2017年04月21日
古武士を偲ぶ

古武士の桜について、私の手元に残っているもっとも古いのがきのうの標題写真である。何度も書くが1991年4月の撮影。忽然と姿を現した。ひょっとしてそれ以前にも目にしていたかもしれない。しかしその記憶はない。私が知っているのはその後半生、いやひょっとしたら老年期だけだったのかもしれない。その数奇な運命は大山川改修工事とともにある。
1枚の写真。「煙霧孤峰」(1978年6月撮影)。写真集『四季近江富士』の表紙に使った。来年が撮影40年に当たる。じつはきょうの標題写真、光線状態がまずくてはっきり見えないが、カーブミラーの右に大きな矢印が見える。このあたりが「煙霧孤峰」の撮影場所なのである。大きな矢印はバス道の方向を示す。左が南桜の集落、右が菩提寺、ハイウエーサイドタウンである。
左手前の角はGoogleMapによると社会福祉法人・野洲慈恵会となっているが、もちろんそのころは何もなかった。というより、大きな矢印より右への道もなかった。道は単なるL字路で、野洲駅からやって来たバスはカメラが立つ道に向かって右折。名神の下をくぐって(トンネルの中から振り返って見た三上山。大きな屋根は野洲慈恵会)サイドタウンへと向かっていた。いまバスはここで曲がらず、250mほど直進して次のトンネルをくぐっている。
こうして書くと、きっちりした記憶があってそれをもとに書いているように見えるかもしれないが、記憶はほとんどない。たとえば上で述べた「煙霧孤峰」、レンズの長さが合わないのである。矢印の横あたりから撮った現在の状況がこれ。全くレンズンの長さが合わない。松の木はどこに生えていたのだろう。以下明日。
写真ステージ 「近江富士」
■近江非名所全集
■滋賀を歩けば


Posted by 八田正文 at 10:03│Comments(0)
│山・写真