森の小径

水蓮の池を越えて森の中へ入る。細い道が続いている。道は暗くなりハス群生地が明るい。ふと湖面を見るとどこからともなく飛んできたカラスだったかトンビだったか。そのときは見極められたはずだが、いまとなっては写真だけでは心もとない。
人工の小さい森だが、それでも木が茂ると見通しはきかない。そんな道をたどりながら高校生のころに覚えた『森の小径』を思いだした。
1 ほろほろこぼれる 白い花を
うけて泣いていた 愛らしいあなたよ
2 憶えているかい 森の小径
僕もかなしくて 青い空仰いだ
3 なんにも言わずに いつか寄せた
ちいさな肩だった 白い花夢かよ
灰田勝彦が歌っていた。休み時間に誰かが、この歌を万葉集のように全部漢字で黒板に書きだした。もちろんこれが万葉集にあるわけはなく、勝手な漢字を並べただけだったけど、それでこの歌を覚えた。そんなことで戦後の歌だと思っていたが、調べてみると昭和15年の歌だという。そんなことが思いだされるのに、カラスだったかトンビだったが思い出せない。難儀なものだ。
写真ステージ 「近江富士」
■近江非名所全集
■滋賀を歩けば


ここやここや

一昨日ちょっとふれた展望テラスからの撮影である。折からやって来た夫婦二人が、そこやソコやと指さしている。何が起こったのかと見ていると、大した話ではない。記念撮影の場所探しだった。人生幸せですな。でもいつの間にか1人増えている。周りには2人以外人はいなかったのだが、どこから来たのやろね。
写真ステージ 「近江富士」
■近江非名所全集
■滋賀を歩けば


5月の霧の日

水生植物園を2,3日続けるつもりでいたが、今朝(29日)、6時30分ごろ、とっくに上がった太陽で外は明るい。が、外へ出てみると三上山が見えない。近所の風景は霧があるようにも見えない。冬の朝ならないこともないが、5月のこんな時期に霧とは。これは不思議と出かけてみることに。場所は今まで定点にしていたバイパス予定地。そこまで近寄っても山は見えない。後ろを向くと空は晴れて新幹線がまぶしいぐらい。なのに三上山は姿を現さない。
かろうじて山頂が見えるようになったのが7時過ぎ、その間30分ほど。バイパス予定地の草地にヒバリが降りるのを何度も見た。ヒバリは巣の場所へは直接下りないという。ウソかほんとかは知らない。それはともかくとしてやつが降りる姿はまさに落下傘部隊。羽を広げたまま気持ちよさそうにスーッと落ちる。本来「下りる」と書くべきだろうが、「落ちる」と書いたほうがぴったりくる。楽しい見ものだった。
怒 毎朝アップをモットーにしてきたが、今朝はそれができなかった。いまこの文章を書いているのが、夕方の6時。PCのWindows10トラブル。ことが起こったのが5月17日。やす教室のKさんにSOSを発信したのが18日。教室が終わってすぐ駆けつけてもらったが、そう簡単にはいかない。とにかく起動のところで無限ループがかかるのである。何か対処しようとしても再起動に遮られてしまう。だましだまし本ページの更新だけは続けてきたが、昨日午後から完全にアウトになった。もちろん今朝もダメ。午後からKさんのお世話に、あれからもう3回目だったか、4回目だったか。
もともと10にアップしようという気はさらさらない。もちろん頼んだわけではない。どこのどいつか知らんけれども、人様のPCに勝手に入り込んできてアップグレードだといって騒ぎ出した。下手なウイルスと同じである。仮に人様の家へ入り込んで、かってにリフォームをやりだしたら警察沙汰になるはず。立派な犯罪行為である。ワシは怒ってるのやぞ。
写真ステージ 「近江富士」
■近江非名所全集
■滋賀を歩けば


月並みな1枚

草津水生植物園内からの何枚か。ボクはどういうわけかXX園、XX遊園地など、特定の限られた園内に閉じ込められて、与えられたものを見るのが嫌でつい足が遠のいてしまう。今回も久しぶり、花緑公園園長だったO氏が、4月からこちら(水生植物園)の園長に着任されたとのことで、挨拶を兼ねて行ってきた。
まず月並みな1枚。山に興味がない人でもここへ行けば必ず目に入るという風景である。池を巡る遊歩道の橋の上から見たところ。すぐ前のテラスを何というのか知らないが、おそらく展望テラスぐらいのイメージで作られたものだろう。その展望テラスが風景をつぶしている。いまのテラスの位置を橋にして、カメラの位置が展望テラスだったら、もっと三上山が生きたのではないか。自然が作った風景なら仕方がないが、人間が作った風景を見るとつい”ここはこうしてほしかった”との思いがわいてくる。三上山ばかりが風景ではないぞと叱られそうだが。
写真ステージ 「近江富士」
■近江非名所全集
■滋賀を歩けば


トンビがくるりと

仰木の里、大津市雄琴3丁目の「かざみ公園」である。この場所を最初に気がついたのはいつごろだったか。仰木の里の開発工事が始まって間なしのころ、湖岸の161号を走っていて、小高い丘があるのに気がついた。今は背後の住宅地の方から簡単にたどり着くことができるが、当時はそんなことは思いもつかない。下から工事中の斜面をしゃにむに上りつめた。山下湾越しに見る三上山は神々しくさえ見えた。これは1990年代後半の撮影。『近江富士遊々』の表紙に使った写真である。
久しぶりの風見公園は木が茂って風景が複雑になっていた。空は晴れていたがモヤが濃く、見通しはきかなかった。シャッターを切っても使えそうにないなと、遊びでファインダーを覗いていた時、どこからともなく一羽のトビが入り込んできた。
写真ステージ 「近江富士」
■近江非名所全集
■滋賀を歩けば


ひと休み

野洲市比留田から小比江まで新しい道路が暫定開通している。地図の上では近江大橋からやってくる湖南幹線につながるのではないかと思われるが、そのためには野洲川の橋が必要。今のままでは宝の持ち腐れという感で通行量は少ない。その道路わきの田んぼに田植え機が1台休んでいた。今まで作業をしていたといった表情。付近に人はいない。一休みにどこかへ行ったのだろう。
田植機の後部をしげしげと見たのは初めてである。どうやら8条植えというやつらしい。人間の手8人分を受け持ち、人間の何倍ものスピードで疲れを知らないのだから能率はいい。この田んぼも人が戻ってきたら、あっという間に終わってしまうのだろう。
写真ステージ 「近江富士」
■近江非名所全集
■滋賀を歩けば


耄碌ジジイ事件簿

野洲市比留田にある石材店。名前はおぼえたつもりだったが、結局は忘れてしまった。そこの石置き場へ農道から4,5mほど入ると錦織寺を遠景としたいい絵が作れる。水田が美しいだろうと行ってみたが、一番近い田んぼには麦が植わっていた。仕方がないかとカメラを構えたとき、軽トラの音が近づいてきて数mほどのところに止まった。よそ様の敷地に無断侵入しているのだから知らん顔はできない。頭を下げると相手の若者は「石ですか?」。どこかの年寄りが石を物色に来たものと勘違いしたらしい。
「すんません、ちょっと写真撮らせてください」。若者は近寄ってきて、「どの石ですか」。そらそうだわな、石置き場へ入ってきて写真を撮らせろというのだから、石の写真だと思うのは当たり前。商談を始めようという気配である。「いえ、石と違いますねん。山ですねん」。後で考えたらけったいな話。石置き場へ勝手に入ってきて、写真を撮らせろという。石の写真を撮るのかと思えば、そうじゃない山だという。こんなもうろく爺さんを相手にしとれるかと思ったのだろう。元へ戻って仕事を始めた。
こうなるとなんとなく落ち着かない。1枚だけ撮って早々に退散した。「すみません、ありがとうございました」、「はい、どうも」。手前の農道と余計な草地。締まりのなさはその表れである。いつものことだけれども。
写真ステージ 「近江富士」
■近江非名所全集
■滋賀を歩けば


錦織寺

水田に浮くような大伽藍、野洲市木部の錦織寺。毎年このころにはここに立ちたくなる、田植えのころの定番写真である。この広い風景で、電柱が1本も画面に入ってこないということ、これ自体が一つの文化財である。と大きなことを言いたくなるのだが、実はこの場所自体が道沿いの電柱の下である。
寺院の北東側を走る県道32号には、ちょうどこの区間だけ電柱はゼロ。でもその県道と木部集落を結ぶ里道に電柱が立つ。ほんの数本、これが処理されたらもっと変化のあるアングルが作れる。県道沿いの畑の中に建つ「親鸞聖人御旧跡」の碑、これを見るたびにあの電柱さえなければと思う。
写真ステージ 「近江富士」
■近江非名所全集
■滋賀を歩けば

