2016年12月23日
不運な写真・2

「三上山風景事典」に入っていなかった写真が、ちゃんと昨日の標題写真に出てきているではないか。確かにおかしい。私自身、この写真は何冊目かの写真集に入っていると思い込んでいたのだが、実際にはどれにも入っていなかった。それがどうして出てきたのか。実は個展が終了した時点で、その回に出展した写真をまとめて一冊のアルバムにまとめていた。 何とまあ古い時代である。早い話が卒業アルバムである。最近TVで、”あいつこの頃どうしているかな”という番組がある。それを思いだして、あの写真どないやったかな…となった次第。
古いアルバムを引っ張り出して、2回目の個展に出品していたことが分かった。ナカバヤシのふえるアルバム、薄いビニールのカバーは剥がせたが、写真は台紙にくっついて離れようとはしない。仕方がないからビニールのカバーのままスキャナにかけた。色がおかしいのは30数年の年のせい。ピントがおかしいのは、ポジフィルムからネガを作ってという当時のシステムの回りくどさと、ビニールの上からスキャナーにかけたせい。
今日の標題写真は、きのうの”再会”写真である。結局きのうから何にも話が進んでいない。いやいや申し訳ない。実は昨日から、昔のことをちょっと整理しなおしている。昭和55年というのはどんな年だったのか。野洲川の下流部の姿を大きく変えた野洲川放水路の通水が昭和54年だという。「屋根光る」の1年前。だけれども、古い旧野洲川はそのまま残っていたはず。そしてもっとた大事なことがある。きのうから、撮影場所を明富中学校の前だとしている。しかし、しかしである。そのころ明富中学校はあったのか。
明富中学校という学校は数奇な運命で、戦後の一時期、同じ名前で存在し、何かの事情で廃校になった。その後新たに復活をしている。調べてみると、その復活開校が1991(平成3)年だという。「屋根光る」を撮った時には明富中学はなかったわけだ。
写真ステージ 「近江富士」
■近江非名所全集
■滋賀を歩けば


Posted by 八田正文 at 08:08│Comments(0)
│山・写真