2011年08月25日
竹生口

けったいな日本語
「われわれのことを、業の深い商売、と申されるのか」
五木寛之の『親鸞』の中の言葉である。この例だけにとどまらず、日本中で、「申す」という言葉が、実にいい加減に使われている。ドラマの中でも「なんと申すか」、「もう一度申して見よ」などと。
「申す」というのは、たとえば、「私はXXと申します」、「暑中お見舞い申し上げます」などというように、謙譲語の一つで、相手に対して敬意を表すもののはず。相手があっての自分だから、「申し」上げるのは自分でないとおかしい。 上の例の場合、「あなたたちも業の深い商売なのだよ」といわれた言葉に対して、「・・と申されるか」いっているわけで、どうもしっくり来ない。
童謡にもあるでしょう。「・・なんとおっしゃるウサギさん、・・・」。「・・なんと申すかウサギさん・・・」とはいわない。
「なんと申すか」、「もう一度申して見よ」はドラマの中では、たいがい親分が子分に対して使っている。けったいな日本語である。本来は子分が親分に「申し上げます」のはず。
■近江非名所全集
■番外編


三重県菰野町竹成。五百羅漢。左・出山の釈迦。現場説明板。
■写真ステージ 「近江富士」 HP・・滋賀Web大賞2011・地域活動団体部門で優秀賞を受けました。
Posted by 八田正文 at 08:27│Comments(0)
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