雨止む

三日続いた雨が止んだ。ときどき日も射してくる。毎日同じ場所ではと、南桜まで足を伸ばした。方向を変えれば、下の写真のように青空が見えるのだが、三上山の方は雲ばかり。これも合成すれば青空は入るのだろうけれど、いつもそんなことをやっていると、まともなものが撮れたときにも、また合成したやろうといわれそう。
合成は昨日だけ。きょうは涙を呑んで実景。
写真ステージ 「近江富士」
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夏至

梅雨前線に台風だという。昨今の天気は何かというとことが大きい。
我が家から歩いて3,4分のいつもの場所、雨の様子を見てのケサ撮り写真である。この時期、田圃が入った風景は撮りだめがきかない。天候のこともあるが、とにかく稲の成長が早い。一週間前のものはすでに様子が変わっている。
カレンダーを見たら、きょうが夏至。天体の動きに休みなし。
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伐採跡

野洲川川田大橋の左岸畔にあった竹薮跡。旧野洲川南流の堤防が部分的に残り、新堤防との間に竹が密集していた。竹薮というような生やさしいものではなく、見通しはおろか数m先が真っ暗、そんな感じだった。そんな中で竹より背の高い木が頭を出し、それに鷺が巣を作っていた。
その竹が伐採されて見通しはよくなった。どこからでも三上山が見えそうなものだが、実際にはそうはいかないのが不思議なところ。何とか形になるのがこのポイントだけ。いつまでこのまま置くいておかれるのかは分からないが、一夏過ぎれば草の天国になるのだろう。サギはもういない。
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笠原水防倉庫

新庄大橋を笠原町側(西側・左岸)へ渡り切ったあたりから上流を見ているところである。小屋(GoogleMapには笠原水防倉庫とある)の左側に見える白いフェンスが、堤防上の一般道路と堤防管理道路の仕切り。共通して使えばいいのにと思うがそうはいかないものらしい。
このあたり、現在の新放水路を基準にいえば、旧南流が守山北高の裏手へ別れていくところである。竹薮から右手の旧水路が埋め立てられ公園となり、記念碑などが建っている。
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新庄大橋から

野洲川新庄大橋から。川田大橋の1つ下流の橋に当たり、その間距離約1,8Km、ほとんど直線で、しかもその流路の延長線上に三上山が立つという恵まれた条件のところである。しかし、高圧線が川を横切っており、長いレンズではそれが目立つという問題点も含んでいる。
ヨシが広がる河川敷では、梅雨のこの時期、ギョギョギョ、ギョギョギョとヨシキリの鳴き声が頻りである。
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動く川

川田大橋から見た野洲川。これが梅雨のさなかの姿である。というと全く水が流れていないように見えるかも知れないが、そういうわけではない。梅雨の時期としては少ないには違いないが。
白く広がった流路の左端、細く黒い1本の線として流れている。以前は画面真ん中あたりから、右下へ向かって流れていたが、何かのときの増水で流路が変わった。この動き、いまは川幅の範囲内だが、人間が管理できなかった昔は、この変化が野洲平野全体に及んでいたのだろう。
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野焼きのあと

隣の畑では野焼きが終わっていた。炎が走った跡がこうして黒く残る。といって全面が真っ黒になるわけではない。炎の走りをどこまでコントロールできるのかは知らないが、黄色だった畑がこうして黒くなる。一種の抽象画だけれど、その中に一つの絵を見ることもある。もともと意味もない雲の形が、動物に見えたり魚に見えたりするのと同じように。このときも大きなツバメがまっしぐらに横を通り過ぎぎていくように見えた。
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収穫の跡

麦刈り入れ後の農地。いわゆる麦秋の頃合いにと思っているうちにチャンスを逸し、行ってみたときにはすでに刈り入れが終わっていた。
イネの場合だと切り株がしっかりと残るが、麦の場合は畑全体が黄色の土地に変身する。刈入機が通ったあとが、あたかも運動部の選手がグランドにトンボをかけた跡のような線となって残る。
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