壁画再挑戦

きょうで10月も終わり。28日に見てもらった大山川の壁画。私のワイドでは収まり切らず、2枚の写真をつないだら、妙に山の高さが高くなりけったいなものになった。まさかあれをそのままにしておくわけにもいかず、同じやるなら10月中にと殊勝な気持ちを起こして、再撮影に行ってきた。家を出たときは晴れていたのに、現場へ着いた時にはいつの間にか曇り空。時間にして10分そこそこなのに・・・。
前回は2枚に分けてつなごうとしたから妙なことになった。今回は本体をワイドで収めて、山本体については何もなぶらず両端を継ぎ足す形で処理をした。すくなくとも前回ようなけったいな形にはならずにすんだ。
現場付近の大写しである。撮影場所は右側に見える階段を降りて、さらに水辺へ降りる階段のあたり。そこまで行ったら現物合わせ。
写真ステージ 「近江富士」
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消えた展望

昨日の写真とほぼ同じに見えるが、ランドマークの巨木が右へ離れている。撮影場所が左へ移動したということである。これによって三上山の右に菩提寺山が入ってきた。左は妙光寺山、それとの間に遠く十二坊の一部が見えるという構図である。近くでは画面奥の方からやってきた南流跡が右へ曲がって画面を横切っている。きのうも書いたが、画面中ほどの背の低い森はこの公園の整備事業で植えられたものである。広場には芝生が植わっているからもうこれ以上木が植えられることはないと思うが、田んぼは別にして、これ以上の広がりを持つ場所はざらにはない。人それぞれの感覚があるから一概には言えないが、私はこう以上森は増やしてほしくない。
これは2012年6月の撮影である。今日の標題写真よりはほんの少し右から撮っているようである。見通しはこちらのほうが広い。山は上半身が見えるのと、腰まで見えるのとでは受ける印象が全く違う。このちょっとした広がりを大切にしたい。もう1枚、2008年8月のもの。南流跡の窪地に橋がかけられたあたり。きのう、きょうの写真よりはさらに左に寄っていて、水保町の集落が画面左に見える。それらを除いた三上山方面の見通しはよかった。この風景を見つけたときは本当にうれしかった。
今はこの広場に公園の施設が建っている。この見通しは戻ってこない。
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緯度経度

びわこ地球市民の森、旧野洲川南流跡の公園である。浜街道JAおうみんちのところから、北北西に向かっていた跡地が北へ向きを変える、まさにその現場である。大まかにいえばヨシが生えているところが流れのあと。真正面に三上山が見える。右側から画面奥を横切る森はいったん平坦化された跡地を公園化する時点で植え付けられたもの。
その森の中を細い小道が続いている。見通しは一切ない。と、前が明るくなって前方に三上山が現れた。緩いカーブ、穏やかな勾配。北陸線の旧柳瀬トンネル付近の廃線跡を思いだした。一つの風景ではある。これを標題写真にしようかと考えたが、なんとなく踏ん切りがつかない。何かが物足りないのである。といって毎日の写真をそこまで吟味しているわけではないのだが。
あれこれ考えているときに、昔撮った1枚の写真を思い出した。旧北流の右岸堤防上、旧中主町井口付近との記憶はあるが、じゃそれがどこだったかといわれると答えられない。「ここだ」という決め手がないのである。そうこうしているうちに堤防は平坦化されてしまった。そのあとを歩いてみた。どうもこのあたりらしいという場所は見つかった。山のつながりも見える。しかし肝心の元の写真は三上山が見えるだけ。比較のしようがないのである。いい写真であっても、周りのつながらない写真は後に続かない。大げさな言い方をすれば、歴史的価値を持たない。
その点、標題写真は左へ続く山並みが見える。もしこのあたりから撮影された昔の写真が出てきた場合、両者を比較すれば、その写真の撮影場所が特定できる。お前が死んだら標題写真の撮影場所が分からないくなるじゃないか。そう、すべての人間は間違いなく死ぬ。そのための緯度経度(三上山からの距離・方位)である。
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これは参った

ぎおう教室、井上Y子さんからの受け売りである。先日の教室に井上さんが、例のさくら緑地、大山川右岸の「ムカデ退治壁画」の写真を撮ってきた。”ああ壁画やな”と適当に流そうとしたところ、井上さんが「壁画が三上山につながっているのですね」という。?、何が。「壁画と三上山が一つになるのです」。・・・2,3回聞きなおしてやっと意味が分かった。
壁画ができて随分になるが、その間そんな話は聞いたこともなかったし、私自身も考えてみたこともなかった。確かこの絵ができたてのころ、観光協会の係りの人から「壁画ができた」との連絡を受けたような気がする。もちろんすぐに見に行った。正直、その時直感的にこれはアカンなと思った。あまりにもまとも過ぎて収まりようがないのである。唯一つテレビ東京だったか、ふるさと富士シリーズでロケに来た時に、ムカデ太鼓をこの壁画の上で演奏した。山頂からロングで下してきて、ぐーっとワイドになって壁画と太鼓が写るという趣向だった。TVやからできる話だった。1枚ものの写真では無理だ。以来ここはしゃーないのやと、適当な写真でお茶を濁していた。
そんな壁画が三上山とつながるという。ホンマかいなと思ったが、目の前の井上さんの写真はちゃんとつながっている。その写真はいま手元にないが、要するにこんな写真だった。壁画の地が黒と明るい茶色に分かれている。黒い部分が三上山につながっている。参ったなこれ。私のレンズはフォーサーズの14mm、35mm換算でいえば28mmに相当する。ちょっと狭い。バックすればいいじゃないかという人もあろうが、なるほど壁画は楽になる。しかし三上山はそのままついてくるから、壁画と合わなくなる。結局、壁画に対して立つ位置はたった一か所。上下左右前後、動かしようがない。参った参った。広い写角がほしければレンズを短くするしかない。いま、コンパクトで4mmなどというべらぼうなワイド付きがあるが、あれなんかだったら文句なしだろう。
今回は、これ以上手の打ちようがないから、2枚をつなぐことにした。今、カメラをパンするとパノラマ写真ができるモードがあるらしいが、私のカメラにはそんな利口な機能はない。ワイドで撮ってつないだら川岸が真中で折れ曲がってしまった。笑い事じゃない。標題写真は右半分を遠近法でひずみを調整した。山が妙な形になってしまった。こんなに面倒なことだとは思っても見なかったぞ。井上さんはもっと短いレンズで撮ったのだろうけれど。イヤハヤ、マイッタ、参った。
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ぽたりと落とした

昨日の撮影位置から左後ろへ300m余りバックした。光善寺川の堤防を在来線がまたぐところである。光善寺川そのものが天井川であり、その上をJR線が越える。結果、農地を見下ろす形になる。撮影位置から横を走る在来線の電車を見たところ(画面奥が京都方面、三上山は画面左外)。道路の左の森が昨日の撮影場所。右が長嶋神社の森。東海道線が開通するまでは1つの森だったのだろう。
昨日の写真にも見えていたが、右に見えるラクダのコブ、2つ総称して田中山と呼ばれているが、左がカブト山、右が相場振山(ハタフリ山)の名称がある。旗を振って大阪からの相場を伝えたという。と、ここまでが右側、昨日の写真とほとんど変りはない。
変わったのが左側、吉祥寺山が手前の黒い山に隠れてしまった(きっちり見ればほんのわずか見えてはいるが)。この黒い山、大きく見ると鏡山の山麓最北端ということになるが、細かく言うと、この小山と鏡山とは光善寺川で区別されている。ここのところが微妙で、私は、その昔神様が鏡山を作った時、最北端で筆を置く瞬間、ぽたりと落とした最後の一滴だと考えている。国道8号が光善寺川を越えるとき、琵琶湖側に見える丘である。
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50mの差

手前、左右に山があって、その間から三上山の上半身がのぞいている。標題写真には写っていないが、タイミングさえ合えば新幹線も走っている。うっかりすると一昨日の写真と間違える。近い、遠いの差はあるが。
ここは野洲市長島、一昨日の野洲市辻町からいうと2.7Kmほど北東へ移動したことになる。その結果田中山が右へ移動しその次に現れる吉祥寺山との間から、三上山がのぞくという構図になる。実はこの場所、田んぼの中に森があって鳥居が1基立っており(鳥居は何と数えるのだろうか。「基」でいいのだろうか)、その横を在来線の電車が走っている。そんな場所である。その鎮守の森に対する神社本体(長嶋神社)は線路をくぐった琵琶湖側に建つ。
さて、在来線の電車を撮ったその場所から見た三上山がこれ。ほんのわずかだけど、襟元が右へずれている。(いい換えたら三上山が左へずれている)。標題写真はクルマの向こうの道を右へ進み、在来線の線路ぎわから撮った。その差50m弱。襟元をただしたということになろうか。それが何ですねや、といわれたらそれまでだが、私はその50mを大事にしたいのである。
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鉄塔の怪

希望が丘から下って来る県道324号が野洲電車基地の下をくぐって旧中主町の方へ抜ける。その直前で側道へ入り野洲駅の方へ折れる、その曲がり角に黒田商会の社屋と資材置き場とがある。両者の間に少し空間があり、今そこにコスモスが咲いている。さらに注意して見るとその奥のススキに半分隠れてドクターイエローが見えるのだが、それは今日の場合何の意味もない。
昨日の場所から言えば、三上山に対して160mほど右後ろへ下がったことになる。それが何やね、とおっしゃるかもしれないが、3つの山の重なりが変わっている。昨日の写真では手前の二つの山(田中山と妙光寺山)が、和服の襟をもとを見るように三上山の真正面(左右の中心)で重なっている。ところが今日の写真ではそれが左へずれ、あろうことか高圧線鉄塔がどーんと立ちはだかっている。右後ろへ移動、そのうちの後退は三上山をさらに高く見せているのだが、問題は右への移動。これで左右のバランスが崩れた。三上山が右へ動き、襟元が左へずれたことになる。
いまから30数年前、ここはなにもないただの畑だった。そこに背の高い2本の木が生えていた。例によって木の名前はわからない。ポプラのようでもあるし違うようでもある。学校の校庭などにシンボル的な木として植わっているのをよく見るが…。写真はその先端部と三上山との組み合わせである。襟元のずれも標題写真と同じ。ここに生えていたことは間違いない。しかし、どこを見ても鉄塔がない。どう考えてもこれを隠すことは不可能だから、この後で鉄塔が立ったと考えるしか解決の手口はない。
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秋の午後

野洲市辻町、新幹線と在来線に挟まれた農地、希望が丘から下って来る県道324号を挟んで野洲図書館と社会福祉センターが建っている。その横手にちょっとしたグランドがあって、いつもグランドゴルフでにぎわっている。きょうはどうしたことか人っ子一人いない。グランドのふちどりに桜の木が植わっており、その間にススキが規則正しく入り込んでいる。これはその一組。
三上山の手前、左から下って来るのが田中山の裾、その向こう右側が妙光寺山。2つの山の間から三上山が上半身を見せる構図である。ここへ来るとつい、麓を走る新幹線を入れたくなるのだが、この組み合わせでは入れない方が落ち着くだろう。
●「ニュースを続けます」。NHKのNW9で、天気予報の少し前に出てくる言葉(私はほとんどTVを見ないので、ほかにもニュースでも使われているのかもしれない)。この言葉、最初は新鮮に感じたが、いまは耳について仕方がない。パターン化された言葉の宿命であろう。
これに限らず、我々の人間社会、結局はこのパターンの中でもがいているということだろう。写真でもその例に漏れない。いくつかのものをどう組合すか、ほとんどの場合が、いつか見た陳腐なものになってしまう。上の標題写真なども典型的な陳腐例。パターンの枠の一歩外にオッと思う新鮮さが隠れている。
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