2016年02月04日
柿の木終焉

昨日の写真を撮った後、例の柿の木のところへ回ってみた。遠くから見ると妙に見通しがいい。柿の木がなくなっていた。地蔵さんもなくなったかと目を凝らすと、それはまだ残っていた(標題写真・右奥の杭までがバイパス予定地)。地蔵さんはおそらくどこかへ移されるだろうが。一番左の地蔵さんの後ろに見える燃え残りが柿の木である。
私が三上山を撮りだした1970年代後半、山麓、国道沿いの建物さえ辛抱すれば、ここはえも言わぬ風景だった。右からの夕日を受けて、これはいまと同じ季節。もう1枚、春バージョン。(2枚とも原版はフィルム)。今思うと、この風景を撮れたとこは本当に幸せだった。というのはこのあとすぐ国道沿いに大きな倉庫が建った。標題写真にも見える肌色の建物である。こればかりはどう考えても隠しようがなかった。

つけたし。この40年間、地蔵さんの並びも微妙に変わっている。しかし基本的な位置は変わっていない。にもかかわらず、地蔵さんの大きさがだんだん小さくなっている。これは実は私の体力の問題である。道路と地蔵さんとの間に細い溝が1本ある。それをまたいでカメラを下げないと昔の写真は撮れない。あるときなどはゴム長を履いて溝に入って撮ったこともある。いまはそれは不可能だ。標題写真は道路からのズボラ撮りである。
写真ステージ 「近江富士」
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■滋賀を歩けば


Posted by 八田正文 at 10:48│Comments(0)
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