浮き漁礁

きのうのあずま屋の前へ出た。これだけで風景が変わる。右から出てくる岬の延長線上に2本一組の断続的に細い線が見える。それが左右に2組、右の方は木の影になってわかりにくいが、左の方は画面左端にはっきり見える。以前は大きな球が数珠のようにつながっていたのだが、いつの間にかすっかりやせ細っている。どうしたのだろう。
実はこれが湖岸のアヤハディオ駐車場から真正面に見える。1990年11月の撮影である。この日は対岸に霧が深く、日の出の太陽に望遠が使えた。湖面に浮いた球には草が生えているように見える。それが何なのか全く分からないまま、適当に伸ばして壁にかけておいた。土・日に家を開放して、”どうぞお越しください”を始めたころ、新聞やTVで紹介してくださったおかげで、毎日何人かの来客があった。その中の一人の男性が、この球を指さして「ウキギョショウ」ですな。・・・ン?、いま何とおっしゃいました?。「浮き漁礁です。これに魚が集まってきて勝手に入ってくる、まあ浮いたエリですな」。このようにしてお客さんから多くのこと教えてもらった。大きな財産になったと思いかえしている。
写真ステージ 「近江富士」
■近江非名所全集
■滋賀を歩けば


右に傾く

国道からよじ上った高台の広場に、長崎のグラバー邸を思わすようなあずま屋が建ち、公園は「かざみ公園と」と名付けられた。あずま屋の屋根についた風見鶏に由来するのだろう。最初は面白いものが建ったと、喜んで撮っていたが、何度撮ってもほんの少し右に傾いて写る。そのころは中判のフィルムカメラだったから、もちろん三脚使用。傾くはずはないのだが・・・。最後は水準器を持って行って確かめてみた。それでも同じだった。建ったばかりの新しい建物だからそれ自体が傾いているはずもないし。
これが現在の姿である。風見鶏は左へ傾いているがこれは別。建物自体はやっぱり右へ傾いているように感じる。標題写真はその内側から琵琶湖を見たところ。やっぱり右へ傾いているように見える。でも定規を当てて確かめてみると間違いなく鉛直に立っている。
細かい手品だけど、種明かしは対岸の地形だった。画面左は琵琶湖大橋ゴルフコースあたり。そこから湖岸線は赤野井湾にかけれ大きく凹む。湖岸に立ってそれを見ても、すべて水平線として見えるからこれは問題なし。しかしここはほんの少し標高が高い。「ほんの少し」、これが問題なのである。たとえばうんと高いところ、たとえば比良山や比叡山の上から琵琶湖を見る。湖岸線は地図の線のように見える。しかし、ここはそれほどの高さはない。ほんの少しの高さが、右側の凹みをごくわずかな右上がりとしてみせる。それを認識できない人間はそれを”水平線”と見る。そしてそれと直交する柱を右へ傾いていると感じる。どうにも解決できない問題である。
写真ステージ 「近江富士」
■近江非名所全集
■滋賀を歩けば


Posted by
八田正文
at
10:30
│Comments(
0
)
2本の砂嘴

大津市雄琴北の高台である。眼下に琵琶湖が広がる。右側からウサギの耳のような砂嘴が2本。どちらも雄琴川が作ったものである。察するに手前の方が1本目、その後沖の2本目に切り替えられた。いま3本目がさらに右の方へ曲げられている。私が出会ったころは3本目だったと思うが、今のような堤防はなく、砂地の中を細く琵琶湖へそそいでいた。
さて、その高台、下を走る国道161号を走っていて気がついた。奥のほうに住宅地が開発されて道路ができていることなど気がつかない。がむしゃらに正面突破を試みた。ほとんどが更地で道路もはっきりしていなかった。昼間なら工事人に怒鳴り飛ばされそうなところだが、日の出前後の時間帯は無人だった。そして撮った写真(1997年1月撮影)を『近江富士遊々』の表紙に使った。
標題写真はその2本の砂嘴だが、手前に住宅が建って撮りにくくなっている。手前の先端にネットで囲いが作られている。何をしているのだろうか。
写真ステージ 「近江富士」
■近江非名所全集
■滋賀を歩けば


どだい無理な話

国道307号道の駅マーガレットステーションから脇道を百済寺の方へ走った。平和祈念館を過ぎたあたりでアッと息をのんだ。道路の両側が一面に黄色、菜の花である。しかし普通の菜の花とは色が違う。冴えた黄色といえばいいのか。とにかく明るい。初めて出会った黄色だった。2,3日して京都新聞に写真入りの記事が出た。なんでもナタネ油を採取するためのものだとか。なるほどそうだったのか。しかしそこはダメ。どう見ても絵にはならなかった。鈴鹿の方を見れば何とかなったが、三上山の方は完全にアウトだった。
もう少し進んだ上中野町あたりで小さな丘を越える。そこから三上山が見える。鏡山の左に頭だけを出すという構図である。右の方には太郎坊山が見える。太郎坊山というと、去年、御代参街道を歩いたことを思い出す。土山から歩き出して、日野を過ぎたあたりから遠くに三上山が見えだした。その後も忘れたころにぽこっと見える。結局名神をくぐるまでその状態が続いた。近江鉄道でいうと桜川を越えたあたりである。ところが名神をくぐった途端に真正面に太郎坊山が見えだしたのである。この変化は劇的だった。以前から307号を彦根から南へ向かうとき、どこかで太郎坊山と三上山が並ばないかと気にはしていた。御代参街道を歩きながら、それは可能ではないかという思いが強くなっていた。ここはその第一歩ではないか。
すぐそこに例の菜の花も見える。並んでいないけどワイドにすればとにかく両者が入る。とにかく記録だ。それが今日の標題写真だが、名の花の色が全然違う。こんな色ではなかった。肉眼で見ると同じ花なのだが、色が違う。何が違うのか。考えられるのは光線の条件だけだ。先ほどは順光だった。いまは逆光。現場でいろいろやってみたが駄目だった。穂をつけたイネとムギ、イネは逆光がきれい映るが、ムギは順光だ。何でそうなのかはいまだ分からない。菜の花は順光組らしい。
帰り平和祈念館に寄った。窓から先ほどの菜の花が見えた。この色だ。順光でしかも室内の黒がきいているからナノハナそのものはかなりの露出オーバーのはずだ。屋外でこんなことをやれば遠景は皆飛んでしまう。三上山と太郎坊山、”とにかく記録を”と駄目を覚悟で撮ったのだけど、どだい話にはならない1枚だった。
写真ステージ 「近江富士」
■近江非名所全集
■滋賀を歩けば


砂防ダム・一応結

話を戻す。一昨日レポートした堰堤トップ右側。そこからダムの内側を見るとちょっとした舗装道路が続いていく。どこへ行くのかとたどってみるとちょっとした峠を越えて下りになる。いつの間にか車が通れそうな道になって行く手に名神が見える。そして、山際を回ると次のダムが現れた。これが昨日レポートした「さかしな川」とあるところである。そこから三上山は見えない。
左側の草つき斜面を上ると見えて来たのが標題写真。画面下に見える舗装道路がいま下ってきた名神が見えた道である。堰堤に上って内側を見る。まったく砂は見えない。水が流れる筋が見えるぐらい。これから砂がたまっていくのだろう。堰堤に埋め込まれたプレートには、平成25年10月完成とある。前のダムより1年早かったことになる。帰り、先ほどの小さな峠から前のダム内側を上から見たところ。ダムの向こうがびわこ学園跡地である。
ところで、今回の南桜菩提寺山山麓砂防堰堤。結局合計5基あったことになる。あとの2基についてはGoogleMapにも記載されていないと書いたが、拡大してみるとちゃんと記載されていた。特に今日レポートした最後のダムは、南桜・北桜連絡道路の突き当りから名神を越えたところだった。手前の方で何か工事をやっているなということは感じてはいた。一、二度探検にいったりもしたが、電線か何かが邪魔をしてあきらめた記憶がある。もうちょっときっちり念押しをしていたら、もっと早く見つけられていたかもしれない。古武士桜から始まった南桜騒動、一応の結とする。
写真ステージ 「近江富士」
■近江非名所全集
■滋賀を歩けば


まだ砂防ダム

しつこいけれどもまだ砂防ダム。こういうどえらい建造物では、立つ位置によって見える風景が変わる。とりあえず上りやすいほうへ上る(これがきのうの話)。しかし、必ず反対側がどうだろうと気になる。ということできょうは左側の話。
名神のトンネルをくぐったところから素直に前を見ると左側が見える。手前の溝蓋は、砂防ダムの主流につながっている。こんなどえらい構造物から流れてくる川がこんな溝みたいな流れでいいのだろうかと、しょうもないもないことが気になる。実はこの溝、以前はもっと幅があり深かった。どこから流れてくるのかは確かめたことはなかった。実は、その溝にバイクごと転落したことがあった。底に立って手を伸ばしたが地面には届かなかった。バイクを立てて荷物台の上に乗ってそっから地上へ上がった。そのとき溝には水は流れていなかった。また話がどこかへ行きそうだ。詳しくは「山旅・穂高から三上山まで/第27話・三上山撮影開始」をどうぞ。
昔の話は置いておいて、主流沿いに上りだす。ちょっと登ると堰堤を真正面から見ることになる。対岸に例の「砂防指定地」の表示がある。こう簡略化されると、我々素人は判断に苦しむ。”大山川支流”と”さかしな川”なのか”大山川支流”の”さかしな川”なのかが分からない。「と」だと両者は同格になるし、「の」だとさかしな川は数ある大山川支流の中の一つということになる。よくよく見ると現在地が指示してあり、それぞれに「大山川支流」、「さかしな川」の表示が付されていた。納得。山の中の川の名前についてはこの表示から得ることが多い。
さらに上る。対岸を階段が上っていく。先ほどはあれを登ったことになる。昨日の写真はこの堰堤トップの右端から撮ったもの。それにしても昔の展望岩はこのずっと先だったがこんなきつかったかな。トシを食った証拠。
写真ステージ 「近江富士」
■近江非名所全集
■滋賀を歩けば


またまた砂防ダム

3月の末に朝日放送TVのディレクターに南桜の砂防ダムを教えられたことを書いた。ところがその後、南桜の菩提寺山周辺の地図を見ていて、それ以外に2基の砂防ダムが作られていることに気がついた。この前の場所より北に当たる位置で、GoogleMapの地図では表記されていないが、航空写真モードに変えると新たに2基の姿が写っているのである。擁壁に埋め込まれたプレートには、完成が平成26年10月とある。そういえばまだほとんど砂はたまっていない。
古武士の桜のところで、野洲慈恵会の角を曲がって名神のトンネルに向かう旧道のことを何度か書いた。その道を進むとトンネルの出口からその堰堤が見えてくるのである。この道は左へ曲がると現在のバス道につながるのだが、その出口が通行止めになっていて、人は通れるが車は通れないことになっている。そんなことで日常的に車で通るということがなくなって随分になる。一度、例の展望岩までと思って来てみたが、網が張りれ巡らされて手も足も出なかったことがある。そのあとまったく知らない間にこんな砂防ダムができていた。何ともはや。右側(ダムに向かって右側、川の流れの左右の原則では左岸)のトップまで上ってみると。草つき斜面の向こうに三上山が見えた(標題写真)。
つけ足しだが、ダムから見た旧第二びわこ学園跡地。見るからに不調法な名神の遮音板が目立つ。その向こうの山は天山。その向こうが希望が丘という寸法である。
写真ステージ 「近江富士」
■近江非名所全集
■滋賀を歩けば


古武士を偲ぶ・3

きのうの標題写真に見るようにかつての大山川はいまのさくら墓園の外側(三上山側)をまくようにして、いまの南北桜橋のあたりへ出てきていた。それが現在のように直線でつながった時点で、古武士はその右岸に忽然と姿を現した。これがおよそそのころの地図(赤丸が古武士が立っていた位置)である。「煙霧孤峰」を撮ったときに、上のバス道あたりから見ていたはずだが、何の記憶もない。花の時期に見ることはなかったのだろう。もともと現役のころで、花の時期の日曜日がぴしゃりとあうこと自体が少なかったし、学年初めのそのころ日曜日も出勤ということが多かった。
標題写真は現在の対岸から撮ったものである。撮影年は2015年4月8日。レンズは長くなってカメラは水平方向を向く。必然的に空は白くなる。これも同じ日、いわゆる定点からの撮影。右岸から、しかもカメラは低い。ワイドレンズで上を向くから、同じ日の撮影とは思えないぐらい空は青い。もう1枚。2010年4月17日の撮影。1991年に姿を現してから四半世紀、相棒がいない川筋で、独り強風に耐え続けたその姿。切株の中心部は大きく空洞を見せていた。2017年春、花の前に去る。
写真ステージ 「近江富士」
■近江非名所全集
■滋賀を歩けば

