2017年02月23日
歩くことの意味

同じ石部の東寺(ひがしてら)だけれども、ここはちょっと様子が違う。初めからひょっとしたら見えるかもしれないと目ぼしをつけたところである。集落の背後というのか、山の裾というのか。そこに地図にしっかり明示されている池がある。ひょっとしたらとの思いで、そのあたりを気をつけながら歩いてみた。以前はクルマで走ってみて、ここはアカンなで終わっていた。いまはとにかくどこかでクルマを降りて、歩くことにしている。見えないことの方が多い。それで当り前としなければこんなアホな遊びはできない。
イケヤ・セキ彗星で有名な池谷さんが中学卒業後、彗星を見つけようと、毎朝毎朝日の出前に屋根に上って双眼鏡で東の空を探し続けた。見つからないことに悩んで、倉敷天文台の本田台長に手紙を出した。思っても見なかった返事が来た。”(彗星を)必ず見つけようと思うのならばやめなさい。見つからなくてもいいのなら続けなさい。いつかは見つかるかもしれないから”とあったという。
そして何個かの彗星を発見した。自分が発見した彗星の軌道を計算したくなった。夜間高校へ通って数学を勉強したとか。もう30年か40年ほど前、いやもっと前だったかもしれない。このことを新聞のインタビュー記事で読んだ。このトシになって、歩くことで本田台長の言葉が分かってきたような気がする。
写真ステージ 「近江富士」
■近江非名所全集
■滋賀を歩けば


Posted by 八田正文 at 09:43│Comments(0)
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