2017年01月24日
防災広場

草津川と金勝川との合流点から国道1号まで、新しい草津川の堤防を歩いてみようと家を出た。北には暗雲がただよっていたが、南の方は明るかったので思い切って家を出たが、現場へ着いたときには金勝山の方に雪霞がかかっていた。ここは両川の合流点。光が乏しく陰影がないのでわかりにくいが、左から来るのが金勝川、右側正面奥から来るのが草津川である。残念ながらここからは三上山は見えない。
さてきょうのルートはと振り向いて、いま立っている堤防上の道からT字型に分かれた道がぐんとせり上っているのに気がついた。これは見えるかもしれないと上ってみた。広場があってその向こうに三上山が見えた。それが標題写真である。こんなところにこんな広場が、見れば防災広場の銘がある。なるほどそういうことか。ここが旧草津川跡なのだ。現役のころ30数年間毎日その下をトンネルでくぐっていながら、上流のことは何も知らなかった、いや知ろうとしなかった。ここが草津川跡だとすれば、上流から下流に向けてまっすぐ流れ下る草津川のどてっ腹へ金勝川がT字型に突っ込んでいたことになる。今は写真のようにY字型に改良されているが。
草津川も金勝川もいわゆる天井川だが、そのルートを付け替える場合、ただ単に堤防で川を締め切ってつなぎ直しただけではダメで、流れの向きに川幅の2,3倍の間に、川幅いっぱいに堤防の高さまで土を盛らなければならないのだという。専門用語では、これを「側帯部」というのだそうな。旧野洲川の市三宅や笠原にその側帯部が見られる。川を締め切るためにどうしても必要な側帯部を「防災広場」として利用しているということだ。標題写真は旧草津川の左岸堤防上から、川と直角方向を向いて撮ったことになる。もちろん現役時代の川は右から左に向けて流れていたはずである。
写真ステージ 「近江富士」
■近江非名所全集
■滋賀を歩けば


Posted by 八田正文 at 10:15│Comments(0)
│山・写真