2010年06月24日
朝鮮通信使街道

細く続く桜並木が朝鮮通信使街道、野洲市行畑で、中山道と分かれ彦根に至る旧街道である。江戸時代に朝鮮通信使が歩いた街道である。一般には「朝鮮人街道」と呼ばれているが、それでは意味が分かりにくい。
「通信使」という言葉そのものがわかりにくい。たとえばいま”つうしんし”と入力すると”通信士”とでる。”通信する人”のことである。それと同じように”通信する使い”と解釈すると意味が分からなくなる。「通信使」とは、「信」を「通」ずる「使」。今の言葉で言う親善使節のことである。
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Posted by 八田正文 at 07:00│Comments(0)
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