1970年代末頃の写真である。このころはよく通っていたので、フィルムは探せばまだ何枚かは残っているはずだが、デジタルですぐ出てくるのはこれ1枚しかない。子細に探せば向こうに見える民家で同定できるものがあるかもしれないが、そんなことよりも山の重なりを見てもらうと、きょうの標題写真とほぼ同じであることか見てとれるはず。そして今の写真が昔に比べて平面的になったなと感じるのである。川が広くなったのだろうが、それと同時に地面から水面までが近くなった感じがする。水面が上がったのだろうか。このあたりでは水の流れはほとんどなく、琵琶湖の水面と同じ水位のはずだが。
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みどりの風景

青々とした風景である。気がつけば不思議な写真といわざるを得ない状況になっていた。撮影は11月10日(もちろん今年)。2週間強日が経っている。だから緑が濃いのか。そうではない。たとえばこの写真は11月12日。もう1枚。これが11月05日。北の方で撮ったのではないか。そうじゃない。撮影場所はどちらも甲賀市。野洲より南である。なんでここだけ(標題写真)このように青々としているのか。
希望が丘から下ってきた県道324号が、野洲図書館の前を経てJR線をアンダーパス。地上へ出て朝鮮人街道・県道2号をクロスして中の池川をまたぐ。そこで振り返ったのがこの風景というところ。で、写っている風景は中の池川である。少し上流は例の祇王井川。生和神社(標題写真で川の突き当りの森)の近くで分岐してきた川である。そのまま下流へいくと、総合体育館の裏で童子川へ合流する。
アオでおどかすためにわざと日を遅らせたのではないか。いやいやそんなことはない。いつの間にか遅れてしまっただけ。全く不思議。世の中にはこんなところもありますよという話。
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山を越す鳥

漁港から湖岸を浮見堂の方へ歩く。浮見堂の南隣りに石組みで一段高くなっている広場がある。GooglMapでは堅田藩陣屋跡となっているところである。湖岸からの高さは私の身長より少し高いから2mそこそこということだろうか。いま見てもらった写真は石段を登る前、湖面には水鳥の姿もまばら、ほとんど動きもない状態だった。
さてそのあとである。石段を登るのにものの5秒もかからない。そこを上り切った時である。うしろから激しい羽音が近づいてきた。何10羽、いや何100羽といってもいいかもしれない、カモの大群である。この鳥がどこから現れたのか。今石段を登りだす前は鳥の姿そのものも見えない静かな湖面だった。慌ててカメラを構えたときには、鳥は大半が通り過ぎていた。連写で残ったのは後半である。私が使っているカメラには、連写はHとLの2種類があり、いつもはLにセットしている。それで9枚のデータが残っている。
おびただしい数の鳥が通り過ぎた。三上山の上も下も、とにかく群れをなして通り過ぎた。少なくともほとんどのデータに山の上(画面上の空の部分)を飛ぶ鳥が写っているはずだった。しかし現実にそれが写っていたのは標題写真の1枚だけ。これだけの鳥が飛べば、上を越す鳥が半分ぐらいいても当たり前だとの勝手な思いが先立っていたのだろう。その感覚を狂わせたのは、この陣屋跡広場の2mほどの高さだったと今になって思うのである。人間の目がいかに不正確なものか思い知らされたことである。
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懐かしの漁港

唐崎のあと堅田へ寄った。浮見堂の少し南に小さな漁港がある。そこから見ると、秋から冬にかけて、毎日まいにち南へ寄ってきた日の出の位置が、三上山の少し手前まで来て北へ引き返していく、そういう場所である。1970年代から80年代初めにかけて、年末から年始に日の出を撮る(1981)のが恒例行事になっていた。
いまは漁港というよりヨット置き場といったほうがふさわしいが、それも2,3艘置かれているだけ。ごく低い可愛らしい防波堤が風景を遮らない。他の漁港のそれのように背が高く風景を防ぐことがない撮りやすい港である。もう1枚、1992年の日食。この日の太陽は昇ってきたときすでに欠けていた。珍しい日食で、撮影場所は迷わずこの漁港と決めたが、そのときすでに最初のころから10年を経ており、初めてここへ来たときのことを思いだし懐かしさを感じたものだった。
最初のころから数えて40年、つぎつぎに消え去る風景が多い中で、よくぞ残っていてくれた。そんな思いがひとしおだった。
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唐崎の松その後

2,3週間前だったか、唐崎神社で松枯れへの対策が講じられていると報じられていた。どう変わったかと見に行ってきた。想像したことではあったが、一目見て、やっぱりこうなるのだろうな。いやこれでもまだ心もとないのではないか。そんな思いである。
2本の幹は下3分の1ぐらいのところで切り取られ、琵琶湖へ向いて左側半分はすべての枝が切り払われている。それが標題写真。皮肉なもので、私としては初めて可能になるアングルだった。今までの松はあまりにも大きく、それに加えて神社の建物などがあり後ろへ退がれない条件であったため手が付けられなかった。それがいまこうして2本の幹と三上山が同じ画面に入る。灯籠は別にして点在する石は元気だったころの枝を支えていたものである。木の支柱・石組、すべてお役御免。
松の細部が見えるようにと南側へ回ってみた。左側の枝が異常。一抹ののぞみで残したものだろうが、回復するのか、さらに悪化するのか。今まで見えなかった比叡山がぽっかり見える。右の木の全貌が見えるのも初めてだった。
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この木は怖いぞ

森林センター・ウッディ―ルームの近く。踏み跡道が続く。木と木の間から山が見える形で、近い割には見えにくい場所である。いまも前方で何か工事中らしい。赤いコーンが見えるが、それを避けると絵が崩れてしまう。まあエエかで撮った1枚。
このあと”工事現場”へ着いて驚いた。倒れた木が何本かに切断され横たえられていた。健在だったときそばに添えられていたと思われるネームプレートがあって、「メタセコイヤ」。やっぱりそうか、おそらく先日の台風による被害だろう。倒れた根っこのところを見るとスポンと抜けた様子。木の幹は直径40cmはあるだろう。立派な大木である。ところが抜けた根っこはいくら大きく見積もっても直径2mあるかないか。それも本当にスポンと抜けた感じで、周囲の地面に傷もない。倒れた木には悪いが、これでは倒れて当り前やなと思えてくる。木は想像もできないくらい広く深く根を張っているものと教えられてきたが、この木は怖いぞ。
10月31日に書いた、湖岸道路・山賀パーキングの倒木も、以前の記憶でポプラだとばかり思っていたが、ひょっとしてメタセコイヤだったのではないか。ふと思ったことである。
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