2010年06月24日

朝鮮通信使街道



写真拡大■野洲市北。三上山の左は通称田中山(尖っているのが兜山、丸くなだらかなのが相場振山)、右が妙光寺山。
 細く続く桜並木が朝鮮通信使街道、野洲市行畑で、中山道と分かれ彦根に至る旧街道である。江戸時代に朝鮮通信使が歩いた街道である。一般には「朝鮮人街道」と呼ばれているが、それでは意味が分かりにくい。
 「通信使」という言葉そのものがわかりにくい。たとえばいま”つうしんし”と入力すると”通信士”とでる。”通信する人”のことである。それと同じように”通信する使い”と解釈すると意味が分からなくなる。「通信使」とは、「信」を「通」ずる「使」。今の言葉で言う親善使節のことである。



新シリーズ・三上山撮影のついでに・・・


近江名所全集


■花緑公園

写真拡大写真拡大
 




あいあい滋賀連載「三上山物語」

「穂高から三上山まで」・索引
「むかし語り音楽夜話」・索引 バックナンバー検索にどうぞ。

デジカメ わいわい村「とれと作品集」
全国ふるさと富士サミット講演録 『谷文晁が見た三上山』
写真ステージ 「近江富士」 HP
 


同じカテゴリー(山・写真)の記事画像
暗雲累々
暗雲累々
暗雲累々
いつか見た風景
赤いのぼり
風走る
同じカテゴリー(山・写真)の記事
 お婆ちゃん (2018-08-07 08:25)
 県道以前 (2018-08-06 09:50)
 夏バテの弁 (2018-08-05 09:50)
 このくそ暑い夏に (2018-08-04 10:56)
 不要な外出は (2018-08-03 10:04)
 悩ましい問題 (2018-08-02 09:30)


上の画像に書かれている文字を入力して下さい
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。